第39話 昼休みと俺

 昼休みを告げるチャイムが鳴ると、自然と伸びをしてしまう。


 部署内も途端にざわめきだし、それぞれが昼食の準備を進めていた。


「駒村ー。食堂に行こうぜー」


 いつものように、軽い調子で磯部が声をかけてくる。


「すまん、今日は弁当が食いたい気分なんだ。コンビニで買ってくる」


 少しだけ申し訳ないと思いつつも、素直に自分の欲求に従うことにした。


 体にあまり良くなさそうなコンビニ弁当が無性に食べたくなる時がたまにある。

 今日はそれだ。


 毎日食堂に通っていると自分好みのメニューが決まってちょっと飽きてくるので、

たまにこうして気持ちをリセットしたくなるのだ。


「そう? だったら俺も今日はコンビニに行くわ」


 磯部も俺についてくるらしい。


 というわけで、俺たちは社員証を首からぶら下げたまま、会社のビルの前にあるコンビニへ向かうのだった。






 コンビニでそれぞれ弁当を買った俺たちは、そのまま社内のフリースペースへ。


 フリースペースは飲食の持ち込みもOKなので、持参した弁当を広げている女子社員も多くいる。


 俺たちは窓側のカウンター席に座り、買ってきた弁当を袋から取り出す。

 温めてもらった弁当はまだ熱々で、ビニールの包装を剥がすのにちょっと苦労した。


 ちなみに今日は、ジャンボチキン南蛮弁当とウーロン茶にした。


 既にほんのりと匂いは漏れていたのだが、プラスチックの蓋を開けるとさらにチキンの匂いが広がる。


 隣の磯部は大盛りペペロンチーノなので、これまたガーリックの匂いが強烈だ。


 業務上、営業部の人たちはこういう匂いがキツイ昼食はあまり食べたくないだろうな――とぼんやりと考える。にんにくラーメンとか。


 そこは経理部で良かったと思う。

 まあ食べる物が制限される以前に、そもそも人と接するより数字を見ている方が好きなので、できればこの先も他の仕事はあまりしたくないのだけれど。


「あ、駒村さんに磯部さん。隣いいですか?」


 割り箸を割ったところで、不意に後ろから女性の声がした。


 振り返ると、ショートカットの髪型の爽やかな女性が立っていた。

 営業部の佐千原さんだ。


 彼女は経理部によく領収書をまとめて持って来る。営業部の中でそういう役割なのだろう。

 年齢は知らないが、たぶん俺よりも下だと思う。


「お? どうぞどうぞ」

「ありがとうございます」


 すかさず磯部が勧めると、佐千原さんは俺の隣の椅子に座った。


 ちょっぴり残念そうな磯部の顔を見るに、どうやら自分の隣に座って欲しかったらしい。


 身だしなみに気を付けているからか、常に彼女からは良い匂いがするのでその気持ちはわからんでもない。


 ……もしかすると佐千原さんは、磯部のペペロンチーノの強いガーリック臭から距離を取りたかったのかもしれない。とちょっと深読みしてしまった。


「今日はいつも一緒に食べる同僚が欠席しちゃって。部署内で食べても良かったんだけど、おじさ――先輩たちが愚痴を言い始めたので逃げてきちゃいました」


 言葉の一部を言い直し、佐千原さんは持参していた弁当を袋から取り出す。


 犬のキャラクターがプリントされた弁当袋が、彼女が可愛い物好きだということを語っていた。


「まぁ確かに、飯は良い気分で食べたいっすもんね」


 ペペロンチーノをフォークに巻きつけながら磯部が神妙に頷く。


「そうなんですよー。私ああいう雰囲気が苦手で。経理部はそういうのありますか?」


「んー。何か俺らの部署は割と平和っすね」

「確かに。部長をはじめ、他のみんなも寡黙なタイプが多いからな……」


 その分、腹には溜め込んでるのかもしれないけど。

 俺も何か思われてるのだろうか。

 まあ、こちらに否があること以外はあまり気にしないが。


「なるほどー。じゃあ磯部さんと駒村さんは経理部の中でもちょっと特殊なタイプなんですね」


「いや、それどういう意味っすか佐千原さん!?」


「俺を磯部と同じくくりにしないでほしい……」


「それもどういう意味だよ駒村!?」


「ふふっ。こういうやり取りをしているところです」


 思わず苦虫を三匹くらい噛み潰したような顔をしてしまった。



 佐千原さんと昼食を食べるのはこれが初めてではないので、妙な緊張感が漂うことなく、その後も会話と食事は続いたのだった。






 一番に食事を食べ終えた俺は、窓の外をぼんやりと眺めていた。


 地下にある食堂と違い、このフロアは7階にあるのでそれなりに景色も見える。


 見えるはずもないのに何となく家がある方向を眺めていると「そういえば……」と弁当箱を片付けながら佐千原さんが切り出す。


「駒村さん、最近身だしなみが整ってますよね」

「え……」

「シャツもネクタイもピンとしてます」


 思わずギクリとしてしまった。


 奏音とひまりの存在を匂わせてしまっていないかということと、少し前の俺はたまにしか会わない人からも「シャツがよれている」と思われていたこと、二重の意味でだ。


「お、そこに気付くとはさすが佐千原さん。いやぁ、俺はこいつに彼女ができたんじゃないかって疑ってるんすけどね。かたくなに認めないんすよ」


「だから彼女なんてできてないって言ってるだろ」


「ほんとにぃー? 怪しいー」


 女子高生みたいな喋り方でニヤニヤする磯部。


 あまりムキになって反応するとさらに疑われてしまうかも――という考えがぎり、上手い返しができない。


 磯部には以前に似たような返事をしたような気もするが、やはり納得いってないみたいだ。

 こいつ、能天気に見えるけど変なところで勘が良いからな……。


「心境の変化でもあったのですか?」

「まぁ……ちょっと。初心に返ってみようかと……」

「へえー……」


 これがちゃんとした理由になっているのかはわからんが、奏音とひまりの話題は欠片も出すつもりもないし……。


「うん、素敵だと思います」

「へっ?」


「ふふっ。では私は先に戻りますね」


 佐千原さんは悪戯っぽい笑みを残し、素早くその場から立ち去る。


 俺はしばし彼女の後ろ姿を見つめていた。


 はたして今の言葉には、裏があるのかないのか――。


 普段は褒められることがないので、いきなり「素敵」と言われてちょっと戸惑ってしまう。


「駒村……お前……」


 磯部がジト目で俺の方を見てくるので、途端に居心地が悪くなる。


「ついにモテ期到来か」

「いや、ただの社交辞令だろ」


「くそ。俺も明日から新しいシャツをおろすぞ。ネクタイもお洒落なやつにする。ついでに靴も磨いてやる」


 別に俺と競わんでも――と思ったが、磯部も身だしなみが整うのは良いことなのでは? という考えに至り、あえて何も言わなかった。

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