第43話 初料理とJK

 朝――。


 起きて間もなく俺はすぐにテレビを付け、朝の情報番組にチャンネルを合わせるのが日課だ。

 これは二人がうちに来る前からの習慣でもある。


 一番の目的は天気予報を見るためだが、常に画面の隅に表示されている現在の時刻も、朝の生活リズムを保つのに助かっている。


 部屋の時計を見るより、テレビ画面の時計の方がなぜか実感しやすいのだ。



 いつものように朝食を食べ終え、着替えながらテレビを見ていると、芸能トピックからニュースに切り替わった。


『電車内で痴漢をしたとして、○○署は17日、迷惑防止条例違反容疑で、区内に住む男(57)を逮捕、送検したと発表しました。』


「ん……?」


『痴漢』という単語に思わず反応してしまう。


 そして映し出されたのは、ひまりと初めて会話をしたあの駅構内だった。

 ひまりもそれに気付いたらしく、俺と目が合う。


『送検容疑は10日午前10時ごろ、走行中の電車内で、背中合わせで立っていた女子高生の下半身を触ったとしています。

 同署によると、私服で警戒中の鉄道警察隊員が○○駅で頻繁に周りを見回すなど、不審な行動をしている男を発見。

 複数の隊員が周囲に立って監視を続けていたところ女子高生に痴漢をしたのを確認し、現行犯逮捕しました。男は容疑を認めているということです。』


 そこで映像が切り替わり、次のニュースが始まった。


 もしかして逮捕されたのは、ひまりに痴漢をしたあのおっさんだろうか。

 あの駅だし、見た目の年齢的にも近い気がする。

 だとしたら朗報だ。


「痴漢するおっさんとかマジ何考えてるんだろうね? ほんと最悪だしこの世から消えてほしい」


 100%のオレンジジュースを飲みながら奏音がぼやく。


「うん、そうだね。でも捕まって良かった……」


 ひまりも小さく呟いた。


 あのおっさんかどうかはわからないが、これで不快な思いをする女性が減ったのは事実だ。


 あの時、おっさんに逃げられたことは心の隅にずっと引っかかっていたんだよな。


 もう一度ひまりの顔をチラリと見ると、心なしか表情が明るくなっているように見えた。






 仕事から帰宅すると、キッチンに奏音のエプロンを身に着けてやる気満々のひまりが立っていた。


「あ、おかえりなさい駒村さん」

「ただいま。……どうしたんだ、そんな恰好をして」


 俺がエプロンのことを指摘すると、ひまりは得意そうに腰に手を当てて胸を張り――。


「今日は私が晩ご飯を作ります!」


 自信満々に宣言した。


「ひまりが?」


 奏音の手伝いをするという意味だろうか、と側に立つ奏音を見ると、彼女は隠せない不安オーラをまとっていた。


「ひまり、今日は一人で作るって言うんだよ」


 奏音の言葉に、俺は思わず目を丸くしてしまった。


「え。大丈夫か?」

「大丈夫です! バイト先で私もいっぱい見て勉強してますから!」


『見て勉強』という部分が引っかかる。

 それはつまり、まだ実際に作ったことがないということでは……。


「今まで駒村さんと奏音ちゃんにはたくさん迷惑をかけてしまってますから……。少しでもそのお礼がしたいんです。それに……」


「それに?」

「あ、いえ……。個人的にちょっと安心したというか、区切りがついたというか……」


 ごにょごにょと語尾が小さくなる。


 奏音は頭の上に疑問符を浮かべるばかりだが、俺は何となくだが察してしまった。


 今朝の痴漢逮捕のニュースのことではなかろうか。


 逮捕された奴がひまりに痴漢をはたらいたあのおっさんという確証はないが、それでも何となくそうなのではないかという気もする。

 ただの勘でしかないが。


 世の中、悪いことをするとちゃんと自分に返ってくるもんだなと改めて実感したが――俺のしていることも『悪いこと』なのだろうなと考えてしまう。

 確かに法律上『悪いこと』なのは自分でもわかってはいるのだが……。


 そもそも、あの痴漢のおっさんがきっかけでひまりと出会ったわけなんだよな――。


 ……いや、今はそれを考えるのはやめよう。


「と、とにかく、大丈夫です! 作り方は本当にちゃんと覚えてます!」


「そこまで言うなら、今日はひまりが作ったご飯をご馳走してもらおう」

「はい! 頑張ります!」


 気合だけは十分と言わんばかりに、朗らかに返事をするひまり。

 しかし奏音はまだ心配そうだ。


「本当に大丈夫? 火傷しないようにね? 何かあったらすぐに手伝うからね?」


 どうやら料理が上手くできるかというより、ひまりが怪我をしないかが心配らしい。

 過保護か。


「というわけで、駒村さんは先にお風呂に入ってくださいね」

「わかった……」


 満面の笑みで言われたら従うしかない。

 ひまりの言う通り、俺はおとなしく洗面所に向かうのだった。






 風呂のすぐ隣がキッチンだ。


 そのせいか湯船に浸かっていると、「わぁっ!?」「熱いですっ!?」と、ひまりの短い悲鳴が途切れ途切れに聞こえてくる。


 ……本当に大丈夫だろうか?


 今さらながら不安になってきた。

 いざとなったら頼むぞ奏音……。






 心が全く安らげなかった風呂から上がると、テーブルの上にはミートスパゲッティが三人分並んでいた。

 粉チーズも置いてある。匂いも良い感じだ。


 失礼かもしれないが、悲惨な状態の料理が並んでいるのも想像していたので、綺麗な状態であることにまず安堵した。


「おぉ。美味そうじゃないか!」


 素直に感心を表したのだが、ひまりの返事がない。

 彼女の方を見ると、なぜかぷるぷると震えていた。


「ひまり……?」

「で、できた……。私にもできた……。頑張って盗み見た甲斐があった……」


 感無量といった様子で小さく呟く。


 自分で自分に感動してるのか、これは……。


「えへへ。駒村さん、私頑張りました! 一人で作れちゃいました!」

「そ、そうだな」

「だいぶ危なっかしかったけどね……」


 苦笑する奏音の後ろの流し台の中は、鍋と皿が積みあがってぐちゃぐちゃだ。

 かなり格闘したんだなということがうかがえる。


 俺が料理を面倒に思うのはこれなんだよな。

 作るだけで終わらない。

 片付けまでがセットってところだ……。


 だから奏音がその作業の半分を担ってくれるようになって、本当にありがたく思っている。


「ちなみに奏音は手伝ったのか?」

「んーん。ひまりが一人でやるって聞かなかったからさ」


 風呂場でひまりの悲鳴が聞こえていたのでもしやと思っていたが、どうやらひまりは最後までやりきったらしい。

 これは感動したくもなるか。


 よし。せっかく作ってくれたのだし、早く食べよう。


 俺たちはテーブルに着き、早速手を合わせてフォークを取る。


「いただきます!」


 ひまりは俺と奏音がスパゲッティを口に運ぶのを、固唾を呑んで見守っている。


 緊張しながらパクリと一口。


 うむ、これは……。


 しっかりとした味付けのミートソースが美味い。


 パスタはちょっとだけ茹ですぎな気もするが、ミートソースの絶妙な濃さがその少しのマイナス部分を中和してくれるので、ほとんど気にならない。


 粉チーズも振りかけるとマイルドさも加わって、美味しさはさらにアップ。

 初めて作ったにしては、これはかなり高得点ではなかろうか。


「美味い」

「うん、おいしいよひまり!」

「はう、良かったぁ……」


 俺と奏音が素直な感想を伝えると、ようやくひまりは安堵の息をき、笑顔を見せた。


「お店の味も褒められたみたいで嬉しいです」


 正直に言うと、これはメイドがいなくてもリピーターが取れる味かもしれない。

 こういう『たくさん食べても飽きない味』というのは大事な要素だ。


「お湯を沸かすのも危なっかしくてハラハラしてたんだけど、ちゃんと作れちゃった……。ひまり、成長したねぇ……」


 奏音はなぜか、いたく感動していた。

 お前は母親か。




 こうしてひまりが初めて一人で作った晩ご飯は成功に終わったのだが――。

 ぐちゃぐちゃの流し台の中を片付けるのがちょっと大変そうだったのは付け足しておく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る