第41話 男性客とJK
「はー、終わったぁ」
今日のバイトの就業が終了し、店内の片付けを終えたひまりは、控え室で着替えをしていた。
「ひまりちゃん、今日は指名多かったよね」
同じく着替えをしながら言ったのは、フリーターの
22歳の彼女は劇団員で、実家を出てやっていくためにお金を貯めている最中だという。
そのせいか、ひまりは彼女に共感する部分が多い。
同時に彼女の大人っぽい雰囲気と比べて、自分はまだまだ子供だなと少し劣等感も抱いてしまうのだけれど。
「えへへ。ありがたいことです」
「私ももっと頑張らないとなー」
恵蘇口は「んっ」と伸びをしてからロッカーの扉を閉める。
「よし、じゃあ先に帰るね。お疲れー」
「お疲れさまでした」
彼女の後ろ姿を見送りながら、ひまりも早く帰らないと――と支度をする手を早める。
「今日の晩ご飯は何かなぁ」
制服の上からエプロンをかけた奏音が「おかえり」と出迎えてくれる姿を考えるとお腹が減ってきた。
ひまりは奏音の料理にすっかり餌付けされてしまった。
とはいえ、今後一人暮らしをするなら料理もちゃんと覚えなきゃいけないなぁ――とぼんやりと考えながら外に出る。
外はすっかり暗くなっていた。
シフトは週3~4日の時間フリーで提出しているのだが、最近は夕方から夜にかけてシフトに入る日が多くなっていた。
夜の方が来客が多く、時給も昼間よりちょっとだけ高いので、ひまりにしては特に不満もない。
強いて言えば、晩ご飯を二人と一緒に食べられないことくらいだろうか。
その分、朝ご飯の時間をより堪能するようになったわけだが。
「まろんちゃん」
突然店内でのニックネームで呼ばれ、ひまりはビクッと肩を震わせる。
振り返ると、数時間前に接客をした恰幅の良い男性客が立っていた。
(え……?)
ひまりの頭は混乱する。
どうしてこの人がここに?
「あ、あの……?」
忘れ物でもしたのだろうか――と、ものすごく好意的に解釈しかけたひまりだが、しかしはたと思い出す。
この人が店を出たのは数時間も前なのに、今もここにいる理由は?
もしかして自分のバイトが終わるまで待ってた?
従業員の出入り口の前で? ずっと?
そう考えた瞬間、全身にゾワリとした
「まろんちゃん、お仕事終わったんだね。お疲れさま」
今のひまりは『まろん』ではない。
店の外に出てからニックネームで呼ばれることにも抵抗があった。
言ってしまえば『ひまり』も本名ではないのだが、それなりに思い入れのある名前とバイト用のニックネームでは、やはり感じ方が違う。
「家はこの近くなの? 夜だから送ってあげるよ」
にこやかに告げる男にひまりは恐怖を覚えた。
まさか、家まで着いてくるつもりなのか。
断りたい。
でも断ったら豹変してしまわないだろうか?
駒村より体重がありそうなこの体格で襲われたら――。
「あ、あの…………」
どうしよう? どうすれば穏便に断れる?
走って逃げてしまおうか。
でも追いかけてきたら?
そもそも彼の脇をすり抜けられるのか?
どうしよう。
どうしようどうしよう――。
恐怖と混乱でひまりの目の端に水滴がにじみ始めた、その時。
「うちのメイドに何か御用ですか」
凜とした男性の声が割って入る。
振り返ると、厨房担当の高塔がすぐ後ろに立っていた。
彼もシフトを終えて帰るところだったらしく、完全に私服だ。
「あ、いや。用というか……」
突然の高塔の乱入に男はかなり動揺したのか、急にしどろもどろになる。
「終業後のメイドに話しかけるのは遠慮してください」
二の句が継げない男の目を真っ直ぐと見据えながら、高塔はひまりの肩に手を置いた。
「あと店の従業員としてではなく、個人としての忠告ですが――この子、俺の彼女なんで」
「――――っ!」
高塔がキッパリと言い切ると、男は小さく舌打ちをしてから足早に去っていく。
突然の展開にひまりの頭はついていかず、ただ目を丸くして突っ立っているだけだった。
(彼女? 私が高塔さんの? え……?)
「駒村さん大丈夫?」
高塔に声をかけられ、ようやくひまりはハッと我に返る。
「あ、あぅ? は、はい。だ、大丈夫、です……」
どのような顔で高塔を見たら良いのかわからない。
ひまりがまごついていると、高塔は静かに苦笑した。
「勝手に彼女とか言ってごめん。あの手の
高塔は静かにひまりから離れる。
どうやら男を追い返すための方便だったらしい。
しかし顔色一つ変えずに嘘をつける高塔が、素直に凄いと思ってしまった。
「そうですよね……。びっくりしちゃいました」
「まあ、本気にしてもらってもいいんだけど」
「えっ――!?」
「いや、冗談だって。あといきなり触ってごめんね」
「あ、いえ……。助けてくださってありがとうございました。本当に助かりました……」
ひまりはペコリとお辞儀をする。
「ちなみにさっきの男、最近よく来てた人?」
高塔は厨房に籠もりきりなので、客の姿を見ることはほぼない。
「はい、今日も来ていました。思い返せば最近は特に見られている感じがしたんですけど――まさかこんなことになるとは思ってもいませんでした……」
「そうだったんだ。営業中にメイドに連絡先を渡してくるお客さんはこれまでにもいたみたいだけど、裏で待ち伏せしてるのは俺も初めてみたなぁ。店長に何か対策してもらうよう頼んでおくよ」
「ありがとうございます」
ひまりはもう一度丁寧に頭を下げた。
「あのお客さん、もうお店に来ないでしょうか……」
「ま、あの手の男は他に男がいると知ったら諦めるでしょ。『メイド』っていう自分の中で作っていた夢の存在がぶち壊されたわけだし」
「そう、ですよね……」
ひまりは少しだけ引っかかる。
あのお客さんは最近よく来てくれていたので、店の売り上げに確実に貢献していたのは事実だ。
「まさか、店の売り上げを気にしてる? そんなこと気にすんなって。いくら金払いが良い客でも、面倒ごとを持ち込むくらいなら来なくていいよ。他のメイドにも被害が出なくてすむしね」
「でも、もしかしたらSNSに晒されてしまうかも――」
「仮にそうなっても、営業妨害として店長が何とかしてくれるでしょ。あの人そういうのに敏感みたいだからさ」
「そうなんですか……」
高塔にそう言われて、ようやくひまりの表情が柔らかくなる。
そうだ。ファンになってくれる、トラブルを起こさない善良なお客さんをこれから増やしていけばいいだけのことだ。
ここは引き摺るのはやめて、また新たに頑張ろう。
ひまりは決意し直す。
「駒村さんは電車だったっけ?」
「は、はい」
「じゃあ駅まで送るよ」
「お願いします……」
さすがに今一人になるのは怖かったので、ひまりはその申し出を素直に受けるのだった。
「といっても、ここから一緒に出てしまうとちょっと問題だしな……」
トラブルを避けるため、男の従業員はメイドと一緒に帰宅してはいけない規則だ。
ひまりと高塔は同じ時間にバイトを終えたのだが、高塔は少し時間をずらして店から出てきたのもそれが理由だ。
しかしひまりが従業員用の出入り口から一歩も動けずにいたとは、高塔も予想していなかっただろう。
「えっと、近くの牛丼屋はわかる?」
「はい。わかります」
「そこの自販機の前で待ってるから。2分くらい待ってから来て」
「わかりました。ありがとうございます……」
ひまりはペコリとお辞儀をしてから、一度従業員用の出入り口の中に戻る。
そして空気が抜けたかのように、ペタンと座り込んでしまった。
(いや……彼女って……)
助けてくれるための方便とはわかっていても、生まれて初めて言われた単語だ。
(怖かったけど……なんか恋愛漫画みたいな展開だったな……)
現実味のない、不思議な感覚がひまりの全身を支配する。
同時に、今頃になってひまりは胸がムズムズしてきたのだった。
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