第27話 予兆とJK

 季節外れの風邪が流行とか、本当に勘弁してほしい……。


 いや、確かにこの間奏音も風邪を引いたけどさ。


 俺はパソコンのキーをいつもより速く叩きながら、叫びたい気持ちでいっぱいだった。

 まさか、四人も病欠になるとは……。


 そんなわけで、今日の経理部の中はいつも以上に慌ただしい。


 一人や二人程度の穴埋めなら、まぁそれほど問題なくできるのだが、さすがに四人分はかなりキツイ。


「磯部の奴、元気になったら奢ってもらうからな……」


 この場所にいない同僚に向けて、思わず声を洩らしてしまっていた。


 あいつ、いつもは無駄に元気なくせに。

 繊細という単語が全然似合わないのに、何をやってんだよ……。


 俺以外のメンバーも、ゾンビみたいな顔でそれぞれの仕事に打ち込んでいた。


「駒村さん。営業部の領収書の仕分けお願いしまーす」


 軽い口調で俺の机に領収書を置いていった女性は、既に後ろ姿だった。


 早速一番上にあった領収書を確認するが、あろうことか品名が書いていない。


 うぉい。営業部の誰だコノヤロー。この忙しいのに確認しなきゃいけねえじゃん。


 腕時計とパソコンの画面、そして部署内の様子を順番に見る。


 ……今日は定時に帰れそうにないな……。






        ※ ※ ※ 


 その日、ひまりのバイトは休みだった。


 昼食は自分で握ったおにぎりを食べる。


 奏音からラップと茶碗を使った、手を汚さずにできるおにぎりの方法を教わってから、自分で作るのが楽しみになった。


 不器用なひまりでも綺麗な形にできるので、見た目もバッチリだ。


 具は前日の夜に奏音が用意してくれている。

 今日はたらことツナマヨネーズだった。


「ごちそうさまでした」


 食べ終えて手を合わせるひまり。

 そして何気なく見た玄関の靴箱の上に、財布が置いてあるのを発見した。


「あ……」


 黒色の長財布は和輝の物で間違いない。

 ちょうど昼食の時間だろうし、今頃困っているのではないだろうか――。


 そう考えた瞬間。


 プルルルルル、と電話が鳴った。


 きっと和輝に違いない。

 財布を失くしたと思って、確認のために家にかけてきたのだろう。


 ひまりは一瞬の間にそう判断し、そして受話器を取った。


「はい――」


 しかし名乗らずに返事をした途端、ガチャリと切られてしまった。


 ひまりは受話器を置いてから、ようやく冷静になり――。


 勝手に電話に出てしまったことに気付き、一気に血の気が引いた。


 慌てて着信履歴を見る。

 画面には『非通知』とだけ表示されていた。


 誰からだろう。

 少なくとも、和輝や奏音でないことは確かだ。


 すぐに切れたということは、間違いだと気付いたからだろうか。


 それなら問題はないのだが、非通知という文字がひまりには不気味に感じた。


 次にかかってきても絶対に取らない――とひまりは決意したが、その後電話がかかってくることはなかった。






        ※ ※ ※ 


 友梨は前回と同じように、奏音に渡す雑貨類を持ち、和輝の会社の前で待っていた。

 しかし、今日はなかなか和輝は出てこない。


「遅いなぁ、かずき君……」


 定時を過ぎて結構な時間が経つが、会社のエントランスから和輝が出てくる気配はない。


 もしかしたら、今日は忙しいのかもしれない。


 友梨は、和輝と連絡先を交換していないことを悔やんだ。

 半年前に再会してから機会はあったのに、ずっと言い出せないでいたのだ。


 友梨は和輝と再会してから、彼との距離感を上手く縮められないでいる。


 家が近所で母親同士の仲も良く、気付いたら結構な頻度で遊んでいた小学生時代。


 みんなにからかわれないようにと学校ではあまり接触しなかったが、互いに得意な教科を家で教え合い、試験を乗り切っていた中学生時代。


 朝、他愛もない雑談をしながら一緒に登校していた、高校生時代。


 そして大学になって離ればなれになり、それぞれの就職先に就いてからは全然会わなくなっていた。


 友梨の会社が突然倒産し、次の就職先がなかなか見つからない中始めたアルバイト。


 和輝の会社と近い場所のバイト先を選んだのは、偶然ではなかった。

 友梨は、和輝と再び距離を縮める機会をうかがっていたのだ。


 だから和輝があの喫茶店を頻繁に利用していると知った時は、本当に歓喜した。


 また和輝との繋がりができたことが、友梨にはたまらなく嬉しかった。


 会社員時代、人数合わせで仕方なく参加した合コンでは、毎回誰かが友梨と連絡先を交換しようとしてきたし、同僚の男性に何度か告白されたこともある。


 それでも友梨は、それらをずっと断り続けてきた。


 友梨の心の中には、ずっと和輝が居着いていたからだ。


 和輝はこれといった特徴もなく、外見も冴えないかもしれない。


 特別会話が面白いわけでもない。でも、友梨には彼との会話のペースが心地かった。


 なにより、友梨は知っている。

 夢に向けて頑張っていた彼の姿を知っている。


 でも、直接告白するような勇気は友梨にはなかった。

 幼馴染みなのに今さら――という気持ちもあった。


 それでも、友梨は諦めきれなかったのだ。

 大人になってしまった、今でも。


「私のこんな執着、かずき君に知られたらきっと嫌われちゃうよなぁ……」


 自嘲気味な笑みを浮かべてから、和輝の会社のビルを見上げる。


 ほとんどのフロアに灯った電気が、夕方の空の中光っていた。

 もしかしたら、今日は他の部署も忙しいのかもしれない。


「今日は先に行っちゃおうかな……」


 前回行ったので、和輝の家までの道は大体覚えている。


 長居するつもりはないし、奏音に物を渡せたら十分だ。

 和輝と会えないのは少し寂しいが、また次回がある。


 友梨は心の中で決意すると、駅に向けて歩き出した。 






        ※ ※ ※ 


 お、終わった……。


 俺はパソコンの電源を切った瞬間、デスクに突っ伏していた。

 

 怒濤どとうの仕事量を乗り切った。

 しかも、想定よりかなり短い残業時間だ。


 さすがにこれは、自分で自分を褒めたい。


 このままデスクの上で溶けてしまいそうだったが、途端に襲ってきた空腹が、家に帰りたい気持ちを思い出させる。


 今日は財布を忘れてきてしまったので、昼飯に大した物が食えなかったんだよな……。


 食堂で一番安いうどんの金額だけ、同僚に借りたのだ。

 あまり大金は借りたくない主義だからな。


 とにかく、早く帰ろう。

 電車の定期だけはポケットに入れているので、帰る分には金がなくても問題ない。


 あーでも、発泡酒の残りがもうなかったような。

 仕方がない。今日は休肝日にするか……。


 意気消沈しながら、俺は会社を後にした。






        ※ ※ ※ 


「ただいまー」

「奏音ちゃんおかえりなさい」


 学校から帰ってきた奏音をひまりが出迎える。


 奏音の両手には、スーパーの袋がぶら下がっていた。ついでに買い物をして帰ってきたらしい。


「さあー。今日は麻婆豆腐を作るよ。ひまりはあまり辛くない方が良いよね?」


「その方が嬉しいな。あと奏音ちゃん。今日は私も手伝っていいかな?」


「うん、別にいいけど。絵の方は良いの?」


「たまには気分転換をしたいなって」


「おけおけ。そいじゃあ手を洗ってくるから、ちょいとお待ちをー」


 奏音が洗面所に向かい、ひまりは奏音が買ってきたスーパーの袋の中から豆腐と挽肉を取り出す。


 そのタイミングでインターホンが鳴った。


 慌てて洗面所から出てきた奏音と、少し動揺したひまりの目が合う。


「ひまり。かず兄の部屋へ」

「わかった」


 できる限り音を立てず、でも素早く、ひまりは奥の和輝の部屋へ避難する。


 そして奏音がインターホンに出た。


「はい」

『宅配便です』


 男の人の声でそう告げられた。


「あ、わかりました」


 和輝が何か頼んでいたのだろう。

 奏音はそう判断し、すぐに玄関に向かう。


 ドアを開けると、帽子を被った男の人がいた。30代から40代といったところだろうか。


 ただ、荷物を持っていない。


 それどころか、宅配の人の制服ではなく、普通の青いシャツにジーンズという格好だった。


「…………?」


 いぶかしげに奏音が眉を寄せた、その一瞬。

 男が、強引に玄関の中に入ってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る