第30話 目玉焼きとJK

 友梨が時々様子を覗きに来ることになったが、それ以外は以前と同じような生活を保っていた。


 これといったトラブルもなく、何日か経過して――。




 日中の日射しが少し強く感じられるようになった、ある休日の朝。


 キッチンのテーブルの上には、トーストと目玉焼きとオニオンスープ、そしてヨーグルトが並んでいた。


 栄養的には野菜が欲しいところだが、「野菜は案外高いから夜だけね」とは奏音談。


 俺は別に、朝に野菜を食べなくても気にしないから問題ない。


 むしろ二人と初めて食べた朝食メニューに、二品追加されているだけでかなり満足している。


 一人暮らしだと、一品足すのも面倒くさいからな……。


 俺はいつものように、目玉焼きに醤油をかけて――。


「かず兄。私にも醤油かして」

「え――?」


 奏音が俺の持つ醤油差しに手を伸ばした。


 奏音は目玉焼きにはケチャップ派なはず。

 それも重度の。


「いったいどうしたんだ? 突然……」


「いや……。その、たまには醤油をかけてみても良いかな~って。かず兄が好きな味がどんなんか、知っておきたいし……」


 最後の方はごにょごにょして上手く聞き取れなかった。


 間髪入れず、今度はひまりが勢いよく挙手する。


「わ、私も醤油をかけたいです……!」

「ひまりもか?」


 俺は信じられない気持ちでいっぱいだった。


 あれだけケチャップだ塩だと醜い言い争いをしたのに……。


「そうか。ついにお前らも目玉焼きに醤油の素晴らしさに気付いたんだな。俺は嬉しいぞ」


「いや。でも一番はケチャップだから」

「塩です」

「………………」


 お前ら、言ってることと行動が矛盾してるぞ……?


 でもまぁ、いいか……。


 そういうわけで、今日は全員の目玉焼きに醤油がかかったのだった。






 その日の昼。


 俺と奏音はリビングのソファに座り、テレビを見ていた。


 もっとも奏音はスマホをいじっているので、テレビはほとんど見ていないだろうが。


 ひまりはいつものように、俺の部屋でパソコンに向かっている。


「あのさぁ、かず兄」


 スマホから目を離さず、奏音が話しかけてくる。


「どうした」


「私って、可愛い?」


「――――え?」


 唐突すぎる質問に、思考も体も硬直してしまった。


 いや、俺は可愛い方だと思っているが……どうして奏音は、いきなりこんなことを聞いてくるのだろうか?


 そっちの方が気になってしまい、即座に返事ができなかった。


「もう。なんでそこで固まるの」

「いや、そう言われても……」


「ごめん、変な意味じゃないよ。ただお母さんは私のこと、可愛いと思っていたのかなぁって思っただけ」


「………………」


 特に気にしていないような口調で言うものだから、逆に俺の方が挙動不審になってしまった。


 それは――俺にはわからない。


 俺は親になったことがないし、仮に親になったとしても、自分の子供のことを可愛いと思えるのか――今の時点ではハッキリと断言することなどできない。


「私より、あのおじさんを優先したってことだよね。私はあのおじさんよりどうでも良い存在なんだなって思うと、かなりショックだよなって」


「奏音……」


 正直に言うと、村雲は叔母さんに遊ばれたか、『何かの目的』のために利用されただけ――というのが俺の印象なのだが。


 当然、真相はわからない。


 これは俺の勘でしかないので、まったく見当違いの可能性もある。


 リビングに沈黙が渡る。

 バラエティ番組の司会の声が意味のない音となって、俺の耳を素通りし続け――。


「駒村さん……奏音ちゃん……」


 直後、俺と奏音の背後から、幽霊のようにひまりがぬうっと現れた。


 ……ちょっと、いや、かなりびっくりした。


「わ、びっくりしたじゃん! どしたのひまり?」


「で――――」


「で?」


「できました……! ついに絵が完成しました! さっき賞に送っちゃいました!」


 ひまりは頬を紅潮させ、興奮しながら両手を上に突き上げた。


 目の下には隈ができているが、彼女の満面の笑顔が疲れを一切感じさせない。


 本当に、やりきった顔をしていた。


「おぉっ!?」

「マジで!? すごい! やったじゃん!」


 ひまりに抱きつく奏音。


 こういうスキンシップが簡単にできるところが、女子高生の特権だよな……。


「えへへ。ありがとう奏音ちゃん。奏音ちゃんが毎日美味しいご飯を作ってくれたおかげだよ」


「いや、頑張ったのはひまりだから!」


 ひまりの頭をくしゃくしゃに撫でる奏音。ひまりは照れくさそうに笑ってから、俺の方を見た。


「駒村さん、本当にありがとうございました! 私ついに、夢に向けて一歩進むことができました!」

「あぁ……」


 俺は何て言えば良いのかわからなかった。


「よくやった」では偉そうだし、「おめでとう」というにはまだ早い気がする。

 でも、俺も気持ちが高揚していたのは紛れもない事実だった。


 そこで、俺はようやくあることに気付く。


 なぜ、ひまりを応援したいのか。


 どうして、こんなリスクを負ってまでひまりの夢の手伝いをしているのか。


 それは、俺がなることができなかった『特別な人』に、ひまりならなれるかもしれないと期待しているから。


 自分の叶えられなかった夢を、ひまりに託しているから――。


 思わず、笑いそうになってしまった。

 あまりにも、自分勝手な願いで。


 あぁ、本当に自分勝手だ。


 でも、それでも良い――と今は思う。


 大人って自分勝手で、高校生の時とそんなに心は変わらなくて、それでいて、窮屈なんだ。


 その言葉を出すことなく、俺はただ静かに微笑んだ。





「ねえかず兄。今日の夜は外食にしない?」


「そうだな。せっかくだし、今日は外に食べに行くか。ひまりのお祝いだ」


 奏音の提案を採用する。

 まぁ、今日くらいはいいだろう。


「やった!」

「いや、お前じゃなくてひまりのためだからな?」


「わかってるって! ひまりどうする? 何が食べたい?」

「えっと……そうだなぁ……」


 天井を見上げながら考え込むひまり。

 目を輝かせながら、奏音はひまりの言葉を待っている。


 あぁ、何かこの感じ、家族みたいだな――。


 二人を見ながら、咄嗟にそんなことを思ってしまった。

 いつ壊れてもおかしくない、いびつで危うい家族だけれど。





 …………白状すると。


 二人がこんな俺に対し、信頼以上の感情を寄せ始めてくれていることには、何となくだが気付いている。


 でも俺は気付かない振りをするし、これからも続けるだろう。


 高校生と、大人だから。




   第1部  終

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