第3部 気付きと迷い・それぞれの道

第60話 帰宅とJK

 薄暗い部屋の中。

 電気のスイッチを入れることなく、俺とひまりはキッチンの椅子に腰掛けていた。


 ひまりは両手を太腿の中に入れ、背中を丸めて俯いている。

 俺は肘を組み、見慣れた天井を仰いでいた。


 帰ってきてから二人してなんとなく座ったものの、俺もひまりも言葉が出てこないままだ。

 キッチンには雪が降り積もったかのような、重く冷えた空気が広がるばかり。


 俺は天井を見ながら、帰宅途中でひまりが言った言葉を思い出す。


 ひまりの家、剣道の道場をやっていたのか……。


 確かに以前、『小学生の時に剣道をやっていた』と言っていた気がする。

 でもまさか、ひまりの家が教える側の方だったとは思っていなかった。


 うーん……。

 いつまで沈黙していても仕方がないな。

 俺は意を決して口を開く。


「さっき見た女の人は、ひまりのことをよく知っているんだよな?」

「はい……」


「で、ひまりの趣味も知っているからあそこまで捜しに来たと」

「そうだと思います……」


「となると、今後はあの近辺に近付くのはやめた方がいいだろうな」

「そうします……。駒村さんすみません。私が寄り道をしたいと言わなければ、こんなことには……」


「とは言っても、まだ見つかったわけじゃないだろ。ひまりのバイト先は、あそこから二駅離れた場所にあるわけだし」


 あの人があの場所に絞って捜し続ける限りは、ひまりのバイト先まで特定される可能性は低いはずだ。

 ……低いと思いたい。


「確かにバイト先からは、ちょっとだけ離れてますけど……」

「それとも、この機会に帰るか?」

「――――!」


 俯いていたひまりの顔が跳ね上がる。

 言葉にせずとも、半泣きになりそうな顔がひまりの気持ちを雄弁に語っていた。

 俺は小さくため息を吐く。


「ひまりの気持ちが変わらない限りは、今以上に気をつけて生活するしかない。結局、行き着く答えはこれにしかならないと思うんだが」


「そう……ですよね……」


 再び俯くひまり。

 俺にはこれ以上の答えを出すことができない。


 ここで「帰れ」と言うのは簡単だが、今まで匿ってきたのに今さらそれを言うのは無責任だと思ってしまう。


 もし俺が、最初からもっと非情になれていたのなら――。


 もうどうすることもできない過去を少し悔いたところで、ガチャリと玄関のドアが開く。奏音が帰ってきたのだ。


「おう。おかえり」

「奏音ちゃんおかえりなさい」

「ただいま……」


 靴を脱ぎながら覇気のない声で答える奏音。視線もこちらに向かない。


「元気ないな。さすがに疲れたか?」

「うん……ちょっとね……」


 相変わらず目を合わせない奏音。

 俺はその態度に違和感を覚える。


 ただ疲れたにしては、何かおかしいというか――。

 もしかして、昼休憩の時に俺が言ったことを引き摺っているのだろうか。


「悪いけどさ、今日のご飯は簡単なやつでいい?」

「いえ、奏音ちゃんはゆっくり休んでください。今日のご飯は私と駒村さんで作ります!」


「えっ!?」

「え――?」


 ひまりの申し出に、奏音だけでなく俺もビックリしてしまった。

 いや、何も聞いてないんだが?


 ひまりは両拳をグッと握り、口を『へ』の字の形にしている。目も爛々と輝いていた。

「やりましょう」という無言の圧力を感じる。


 まぁ、今日くらいは奏音をゆっくり休ませてあげたいのも事実。

 ここはちょっと頑張ってみるか。気分転換にもなるだろうし。


「大丈夫……?」


 不安そうにこちらを見てくる奏音。

 その表情に少なからず俺のプライドが刺激された。


「大丈夫だ。俺は奏音が来る前は一人暮らしをしてたんだぞ」

「でも、ほとんど自炊はしてなかったんでしょ?」

「確かにそうだが――経験がゼロってわけじゃない」


 しかし奏音は何が不満なのか、露骨に眉間に皺を寄せて見せた。

 そこはもう少し信頼してくれても良くないか? ちょっと悲しいぞ……。


「てわけで、奏音は先に風呂に入れ」

「ん…………。わかった」


 覇気のない返事をした後、着替えを持って洗面所に向かう奏音。

 有無を言わさぬ俺の命令に観念したらしい。


「奏音ちゃん、相当疲れているみたいですね……」


 奏音が洗面所のドアを閉めた後、ひまりが小さく呟く。

 しかしあの元気のなさ、疲れ以外の要因もある気がするのだが──。

 俺の勘違いかもしれないし、今は黙っておくことにした。




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