第32話 ネイルとJK
友梨も一緒に夕食を食べ終えた後、俺は洗面所に移動していた。
「――ってわけで、そいつの連絡先だけ聞いた」
『そうか……』
電話の向こうで神妙な空気を醸し出す親父。
奏音の様子を聞くため、また親父が電話してきたのだ。
先日の『村雲襲撃事件』はさすがに報告したが、詳細は誤魔化しつつ――という感じにした。
当たり前だが、ひまりのことは親父には言っていない。
「ところで母さんの方は――」
『順調に回復してる。今月中には退院できるそうだ』
「……良かった」
ひとまず安心する。
が、俺にはそれとは別の懸念があった。
だから先手を打つことにした。
「なあ親父。母さんが退院しても、奏音は俺の家で面倒を見るよ」
『そうしてくれるとこっちとしては助かるが……和輝はそれでいいのか?』
「うちからの方が奏音の学校に近いから便利だろうし。それに奏音の方も慣れてきたところでまた環境が変わるのは、大変だと思うんだ」
『それはそうだな……』
奏音は元々、俺の実家の方に頼りに行っている。
まあ、普通に考えれば当然の行動だが(そもそも俺の家を知らなかったわけだし)母さんの性格を思うと、『うちにいらっしゃい』と言いかねないと思ったのだ。
仮にそうなった場合、俺とひまりの二人暮らしになってしまう。
今のこの生活は、危ういバランスの上で成り立っていることは自覚している。
だから奏音がいなくなることで、ひまりの存在が周囲にバレるリスクが上がってしまうのは間違いないだろう。
俺は、それを避けたかった。
つくづく、自分の計算めいた性格が嫌になる。
だがひまりのこととは別に、奏音の作るご飯をもう少し食べたい――というのも本音だった。
当然、それは言わなかったけれど。
『でも和輝、お前の方が奏音ちゃんの世話になりっぱなしになってないだろうな?』
「そ、そんなことないし」
少し動揺してしまった。
料理に関しては、完全に奏音の世話になってしまっているからな……。
『本当かぁ? あまり奏音ちゃんに醜態を晒すなよ』
「わかってるよ。じゃあ切るから」
これ以上ツッコまれるのが嫌だったので、俺は強引に電話を終了するのだった。
洗面所から出ると、友梨を含む三人がリビングでワイワイと楽しそうにしていた。
テーブルの上には、色の付いた小さな容器がたくさん並んでいる。
あれは何だろう――マニキュアか?
「この青系のラメ入りのやつ可愛いね。あ、でもこっちのパール系の方も好きかも……。うーん悩む」
代わる代わる容器を持ちながら、顎に手をやる奏音。
「ふふっ。奏音ちゃんはキラキラしたやつが好きみたいだね。ひまりちゃんは?」
奏音のテンションとは
「私は――こういうの今までやったことがなくて……。そんなに興味がなかったから――」
とひまりが言ったところで彼女と目が合った。
ひまりは「あ」と小声を洩らすと、「で、でも見るのは好きです! パステル色が可愛いと思います!」となぜか慌てて取り繕う。
俺は別に、女の子がお洒落に興味があろうがなかろうが、そこは全然気にしないんだけどな。
「ねえひまり。私の爪塗ってくんない?」
「へっ?」
奏音の突然の提案に、ひまりはビクリと肩を震わせる。
「ひまりって絵が上手いからさー」
「でも私、爪は塗ったことないし。上手くできるかどうか……」
「じゃあやってみればいーじゃん。ひまりって色のセンスありそうだしさ。ってことではい、やってみよー」
奏音はにこやかに手をひまりに差し出す。
ひまりは困惑していたが、「失敗したらごめんね……」と静かにマニキュアに手を伸ばした。
これは、あまりジロジロ見るのはやめておいた方が良さそうだな。
俺は自分の部屋に待避して、しばらく放置していたスマホのゲームをすることにした。
リビングからは、断続的に楽しそうな声が聞こえてきていた。
「ひまり、マジで上手いし。いきなりこんなグラデーションできないよ。マジで綺麗」
「そ、そうかな……」
「うんうん。私が初めて塗った時はマットな質感のやつだったせいもあるけど、色ムラが凄くてちょっとヘコんだなぁ。私もひまりちゃんにやってもらっていいかな?」
「は、はい。私で良ければ……。友梨さんは何色ベースでいきますか?」
「んー、そうだなぁ」
ほとんど実況してくれているようなものなので、自分の部屋にいながら何となく色だけは想像できてしまった。
出てくる単語はあまり理解できなかったけれど。
その後も三人はお喋りに花を咲かせながらしばらく過ごし――。
「あ、かずき君。私そろそろお
友梨が声を上げたので時計を見ると、20時半を回ったところだった。
もうこんな時間か。
会話を聞きながらだらだらとゲームをやってただけで、時間を消費してしまった。
リビングに出て行くと、テーブルの上には色とりどりのマニキュアが並んでいた。
友梨、こんなに持ってきていたのか。
あとちょっと、部屋にシンナーっぽい匂いが充満している。
換気扇を回さなければ。
友梨は既に帰り支度を終え、靴を履いていた。
俺たちは玄関で友梨を見送る。
「今日は遅くまでごめんね。かずき君、また寄るね」
「あぁ。気をつけてな」
「うん。奏音ちゃんもひまりちゃんも、今日はありがとう」
「こちらこそ」
「おやすみなさい」
奏音とひまりは笑顔で手を振ると、友梨は玄関を後にした。
その二人の指先が鮮やかで、つい目が行ってしまった。
俺の視線に気付いたのか、奏音がすかさず手を見せてくる。
「かず兄、見てこれ。ひまりに塗ってもらったんだよ」
「へー。凄いじゃないか」
「だよね」
淡い水色と黄色がグラデーションになり、先の方にキラキラとしたラメが付いている。
俺はマニキュアには全然興味がないし、むしろ女性の爪は自然な爪の方が好きとさえ思っている。
でも、この色合いは素直に綺麗だと思った。
「あ、あの。私のは友梨さんに塗ってもらったんですけど……。私、こういうの初めてで……。変じゃないですか?」
ひまりもそう言いながら、おずおずと手を見せてきた。
ひまりのはシンプルなピンク色で、とてもツルンとしている。
そして両方の小指にだけ、白い蝶が描かれていた。
友梨がこんなに上手に絵を描けるわけがないので、たぶんシールだろう。
「いや、可愛いんじゃないか?」
「ほ、本当ですか?」
「うん」
「やった……!」
途端にひまりの顔がパアッと明るくなる。
くどいようだが、俺は本当にマニキュアには興味がないので
そこはさすが、妹がいる友梨のチョイスだな。
「さあ、お前ら。どっちが先でもいいから早く風呂に入れー」
「はーい」
返事をして玄関から離れる二人。
そして部屋に向かいながら、お互いに顔を見合わせて「えへへ」「ふふっ」と笑い合っていた。
何かよくわからんが楽しそうだな。
爪を塗っただけでこんなにご機嫌になれる女子高生たちが、少し羨ましくもあった。
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