第42話 テスト勉強とJK
その日の夜は、奏音がリビングのテーブルの上に教科書と問題集とノートを広げていた。
そういえば、今まで奏音が家で勉強している姿を見たことがなかったな。
「勉強するなんて珍しいな」
「もうすぐテスト期間なんだよー……」
答える声は弱々しい。
「テストって今の時期だと期末テストか? あれ? でも先月は何もやってなかったよな」
「だって先月はテストなかったから。うちの学校3学期制じゃなくて2学期制なんだ。だから今回が今年初めての中間になるわけ」
「へー……なるほど」
俺は中学も高校も3学期制だったからそれが常識だったので、2学期制の学校もあることを初めて知った。
「――てことは、テストは年に4回ってことか?」
「そう! そこは3学期制の学校よりちょっとラクなんだよね。とはいっても、やっぱテストは嫌なんだけど……」
「まあ、頑張れ」
「うぃ……」
テンション低めに答えた奏音は、また問題集に目を戻す。
ひまりはパソコンの前でその様子をそっと見ていた。
少しそわそわしているように見えるのは、自分の学校のことを思い出したからだろうか。
そういえば、ひまりの学校の方は大丈夫なのだろうか。
気になったので聞いてみたい気もするが、本人から口にしないことをあまり詮索するのも良くないなと思いとどまる。
「うー……やっぱ無理ー……わかんないー……頭が爆発しそう……」
テーブルに突っ伏しながらぼやく奏音。
問題集に顎を乗せたまま、奏音は視線だけを俺に送ってきた。
「ねえ。かず兄が高校生の頃、得意な教科は何だった?」
「数学だな」
「わ。見た目そのまんまだ」
「悪かったな、見た目通りで」
そんなに俺は数学が好きそうな見た目をしているのだろうか。
自分ではよくわからん。
確かに「国語が得意そうですね」と言われたことは一度もないけれど……。
「いや、悪い意味じゃないって。今ちょうど数学やってるから、教えて欲しいんだけどいい?」
「俺でわかる範囲ならな」
俺が勉強していた時と今の高校生の学習内容は同じなのだろうか――という疑問もちょっと湧くが、とりあえず見てみることにした。
「ここはこの公式を使えば――」
「あ、なるほどわかった! サンキューかず兄」
俺が教科書を指し示すと、奏音は顔を明るくして問題を解く。
俺に教えることができるかと少し不安だったが、教科書を軽く読めば理解できたので助かった。
それにしても、教科書を見るのも久々だな。懐かしい。
…………高校か。
不意に頭の流れた昔の記憶は、何気ない授業の一幕。
退屈で時計の針ばかり気にしていたあの頃は、それが二度と戻らない貴重な時間だということは微塵も考えていなかった。
夢を諦めてからは、本当に日々の授業をただこなしていくだけという感覚だった。
別の打ち込める何かが見つかっていたら、俺は別の『特別な何か』になれていたのだろうか――。
そんなセンチメンタルなことを考えてしまうのは、静かな部屋に響く時計の秒針の音が原因だったのかもしれない。
次の日の夜も、奏音はテスト勉強に打ち込んでいた。
しかし俺が風呂から上がると(今日は俺が最後に入る日だった)奏音は机に突っ伏すような形で寝息を立てていた。
「寝てしまったのか」
俺が呟くと、ひまりが「しー」と人差し指を自分の口元に当てる。
そしてひまりは薄手の毛布をそっと奏音の肩にかけた。
いつもは奏音の方が母親っぽいのだが、今はまるっきり逆の印象だ。
「奏音ちゃんの学校、文化祭の準備もあるみたいなんで大変そうなんです。だから奏音ちゃん、最近ちょっと疲れているみたいで」
そういえば今月の終わりに文化祭があると言っていたな。
確かにテスト期間と重なっていると、準備に勉強にと大変そうだ。
ちょっと同情してしまう。
ひまりはしばらく奏音の寝顔を見つめていた。
その顔はやけに
「ひまりは――」
言いかけて、そこで躊躇してしまう。
聞いてもいいのだろうかと。
「はい?」
小首を傾げるひまり。
ここでやめると逆に気になるよな……。
俺は意を決して口を開く。
「学校は楽しかったのか?」
ひまりは困ったような笑顔を作る。
小さく口を開きかけて、そしてまた閉じてを繰り返したが、言葉は出ない。
俺は何も言わず、ただ待つ。
しばらく奏音の小さな寝息だけが部屋に響き――。
「正直に言うと、わかりません。嫌ではなかったですが……」
ぽつりと、消えそうな声で囁いた。
「クラスメイトの子とそれなりにお喋りはしていたけど、特別に仲が良かった友達がいたわけじゃないし。それに、両親から学校が終わったらすぐに家に帰るように言われていたので。放課後に部活をしたり友達と遊んだりとか、なかったんですよね……」
何となく、そうなんじゃないかという予想はしていた。
特別に仲が良い友達がいたなら、家出をする前にそっちに相談していただろう。
でも、ひまりにはそういう頼れる友達がいなかった。
きっと家で絵を描いている時が、ひまりの心が一番充実していた時間だったのだろう。
しかし、それは両親によって奪われてしまった――。
俺は思わず天を仰ぐ。
この前ひまりは、お金が貯まったら一度家に帰って両親と向き合うと言った。
それで、全てが上手くいけばいいのだが――。
ぐうぅぅぅぅぅぅぅぅ。
突然乱入した珍妙な音に、俺とひまりは思わず目を丸くする。
音の発生源は奏音から。
奏音の腕の隙間から見える目は、いつの間にか開いていた。
そしてとても恥ずかしそうにしている。
「ご、ごめん……」
「奏音、起きたのか」
「うん……」
「奏音ちゃん、起こしちゃいましたか? ごめんなさい……」
「ううん。ひまりのせいじゃないから……。おなかが減っただけ……」
夕食を食べ終えてから寝る前までの時間は、小腹がすくのはよくわかる。
「それじゃあ、奏音ちゃんが勉強を頑張れるように私が夜食を作ってきます」
両手を握ってなにやらやる気のひまり。
「いや、大丈夫なのか?」
「お茶漬けの素があるので、お湯を沸かすだけです。てわけでちょっと待っててね奏音ちゃん」
と、ひまりはすかさずキッチンに向かう。
「大丈夫なのか……?」
「さすがにひまりもお湯くらいは沸かせるから。かず兄心配しすぎ」
「いや、この時間に食べて、奏音が大丈夫なのか? と言いたかったんだが――」
体重的に――というのは省略したのだが、意図は伝わったらしい。
ちょっとだけ奏音の目が泳ぐ。
「えぇと……お茶漬けはお湯みたいなもんだから。お湯。つまりカロリーゼロ。だから全然問題ない」
「…………」
いきなりとんでも理論を披露した奏音。
そのうち「汁物は全部お湯だし」とか言い出しそうだ。
まぁ、食べて勉強が頑張れるならそれで良いと思うが。
「ふぁっ!? 熱っ!? 湯気が熱いです!」
そのタイミングでひまりのポンコツな悲鳴がキッチンから聞こえてくる。
俺と奏音は思わず顔を見合わせて苦笑してしまった。
それから数日後――。
「かず兄、テストが返ってきた! 今回1つも赤点なかったよ! 数学に至っては私の過去最高点!」
と、勉強の甲斐があったことを、笑顔で報告してくれた。
自分が教えた成果が出ると嬉しいものだな。
家庭教師のバイトはしたことがないが、今だけその気分を味わえたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます