第19話 アパートとJK

        ※ ※ ※ 


 和輝と奏音が家を出てすぐ、ひまりは部屋の掃除を始めた。


 いつもはフローリングシートでサッと拭くだけだが、今日は掃除機を使っても良い日だ。

 土日なら、音を出してもひまりの存在を疑われることはない。


 コードレスの掃除機を手に、キッチンに移動した直後――。


 プルルルル、と家の電話機が鳴った。


「ひゃ!?」


 音に驚き、小さな悲鳴を上げるひまり。

 おそるおそる、鳴り続ける電話機に近付いていく。


 和輝には電話に出ないようにと言われているので、受話器を取るつもりはない。


 でも鳴り続ける電話機の音に少し不安を抱いてしまい、気付いたら近付いていたのだ。


 画面には『公衆電話』と表示されていた。


 今の時代に、公衆電話から電話をかけてくる人がいるのか――。


 珍しいなと思うと同時に、あまり見慣れない単語に不気味さも覚えてしまった。


 留守電メッセージが流れた瞬間、電話は鳴り止む。


「誰からだろう。間違い電話かな……」


 小さく呟き、ひまりはまたキッチンへと戻っていった。


        ※ ※ ※ 






 奏音の家に行くのは初めてだ。

 当然ながら、奏音の家がどこにあるのかも知らない。


 俺はただ奏音の後ろに付いて行く。


 乗ったことのない路線。行ったことのない場所。


 初めての場所に行くというのは、年齢など関係なく心が弾むものだ。


 そして電車に揺られること、約30分。

 降りたのは、土曜日にしては人の通りが少ない駅だった。


 そこからさらに10分ほど、静かな住宅街の中を進んでいって――。


 やがて先導していた奏音が振り返った。


「着いたよ。ここが私んち」


 目の前の建物を見上げる。

 2階建ての白いアパートだった。雰囲気からして、築30年は建っているだろう。


 奏音は早速、壁に張り付いたポストの中を覗く。


 ポストは8つあったが、全てに何かのチラシがはみ出た状態で入れられていた。どうやらポスティングされたばかりらしい。


 奏音はポストの中に入っていた物をまとめて取り出す。


「あった。これだ。ちょっとこれ持ってて」


 奏音は1枚の郵便物を除き、俺にチラシを押し付けてきた。

 そしてベリベリと雑に催促状を開く。


「うん。やっぱり支払い期限切れちゃってる」


「なあ。携帯ってそんなにすぐに止められるものなのか?」


 今さらだが、素朴な疑問が湧いたので聞いてみる。

 俺は携帯を止められたことがないので、そのあたりのことはよくわかっていなかった。


 銀行口座からの引き落としにしているし、毎月少しずつだが貯金もしているので、口座に金がない、という事態にはなったことがない。


「うーんと……家に入ろうか」


 奏音は俺の質問には答えず、少し困った顔でそう促した。

 確かにお金のことだし、こんな所でする話ではないな。


 ところでどうでもいいが、スマホに変えても『携帯』って言ってしまうのだが、今の若い子たちはどう呼んでいるのだろうか。


 ニュアンスから奏音も携帯電話の略称だとは理解しているだろうが、携帯スマートフォンとは言わないしな……。


 いや、本当に今はどうでもいいな。






 奏音が鍵を回してドアを開けると、室内からは独特の匂いが漂ってきた。


「うわ!? 何かすごい畳の匂いがする」


 その匂いに誰よりも驚いていたのは奏音だった。

 家に人がいない状態が続くと、自然の匂いが強調されるのだろうか。


 玄関を入ってすぐにフローリングのキッチンがあり、二人用のテーブルと椅子が置いてあった。

 その奥には広めの和室がある。


 間取りを見るに、1DKの部屋らしい。


 奏音は椅子に鞄を置き、奥の和室へ入っていく。


 俺は先ほど押し付けられたチラシ類を、ひとまずテーブルの上に置いて待機する。


 ほどなくして戻ってきた奏音は、キッチンに置いてある小さな食器棚の引き出しを開けて、そしてすぐに閉めた。


 奏音の眉間には小さな皺が寄っている。


「どうした?」

「何か、さ……何か、変なんだよね。雰囲気というか、違和感というか」


「叔母さんが戻ってきた形跡があるとか?」


「ううん、それはたぶんない……と思う。今ザッと部屋の中も見てきたけど、特になくなってる物もないし」


 首を回して室内に視線を送る奏音につられて、俺も同じ方向を見る。

 が、当たり前だがおかしい所などわかるはずもなかった。


「……幽霊?」

「ちょ、ちょっと!? 変なこと言わないでよ! そんなん出ないし!」


 異様に怖がる奏音。


 まぁ確かに、たちの悪いひと言だったかもしれない。

 本当に出たら洒落にならんしな。


「冗談だって。そういえば、さっきの携帯代の話の続きだが――」


「あ、うん……。毎月お母さんが、振り込み用紙でスマホ代を払っていたんだ。だから振り込み用紙はお母さんが持っているはずなんだよね。今見たけど、置いてありそうな場所にもなかったし。でも私のスマホが止まっちゃったってことは――」


「叔母さんは払わずに放置していた、てことか」


「そうだと思う。間違えて捨てちゃったのか、それとも忘れていたのかは知らないけど」


 毎月のことなら、たぶん携帯代を払うことは習慣化していたはず。

 なのに、そんなに簡単に忘れるものだろうか。


「ちなみに、叔母さんの携帯は――」


「いなくなった日から繋がらないよ。一応毎日電話はかけてみてるんだけど、ずっと繋がらない。メッセを送っても既読にならない」


「そうか……」


 今さらだが気付いた。俺は叔母さんがいなくなったことについて、奏音と何の話もしていなかったことに。


 というか、こんなに長い時間、奏音と二人だけでいることも初めてなんだよな。


 本当は、あの日から二人暮らしの予定だった――。


「その……叔母さんが家を出る前兆というか、様子が少し変だったとかは――」


 思い切って聞いてみる。

 やはり、このまま触れずにおくのは無理だ。


「何もなかった。本当はあったのかもしれないけど――でも、私は全然気付かなかった。いつも通りに朝ご飯を食べて、仕事に向かって、そして私は学校に行って。そして、お母さんは帰って来ないまま」


 椅子に座り、宙を見つめながら淡々と言う奏音。


「たぶん、新しい彼氏でもできたんじゃないかな? 昔から自由というか、そんな気配があっては消えての繰り返しだったし。家にいる時間も少なかったんだよね。寝に帰ってくるだけというか」


 あえて感情を排除した言い方が、逆に痛々しく思えてしまった。


「でもさ、私、不幸だとは思ったことはないんだ。お金に不自由だと思ったこともないし。こうしてスマホだって持たせてくれて。でもその分、やっぱりお母さんは色々と我慢してたんだと思う……」


 そこで奏音の言葉が途切れる。


 気付いたら、彼女の目尻には小さな水滴が浮かんでいた。


 奏音…………。


「勝手に家を出てったことに対しては怒ってるけどさ……私、どうしても憎めないんだ……。だって豪華なプリンを買ってきて、私よりはしゃいでたような人だよ?」


 涙で声を震わせながら、それでも奏音は笑顔で俺の顔を見る。


 しん、と沈黙が降りる。


 俺は何も言えなかった。かける言葉が見つからなかった。


 当たり前だ。俺は叔母さんと奏音の生活について何も知らない。

 何かを言っても、中身のない薄っぺらな言葉にしかならない。


 でも――。


 気付いたら、俺は奏音の頭に手を乗せていた。


 どうしてこんな行動をとったのか自分でもわからない。

 ただ、いてもたってもいられなくなったのだ。


「ちょ、ちょっと!? 何すんの!? 子供扱いしないでよ!」


 奏音に抗議されても、俺は手をどけなかった。


「……子供だ」

「え――」


「奏音は、まだ子供だ。未成年だ」

「そんなこと、わかってるし――」


「よく、今まで我慢できたよな。つらかったよな」


 奏音は大きく目を見開いた。


 やがて、さらに瞳がじわじわと潤み始めて――。


 そして涙は大きな雫となって、頬を流れた。


「あ…………ぅ…………」


 奏音は自分を襲う激情に耐えようとしていた。

 唇を噛み、肩を震わせている。


 ここにきて、まだ我慢しようとしているのか――。


 胸を圧迫されたように苦しくなった。

 だから俺は、目で彼女に訴えた。


『我慢しなくていい』


 俺の目を見つめていた奏音は、それでも耐えようとしていて――。


 そして、ついに決壊した。

 ダムの水を放流したかのように。


「うっ……ぐっ……ひぐっ……」


 奏音の目からとめどなく涙が流れる。

 

 そして奏音は、俺の胸に頭をコツンと垂れてきた。


「ご――ごめっ……私っ……。いっ――今だけで……いいから……」


 鼻をすすり、涙声で言う奏音。


 俺は奏音の頭に乗せていた手を軽くポンポンと叩き、無言で肯定の意思を伝える。


 そして、奏音はそのまま泣き続けた。


 これまで心に溜めて溜めて溜め込んでいたものを、全て吐き出すかのように。


 俺は何もできなかった。

 ただ、彼女の頭を撫でてやることしかできなかった。

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