第28話 襲撃とJK
「えっ――」
突然のことに、奏音は反応することができなかった。
いや。男の力が強すぎて、あっさりとドアを突破されてしまったのだ。
「な――!?」
「動くな」
鋭い声と眼光で、男は奏音を射抜く。
隠すことのないその怒気は、男性に慣れていない奏音を恐怖に陥れるには
奏音が硬直した一瞬の間に、男は靴を履いたまま家の中に入っていく。
「翔子! どこにいる!」
「――――っ!」
男が出した名前に、奏音の心臓はさらに大きく跳ねた。
(どうしてお母さんの名前を――?)
奏音が見たことのない男だ。
母親とこの男がどういう関係なのか、奏音にはまったくわからない。
わかるのは、男は奏音の母親に用があるらしいことだけ。
「翔子!」
男は名前を叫びながら、洗面所やトイレのドアを開けて回る。
そのタイミングで、異変を察知したひまりが何事かと目を丸くしながらキッチンまで出てきた。
(ひまり! 出てきたらダメ!)
奏音は叫んだつもりだった。
しかしそれは声にならない。
ひまりも男の姿を目にした瞬間、固まってしまった。
ひまりと男の目が合う。
奏音の頭の中で、最悪の光景が洪水のように流れていく。
どうかお願い。
ひまりは傷付けないで。
お願い――。
奏音の願いが通じたのかは不明だが、男はひまりの横をすり抜けていく。
そして今度はリビングのクローゼットを乱暴に開けた。
「翔子! いるなら出てこい!」
尚も男は、奏音の母親の名前を叫びながら部屋を徘徊する。
カーテンの裏を乱暴に確認した後、さらに和輝の寝室の方へ。
あまりにも異様な光景と男の威圧的な声で、二人はしばらく動けないでいたが――。
先に我に返ったのは、ひまりの方だった。
男が寝室に入ったのと同時に、ひまりは奏音に走り寄る。
そして真っ青な顔で震えていた奏音の体を、ぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫?」
小声で聞くひまりに、奏音はこくりと頷く。
ひまりの体温を感じた安心感からか、奏音は泣きそうになってしまった。
ひまりは奏音から体を離すと、『静かに』と人差し指を口の前で立てた。
何を――と奏音が問う間もなく、ひまりはキッチンに置いてあるフライパンを手に取った。
そしてフライパンを持ったまま、テーブルの上に立つ。
やがて男の足音が、和輝の寝室から出てくる。
ひまりは震える両手でフライパンを握ったまま、キッチンからダイニングを見据えていた。
「おい、お前ら。翔子の娘か? 翔子はどこに――」
「やああああああああああッ!」
男がキッチンに戻ってきた瞬間、ひまりはテーブルを蹴り、男の頭に向けてフライパンを振り下ろした。
「ぐがっ――!?」
見事なほどに、ひまりのフライパンは男の脳天を直撃。
ついでにひまりの膝も、男の胸を激しく突いていた。
ひまりは着地してからも、痛みでうずくまる男の頭や背中に向けてフライパンを振り下ろす。
「奏音ちゃんを! 怖い目に遭わせるなんて! 絶対に! 許せないです!」
ひまりは涙目になりながら、フライパンの底面と側面で執拗に男を攻撃する。
「それに! 勝手に入ってくるなんて! 非常識です!」
「痛っ! や、やめっ――⁉ お、おい! やめろ! やめてくれ! 俺は――」
「ど、どうしたの!? 大丈夫奏音ちゃん!?」
玄関から聞こえたのは新たな声。
全員が一斉に振り返ると、そこには紙袋を持った友梨が立っていた。
部屋の中の騒ぎを、ドア越しに察知して入ってきたのだ。
友梨は奏音に何かあったのでは――と心配になり入ってきたものの、目の前に広がる光景は、彼女の処理能力を遙かに超えているものだった。
青い顔で立ちすくむ奏音。
そして知らない少女が、知らない男をフライパンで殴っている。
「え……ちょっと、誰……? えっと……え、何? 誰……?」
固まってしまう友梨。
時が止まったかのように、誰もが動けないでいて――。
そしてこの隙に、男が床を這いながらひまりから離れた。
「お前ら、翔子の娘だろ!? と、とにかく落ち着け! 俺は別に――」
ガチャリ、とさらに玄関が開く。
またしても全員の目が一斉にそちらへと向く。
今度はこの部屋の主――和輝が帰宅したのだった。
「………………」
和輝も友梨と同様、一瞬だけ固まっていたが――。
その後の行動は迅速だった。
真っ先にこの家にとっての異物――男に向けて走る。
そして男の背後を取り、後ろから
※ ※ ※
帰宅したらあんなカオスな光景が広がっているなんて、誰が想像できるだろうか?
友梨が玄関にいて、ひまりが隠れずに姿を見せていて――。
それでも何とかこの場で優先すべき『見知らぬ男』を把握した後は、自分でも驚くほど冷静に体が動いていた。
かつての柔道の試合の時よりも、ずっと冷静に。
奏音が「その人、何かお母さんを捜しているいるみたいで――」と言わなかったら、あのまま男の意識を落としていたところだ。
男がひまりと俺から受けたダメージはかなりのものらしく、今はキッチンの床に座り込み、立つ気力もない――といった顔だ。
状況を整理しないといけないことが山ほどあるが――。
「警察は呼んでいるのか?」
俺が聞くと、奏音とひまりは同時にふるふると首を横に振った。
「おい…………」
おもわず小言を言いかけたが、やめた。
まぁ、パニックだったから難しかったのかもしれないが……。
そこは真っ先に呼んで欲しかった――と考えてから、いやそうなると俺がヤバいじゃん……ということにようやく気付いた。
ひまりとの生活が最近では『普通』になっていたからか、そのことをすっかり忘れていた……。
「かず兄。この人、お母さんの知り合いみたいだから……」
奏音がおずおずと切り出す。
やはり奏音としては、それが一番気になるよな……。
ならまずは、この男の正体を明らかにするべきだろう。
「ええと……。率直に、まずあんたは誰だ?」
「……
予想はしていたが、やはりそうだったか……。
横目で奏音を見ると、彼女もそれは想定通りだったらしく、大きく動揺はしていない。
「で、どうしてうちに勝手に入ってきた?」
村雲と名乗った男は「すまなかった」と声を落とす。
「いや。謝るのは後でいいから、理由を教えてくれ」
「翔子を捜しにきたんだ」
これもまぁ、奏音たちの証言からわかっていたことだ。
本当に知りたいのはここから。
俺が視線だけで『次』を促すと、村雲は
まとめるとこうだ。
奏音の母親――翔子は家を出てから、しばらく村雲の所に身を寄せていたらしい。
が、数週間前に突然姿を消してしまった。
村雲には、出て行った理由がまったくわからなかったという。
翔子を探すため、村雲は一度彼女の家に向かった。
しかし見つけることはできなかった。
代わりに、親族の家の電話番号を書いたメモを見つける。
それが俺の実家と、俺のマンションのものだった。
村雲は、まず俺の実家に電話をして探りを入れてみようとしたが、電話に誰も出なかった。
まぁ、そうだろうな。
母さんは入院しているし、親父もそれに付きっきりで忙しい。
で、もう1つの番号――俺のマンションの方にかけてみたら、女の声で電話に出た。
ひまりがこの時「あ……」と声を洩らしたので、まぁ原因はわかった。
村雲はそれが、奏音のものであると思ったらしい。
ちなみに奏音の存在は、話だけ聞いて知っていたとか。
奏音がいるなら翔子もいる可能性が高いと判断した村雲は、ここまでやって来た――。
というのが、俺の家に来た経緯ということだ。
で、居場所がわかったら途端に頭に血が昇ってしまい、常識外れな行動に出てしまったと。
はた迷惑にもほどがある。
そういえば俺が奏音と家に行った時、奏音が何か違和感を覚えていたのを思い出す。
あれは、村雲が勝手に家に入ったのを察知していたんだな……。
女性の勘って凄ぇな……と俺は改めて思うのだった。
「自分でもわかっているんだ。執着しすぎていたことは……。でもなぁ、あいつは今まで出会った誰よりも――」
どこか遠くを見ながら言う村雲。
翔子叔母さん、なかなか魔性の女性なのかもしれない――と俺は村雲の顔を見て思ってしまった。
俺は人に対してそのような執着を抱いたことがないので、彼の気持ちは全然わからないのだが。
「とにかく、冷静さを欠いて強盗
土下座する村雲に、俺たちは顔を見合わせる。
こういう時、どういう反応をすればいいのだろう。
「あの……私も、おもいっきり殴ってしまって、すみませんでした……」
俺の後ろで、半分縮こまりながらひまりが言う。
「いや。あれは正当防衛だ。嬢ちゃんが気にすることはない」
「は、はい……」
うーん。この村雲の冷静さと、他人の家に勝手に押し入るというギャップ……。
恋愛が人を変えてしまうという、かなり極端な例かもしれないな。
「とにかく、ここにはお母さんはいないから」
「翔子叔母さんの行方を知りたいのは、俺たちも同じなんだ」
「そう……か……」
「それで、この後あんたをどうするかなんだが――」
本来なら不法侵入で警察に相談するべきだろうが、そうなるとひまりを家に置いている俺の立場がヤバくなる。
二人も『警察はやめて』と目で訴えてきていた。
今の二人の生活と、行動が過激な男を警察に突き出すかを天秤にかけ――俺は今の生活の方を選んでしまった。
とことん駄目な大人だな、俺は……。
「翔子叔母さんが見つかったら、あんたにも連絡する。だから俺の家には二度と来ないで欲しい」
「……わかった」
というわけで、俺は村雲の連絡先を聞いてから、彼を家から追い出したのだった。
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