第59話 文化祭とJK②
ケーキを食べ終えた俺たちは、奏音の教室を出てから再び案内の紙を見ていた。
校内の地図だけでなく、体育館のステージで開催される劇や歌、ダンスなどのプログラムも書かれている。
「次はどこに行きましょうか?」
「うーん……。先に食い物系を回ってみるか? 後からだと売り切れになるかもしれないし」
「確かにそうですね。食べられなくて後悔するより、満腹感で後悔したいです。では屋台が集まっている中庭に向かいましょう!」
早速歩き出すが、ひまりの足取りがやけに軽やかだ。
実に楽しそうな様子が伝わってきて、つられて口の端が上がってしまう。
「それにしてもさっきの奏音ちゃんのコスプレ、とても可愛かったですね……」
「確かに可愛かったな」
「私も、いつかウエディングドレスを――」
と言いかけて、ひまりは「あ、な、何でもないです!」と手をパタパタと振った。
まぁ、俺も反応に困るからその方が助かる。
「私たちの前に並んでいた女の子たちが奏音ちゃんを褒めてて、私も鼻が高かったですよ。『どや。うちの奏音ちゃんは可愛いやろ? ふふん』って」
何でいきなり関西弁?
というか、完全に身内の心境じゃないかそれ……。
いや、確かに身内と言えば身内だけれども。
でも、そうだよな……。
俺たちは
――あと、2ヶ月弱。
突然、ひまりが決めた期限が頭の中をチラつく。
余裕があるようでいて、きっと体感的には短いだろう。
彼女との別れを想像して『寂しい』と感じてしまっている自分の心を、もう否定するつもりはなかった。
屋台の食べ物を一通り食べよう――と意気込んで行った俺たちだが、結果的に2品食べただけで終えてしまった。
というのも、最初に食べたのが『ジャンボ唐揚げ』、次に食べたのが『カレー』という腹に溜まるメニューだったからだ。
手前にある店から順番に行っただけなのだが、完全に戦略ミスだ。
正直に言うと俺はまだいけるのだが、ひまりを差し置いて俺だけ――というのも気が引けるので彼女に合わせることにした。
「うー……思った以上にお腹に溜まってしまいました。フランクフルトやタコ焼きやクレープも食べたかったのに……」
「ひとまず体育館にでも行くか。少し経ったらまた食べられる状態になるかもしれないし」
「そうします……」
奏音だったら屋台のメニュー全部食べても余裕そうだよな。
と、ついそんなことを考えながら中庭を後にするのだった。
体育館に入ると、ステージ以外の照明が落とされていた。
ステージ上では、複数の女の子たちがアップテンポの曲に合わせて踊っている。
「今はダンス部のステージみたいですね」
ひまりがプログラムを確認しながら言う。
様々な色のスポットライトが派手に付いたり消えたりしているので、ひまりのその横顔も鮮やかになっていた。
女の子たちは一糸乱れぬ激しい動きを披露し続ける。
この日のために相当練習したことが
彼女たちの懸命な様子に触発されてか、かつて自分が打ち込んできたことが脳内を掠めていく。
俺は確かに『特別』にはなれなかったけれど。
一つのことに一生懸命だったあの日々は、確かに事実として自分の中に在り続けているわけで――。
そして彼女たちは、間違いなく『今』一生懸命だ。
ステージ上で動き回る名前も知らない年下の女の子たちが、俺にはやけに眩しく見えた。
その後展示コーナーをぐるっと見て回っても結局ひまりの胃に空きはできず、俺たちは少し早めに学校を後にすることとなった。
まぁ、一番の目的である奏音のコスプレ喫茶は行けたからな。俺は特に心残りはない。
ひまりは「フランクフルト……タコ焼き……クレープ……」と未練たらたらだけど。
フランクフルトもタコ焼きもクレープも、スーパーやコンビニでいつでも買えるわけだが――でもきっとそうじゃないんだよな。
非日常な場所で食べることが楽しいんだよな。
「あの、駒村さん。ちょっと寄りたい所があるんですが」
駅に向かっていた途中で、突然ひまりが口を開く。
「ん、どうした」
「えぇと……その、本を買いたいなと思って。もちろん、お金は私のバイト代から出しますので」
「そうか。本屋に行くくらいなら別に構わないぞ」
そういうわけで、寄り道をすることになった。
ひまりの先導でやってきたのは、いわゆる『オタク系』の店が並ぶ界隈だった。
休日なだけあって通りを歩く人が多い。
ひまりのメイド喫茶に行った時も思ったのだが、俺はこういう店が並ぶ場所にはほとんど行ったことがないので、目に入る店全てが珍しく映る。
ちょっとした観光気分で歩いていた、その時。
突然ひまりが俺の腕を強く引き、ビルとビルの間の細い路地に引っ張っていく
「――!? ど、どうしたひまり!?」
ひまりは答えない。薄暗く、細い路地の奥へ急ぐばかりだ。
俺の腕を強く握る彼女から伝わってくるのは、強い焦り。
濃い油の匂いが漂っている。これは中華料理屋の裏手だからか。
「すみません、駒村さん……。ちょっと隠れさせてください」
ようやく足を止め、小声で呟くひまりの顔は青い。
ひまりはビルの壁にピタリと背を付け、電気メーターで顔が隠れるようにする。
そして俺の服の裾をギュッと摘まむ。その手は少し震えていた。
人がすれ違えないほど狭い場所なので、まるで俺がひまりを『壁ドン』しているような格好になってしまった。
理由を問おうとした直後、先にひまりが口を開く。
「そこに、私の……私の家の関係者がいたんです……。まさか、ここまで捜しに来てるなんて……」
それを聞いた瞬間、自分の体温が一気に冷えていく感覚を覚えた。
「……どういう人だ?」
「20歳くらいの若い女の人です。長い黒髪で、背は私よりちょっと高くて。白いシャツを着ていて……」
俺は横目で通りの方を見る。
細い路地裏から見えるのは、老若男女様々な人間が一瞬で通りすぎていく様子。
こんな薄暗くて狭い場所に目を向ける者はいない。
だがそれでも俺は、ひまりが通りから見えないように腕でそっと彼女の体を囲う。
通りから聞こえる賑やかな音とは裏腹に、痛いほどの緊張感が俺とひまりの周囲にだけあった。
しばらく通りを眺めていたら――。
「あ…………」
ひまりが言った特徴の女性がちょうど通りかかり――。
そして、一瞬目が合った。
まるで鷹のような、鋭い眼光だった。
「――――っ!」
思わず息を呑んでしまう。
落ち着け。ひまりの姿は見えないはずだ。
向こうから見たら、俺たちは狭い路地裏でイチャついてる男女にしか見えないはずだ。
こちらを見た女性は――。
『まずい現場を見た』といった様子でそのまま前を向き、通りすぎていった。
心臓が倍の速度で脈打っているのがわかる。
背中にじわりと嫌な汗も滲む。
まるで走った直後のように呼吸が乱れていた。
俺はしばらくの間動かなかった。いや、動けなかった。
どれくらいの間、俺たちはそうしていたのだろうか。
ただ、俺はその間何も考えることができなかった。
ひまりを家に匿っていることがバレたらどうしようとか、それさえも考えることができなくて。
ただ、頭の中が真っ白だった。
「あ、あの……駒村さん……」
ひまりの呼びかけにようやく俺は我に返る。
今さらだが、ひまりとの距離が随分近いな――と、そのことに関してだけは妙な余裕があった。
「まだ、いますか?」
「……ちょっと見てくる」
ひまりから離れ、俺は路地裏から通りに出る。
先ほどの女性が向かった方角を念入りに見るが、それらしき人物は見当たらない。
俺は手で丸印を作り、無言のままひまりに伝える。
ひまりはおそるおそる路地裏から出てきた。
「なぁ、さっきの人は――」
「それは……。歩きながらじゃなくて、帰ってからお話ししてもいいですか……?」
確かに、今は一刻も早くここから離れた方が良いだろう。というか離れたい。
寄り道を取りやめ、俺とひまりは足早に駅に向かうのだった。
※ ※ ※
文化祭を終えた学校の中では、全員による片付けに入っていた。
奏音のクラスも皆制服に着替え終え、着々と撤去作業が行われている。
「いやぁ。あんなに人が来るとは思わなかったね」
「ほんとほんと。そういや奏音、この前のいとこ来てたじゃん」
「もう一人のお兄さんもいとこなんだっけ?」
壁の飾り付けを剥がしながら、ゆいことうららが奏音に言う。
「うん。二人とも来てくれて良かったよ。ちょっと恥ずかしかったけど……」
「またまたぁ、そんなこと言っちゃって。超似合ってたじゃん」
「うーん。あれは誰が着ても似合うと思うけどな……」
「そんなものかねぇ?」
「いや、私は無理だって。あの膝丈は無理」
お喋りをしながらも、片付けはどんどん進んでいく。
準備はとても時間がかかったのに、片付けるのは倍以上のスピードで進んでいくのが少し寂しいな――と奏音は思う。
今年の文化祭は本当に楽しかった。
何より、和輝とひまりが来てくれたことが大きい。
ちなみに今日の文化祭に、母親が来ていないことはわかっていた。
母親に送った文化祭のチケットの写真に、今朝の時点で既読の文字が付いていなかったからだ。
でも母親は去年も仕事で来られなかったので、それに関しては奏音は特にがっかりはしていない。
「あー、ごめん。ちょっとトイレ行ってくる」
「あいよ。いってらっしゃーい」
奏音は小走りでトイレに向かう。
個室の扉を閉めたそのタイミングで、スカートのポケットに入れていたスマホが振動した。
ポケットからスマホを取り出し、画面を確認すると。
「え――」
奏音は思わず声を出して固まってしまった。
スマホの通知欄にあったのは、SNSのアイコンと『お母さん』という名前。
――まさか、今返事がくるなんて。
これまで何を送っても返事がなかったというのに。
一体、何が書かれているのだろうか……。
奏音は震える指でその通知をタップする。
SNSの画面が開き、そこに書かれていたのは2つの短い言葉。
『ちょっと疲れた』
『ごめん』
「………………」
しばらく奏音はその2行をジッと眺めていた。
やがて奏音の目から、とめどなく涙が溢れ始める。
どういう意味を込めての言葉なのか、これだけではサッパリわからない。
けれど奏音の胸いっぱいに広がるのは、ただただ悲しくてやるせない気持ちだった。
※ ※ ※
家に帰ってお茶を飲んだ俺とひまりは、お互い無言でキッチンに立っていた。
「駒村さん……」
ひまりの呼びかけに、俺は思わず身構える。
『さっきの続き』を聞くために。
ひまりは鉛のように重い息を吐き、また息を吸って――そしてようやく「私の家は――」と切り出した。
「おじいちゃんの代から、剣道の道場を経営しているんです……。全国大会に行く人をたくさん輩出していて、業界内では割と有名なんです……」
ひまりは息を継いでから、さらに続ける。
「さっきの人は、私が子供の頃から道場に在籍していて……。私もよく遊んでもらってた方なんです。そして、私の趣味についてもよく知っていて――。どうしよう駒村さん……。私、見つかってしまうかもしれません……」
泣きそうな顔で訴えるひまりに、俺は何も返すことができない。
ただ、激しい焦燥感だけが胸に広がるばかりだった。
第2部 終
──────────
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現在第3部を書き溜め中です。
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