第49話 飲み会と俺
辞令による転勤や異動というのは悪しき習慣だ――と個人的には思う。
その土地で働きたいと思って就職したのに、いきなり別の場所に飛ばされてしまうわけだ。
しかも、従業員の方から変更や取り消しを求めることはできない。
いくら栄転といっても、心理的にはやはり負担だ。
今回その辞令の餌食となってしまった人は六人。経理部の中から一人、そして営業部の中からも一人選ばれてしまった。
そして経理部と営業部合同で送別会をすることになったという。
何でも部長同士が仲が良くて、トントン拍子でそういう話になったらしい。
そのことを佐千原さんから聞いたのは、昼休みの食堂でのことだった。
それから数日が過ぎた朝――。
「今日は俺、晩ご飯いらないから」
朝食を食べている時、俺は奏音に向けて切り出す。
ちなみに今日は珍しく、朝から焼き魚と味噌汁だ。
「昨日寝る前に言ってたよね。忘れてないよ。送別会でしょ?」
「ああ。念のためもう一度言っておこうかと」
何しろ、二人が家に来てから飲み会があるのは初めてだ。
そういうわけで、ちょっとだけ俺はソワソワしていた。
今の会話が夫婦みたいだ――と思ってしまったからではない。あぁ決して。
「何時頃帰る予定ですか?」
ひまりの問いに俺は困ってしまう。
何せ明確な終了時間が決まっていない。
今回は送別会だから、二次会があるのは確実だし。
「わからん……。ただ終電までには戻ってくる。先に寝てていいからな」
……だから、この会話も夫婦みたいだな――とかいちいち考えるな俺。
「そうですか……。わかりました。気を付けて帰ってくださいね」
「お、おう」
何だろうこの罪悪感は。
二人を置いて飲み会に行くことに、こんなに後ろめたい気持ちを抱いてしまうなんて。
落ち着け俺。
職場の付き合いだ。二人には関係のないことじゃないか。
……まぁ、あまり遅くならないようにはしよう。
今日の仕事は特にトラブルもなく終わらせることができた。いつもより部署内の空気はソワソワしていたけど。
特別仲が良かったわけではないが、やはり一緒に働いていた人がいなくなるというのは少し寂しいものだ。
そんなちょっとしんみりとした空気を背負いながら、俺たちは駅近くの居酒屋に移動した。
経理部と営業部の合同開催ということで結構な人数だ。
掘りごたつ式の貸し切り部屋はなかなかに広いが、全員が座るとみっちり感が凄い。
まあ、女性より男の方が多いからな。
この店は2時間入れ替え制らしいのでダラダラと続く心配がない。そこは助かる。
終電より前には帰れそうだ。
「駒村さんに磯部さん。お疲れ様です」
隣に座ったのは佐千原さんだ。
俺は軽く会釈をする。
彼女は数秒の間、俺の顔をマジマジと見つめてきた。
……何だ? 今の短い間に、俺は変な態度をしてしまったのか?
原因がわからなく戸惑っていたところで、磯部が俺の前に身を乗り出す。
「佐千原さんお疲れっす」
磯部も挨拶を交わしたところで、メニュー表が回ってきた。
ドリンクを選べということらしい。
選ぶのも面倒くさいから、無難に生ビールでいいか。
いつも家では発泡酒だしな。
乾杯用のファーストドリンクを全員が素早く決め、待つこと数分。
お盆に大量のドリンクを持った店員が現れると、雑談で緩やかな雰囲気だったのが一気に『飲み会の空気』に変貌した。
「えー、それではこの度異動することになった、営業部の一橋君と経理部の千条君から挨拶を――」
営業部の部長が声を上げ、送別会は始まった。
滞りなく二次会までを終え、俺は離脱した。
抜ける機会を密かに狙っていたのか、ついでとばかりに磯部と佐千原さんも一緒に抜けた。
三次会に行く希望者が結構残っていることに驚いた。
明日は休日じゃないってのに、みんな元気だな。
「磯部も佐千原さんも、三次会は良かったのか?」
「いやぁ、仕事の付き合いの飲みは二次会までだわ。上司もいるのにそれ以上は楽しめそうにないって」
「私も磯部さんに同じくです」
「やっぱそういうもんっすよね。気を遣わなくていい人間の集まりでないとなぁ──って、どうせならこの三人でどっか行く?」
「いや、俺は眠たいから帰る」
「私も今日は……」
磯部の『気を遣わなくて良い人間』の中に俺が入っているのはちょっとだけ嬉しいが、やはり奏音とひまりが家で待ってるからな……。
「そうか……」
「ま、また別の機会に行きましょう。是非!」
あからさまにしょんぼりする磯部に取り繕う佐千原さん。
磯部は片手を上げて「あ、試しに言ってみただけなんで大丈夫っす……」と力なく答える。
いや、だからすまんって。
「いやぁ~……でも俺本当にショックだわ~……。まさか一橋が異動とかさぁ……」
駅へと向かう途中で、磯部が深いため息を吐く。
正直、今ので同じセリフを聞いたのは4度目だったりする。
磯部はかなり飲んだのか、酔っているらしかった。
「結構仲が良かったんだな」
部署が違うので、俺は会話を交わしたことがない。
知らない人に自分から声を掛けにいくような積極性は持ち合わせてないし。
ひまりの時は――あれは本当に勇気を振り絞っただけだ。
状況が状況だったし。
「今まであいつが中心になって合コンのセッティングしてくれたのに……。俺はこれから誰に合コンを頼めばいいんだ……」
「そっちの心配かよ」
「なぁ駒村。誰か紹介してくれよー……。お前の彼女に頼んでもらっていい?」
「だから! 俺に彼女はいないっての!」
未だに俺に彼女ができたと信じて疑っていないのか、磯部は。
奏音とひまりの影響が、自分にそこまで出てしまっているということだろうが――。
いかんせん、自分ではどうにも自覚しづらい。
困ったな。二人の存在だけは誤魔化していかないと。
磯部の場合、女子高生でも構わないとか言い出しそうだし――。
同僚のモラルを疑ってしまうのは悪いと思うのだが、他人がどういう趣味を持っているかなんてわからないしな……。
そこでふと視線を感じる。
佐千原さんが、また俺の顔をジッと見つめていた。
「あの……俺の顔に何か付いてますか?」
送別会が始まる前も見られていたので、不安になってしまった。
「あ、ごめんなさい。そういうわけじゃなくて――。駒村さん、早く帰りたそうな顔をしているなと思って」
「――え?」
思いもよらない言葉だった。
「帰りたそう……ですか?」
「はい。送別会が始まる前も、何だかそんな雰囲気が滲み出ていました」
「…………」
確かに今日は早く帰れそうだとは思ったが――まさかそれが顔に出ていたなんて。
「あ、別に駒村さんがわかりやすい顔をしていたわけではなくてですね!? なんとなくそういうの、雰囲気でわかっちゃうんですよ私」
営業部は超能力者育成部署だったっけ?
「いや、でも本当に彼女はいないですから。磯部の言うことを真に受けないでください」
「ふふっ。そういうことにしておきます」
そして半目で俺を見てくる磯部。
だから勘ぐるのはやめろ。
とか考えている内に駅に着いてしまった。
俺と磯部はホームが逆なのだが――。
「佐千原さんは?」
「私は1番線です」
「あ、じゃあ俺と同じっすね」
赤ら顔の磯部がへにゃりと笑う。
こいつ……大丈夫か?
今さらながらちゃんと家に帰れるか心配になってきた。
「すみません佐千原さん。こいつをよろしくお願いします」
「はい。駅のホームから転落しないように、ちゃんと見張ってますね」
「こいつが何かセクハラ発言したら殴っていいですから」
「お前……。俺をどんな目で見てるんだ!? さすがに俺もそんなこと言わねーってば」
「ふふっ、大丈夫ですよ駒村さん。磯部さんがそんな人じゃないのは私もよくわかってますから」
「…………だそうだ」
「だから言わないっつーの!」
そんな俺と磯部のやり取りを見て佐千原さんはひとしきり笑った後──。
「それじゃあ――」
「また明日なー」
軽く手を振り、二人はホームの階段を上っていく。
俺は二人とは反対方向へ歩きだす。
時計を見ると23時を少し過ぎたところだった。
奏音とひまり、もう寝る準備に入っているかな。
それとも奏音はドラマを見ているだろうか。
――と、隙あらば二人のことを考えてしまう自分に気付き、思わず内心で苦笑してしまった。
佐千原さんに指摘された時はドキッとしてしまったが、俺は本当にわかりやすいのかもしれないな……。
頬のあたりに熱を感じながら、俺は電車が到着するのを待つ。
今日はそれほど飲んでいないはずなんだけどな。
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