第23話 幼馴染みと俺

 会社の近くに、早朝から開いている喫茶店が何軒かある。


 その内の一軒。

 茶色の外壁の、モダンな雰囲気が漂う喫茶店の前で俺は足を止めた。


 まだ時間は余裕あるし、久々に寄ってみるか。


 思えば、奏音とひまりと暮らし始めてから寄っていない。

 それまでは、ここで週に2、3回はモーニングを食べてから出社していたのだ。


あいつ・・・も心配してるかもしれないし)


 そんなことを考えつつドアを押し開ける。


 入り口上部に取り付けられているベルが、カラカラと乾いた音を鳴らした。

 この音を聞くのも久しぶりだ。


「お。いらっしゃい」


 店内に入って早々、カップにコーヒーを注いでいる店主から声をかけられる。


 白い髪に白い髭の穏やかそうな店主は、俳優として活躍していてもおかしくないほど渋い。

 男の俺から見ても、格好良いと言える人だ。


 その店主の隣にいた女性店員と目が合った。


 彼女は俺の姿を見た瞬間、ぱあっと笑顔になる。


 彼女――友梨ゆうりは、俗にいう俺の幼馴染みってやつだ。


 半年前まで友梨が正社員で働いていた会社が倒産してしまい、今はここでバイトをしながら次の就職先を探している最中だ。


 まさか俺の会社近くの喫茶店で再会するとは思っていなかったので、初めてここで友梨を見た時は本当に驚いたものだ。


 それにしても会社が倒産とか、なかなか世知辛いよな……。


 さて、今日はどこに座ろうか。


 少ないテーブル席には俺のような出社前のサラリーマンやOLぽい人が座っていたので、カウンター席に座ることにした。


「久しぶりだね」


 水とおしぼりを持ってきた友梨が、ふわりと笑いながら言った。


「そうだな」

「今日は何にする?」


「ホットコーヒーだけでいい」

「あれ? モーニングは食べなくていいの?」


 予想通り、俺の注文に反応する友梨。

 それの答えはもちろん用意してきている。


「あぁ、家で食べてきた。ちょっと今、節約をしているんだ」

「ふーん……」


 ひとまず、嘘はついていない。


 女子高生二人という同居人が増えた以上、出費はできる限り減らしたいしな。

 当然、朝ご飯を女子高生に作ってもらっていることは言えないけど。


「かずき君が節約かぁ。確かに、今まで週に3回くらいは来てたもんねぇ」


「そうなると、うちの売り上げ的には地味に痛いな」


 ハンドドリップに湯を注ぎながら店主が言う。

 コーヒーの良い香りが漂ってきた。


「すみません店主。だからせめてコーヒーだけでもと」


「いや、冗談だ。お客さんに売り上げを気遣ってもらうわけにはいかないよ」


 それもそうなのだが、今まで常連だっただけに、やっぱり少し気になってしまう。


 それに、モーニングセットは美味くて好きだった。特にハムトースト。


 カリカリに焼けたハムと、バターたっぷりのトースト。


 シンプルながら、朝食にはちょうど良い感じの味だった。サラダも付いてるし。


 でもまぁ、自分の生活が第一なのでそこは目を瞑ろう。


「和輝君一人分の売り上げくらい、すぐに取り戻せるから気にしなくていい。可愛い看板娘が来てくれたことだしね」


「店主……。私もう、可愛いと言われる年齢ではないです……」


 友梨は困惑しながら答える。


 確かに友梨は俺と同い年ながら、大人な雰囲気を漂わせている。


 でも、決して老けて見えるという意味ではなく。


 何というか――色っぽい。うん、そうだな。あえて言葉にすると色っぽいだ。


 口元と鎖骨付近にあるホクロが、それを増長させているのかもしれない。


 ただ俺の中では昔の印象が強いので、友梨が人から「大人っぽい」とか「美人」と言われているのを見ても、あまりしっくりこないわけだが。


「俺からしたら、若い女性はみんな『可愛い』の区分だよ。ま、俺より年配のご婦人方にも時々適用されるがね」


 そう笑ってから、店主はカウンターの前からコーヒーを出してきたのだった。






 今日も定時で仕事を終えた。

 この定時退社も、最近はすっかり板に付きつつある。


 年度末になったらそういうわけにもいかないだろうが、忙しくなるのはまだまだ当分先だ。


 会社のエントランスを出て駅に向かおうとした、その時。


「――――あれ?」


 見知った姿が、会社前の植え込みの近くに立っていた。


 あれは、友梨? どうしてあんな所に?


「あ。かずき君。お仕事お疲れさま」


 俺に気付いた友梨は笑顔で迎える。


「どうしたんだ?」

「あはは。実はかずき君を待ってたの」


「いや、待ってたって……。確かバイトは夕方までじゃなかったか?」


「うん、今日は15時まで。だから近くの商業ビルで時間を潰してたんだ」


「何か俺に用事か?」


 2時間近くも待っていたのだ。何かあったに違いない。相談事か?


 俺はそう思って真剣に尋ねたのだが――。


 友梨の返事は、俺がまったく想像していないものだった。


「節約してるんだよね。だからご飯作りに行ってあげるよ」


「……………………え」


 友梨の言葉を理解するのに、軽く10秒は要してしまった。


 友梨がご飯を作りに来る。

 俺の家に。


 その俺の家には、奏音とひまりがいて――。


 い、いやいやいやいやいやいや!

 それはヤバいって! マズイって!


 ひまりの存在を知られてしまったら、本当に何もかも終わってしまう!


「いや、友梨の気持ちはありがたいが、そこは大丈夫だ。心配いらん」


「でもかずき君、いつだったか、ご飯はあまり自分で作らないって言ってなかった?」


 うっ――――。


 それはまぎれもない事実だ。

 朝食すらも、週の半分近くはモーニングセットで済ませていたくらいだ。


 くそっ。過去の自分の発言があだとなるなんて。


「そ、そうだけど、ここは友梨に甘えるわけにはいかないんだ。自分で作ってこそ上達するわけだし……。それに、やっぱり友梨に悪いよ」


「私は別に構わないよ? たまには休憩してもいいんじゃないかな?」


 何でだ。

 どうして友梨は今日に限ってしつこいんだ。


 そんなに俺が悲惨な食生活を送っているように見えるのか?


「でも、その、家に来てもらうほどでは……」


 どう言えばいいんだ? どうしたら友梨は諦めてくれるんだ?


 俺の頭はかなり混乱していた。


 とにかく、友梨が家に来るのはマズイ。マズイったらマズイのだ。


「かずき君……。もしかして何か隠してる……?」


 友梨はいぶかしげな目を俺に向けてくる。


 ヤバい。さすがにあからさますぎたか。


 どうする? 何て言えばいいんだ。これ以上拒否していると、益々ますます友梨に不信感を与えてしまうだろう。


 友梨が家に来るのを阻止するには――。


 そして、俺は決心した。


「その…………。わかった。正直に言うよ。実は今、俺の従妹いとこを預かっていて……」


「従妹さん?」


 友梨は首を傾げる。彼女は奏音の存在を知らない。


「うん。かなりワケありな子というか、その――」


 そして俺は、奏音のことについてだけ、正直に友梨に話した。






 俺の話を聞き終えた友梨は、しばし難しい顔で佇んでいた。


「そういうことだったんだ……。それじゃあ、いきなり押しかけて行くのはその子にとっても迷惑だよね……」


「その、すまん……。なにぶん、難しい子で……」


 奏音を勝手に『難しい子』扱いにしてしまったことに良心が痛むが、このピンチを切り抜けるためだ。許してくれ。


「ううん。そういう理由なら今日はやめておくよ。かずき君が節約しないといけない理由もよくわかったし」


「すまん。だから、やっぱり当分の間は店に寄れないと思う」


「わかった。店長には伝えておくね。あと、私にお手伝いできることがあったら何でも言ってね」


「助かる。その時にはお願いするよ」


 友梨は手を振ってから歩いていく。


 俺は友梨の後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、大きく息を吐いた。


 何とか凌ぎぎったが、ヤバかった……。


 友梨が親切心で申し出てくれてたのがわかるので罪悪感が募るが、この場合仕方がない。


 うちには、ひまりという爆弾に匹敵するほどの子がいるのだ。


 ふと、思う。


 いつまでひまりの存在を、隠し通せるのだろうかと。


 そもそも俺は、どうしてひまりのためにここまでやっているのだろう。


 奏音が頼んだから――。


 それもあるが、それでも、バレてしまったら犯罪だ。自分がここまでやる理由が、明確に言葉にできない。


 ただ俺の脳裏に浮かぶのは、ひまりが毎日一生懸命、絵を描いている姿。


 もしかしたら、彼女の努力は報われないかもしれない。


 所詮しょせんは高校生だ。


 トントン拍子に夢が叶って、このまま幸せな道に行けるはずがないと、大人の俺は思ってしまうのだ。


 でも、それでも、わかっていても、俺は彼女を見守りたい――。


 そんな想いが、自分の中から強く湧き上がっていることに気付いた。

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