第18話 電話とJK

 それから数日間は何事もなく過ぎていった。


 奏音がご飯を作り、ひまりが洗濯と掃除をする。そして俺は生活用品の買いだし。


 食材を購入するためのお金は、奏音にいくらか渡していた。

 奏音は毎回レシートを提出してくれるので、それについては心配していなかった。



 大きな変化といえば、ひまりが描いた絵をついに見ることができた。


 今までは「描いている途中を見られるのが恥ずかしい」と、ノートパソコンの角度を変えてわざわざ見えないようにしていたのだ。


 初めて見たひまりの絵は――素人の俺にはただ「すごい」としか言えなかった。


 緻密な背景の描き込み、明るくて優しい色彩。

 そして、肌に触れたくなるような女の子の絵。


 油絵とは違うけど、漫画絵とも違う。


 俺はイラストの種類とかよく知らないので、これが『何系』に分類されるのかはわからないけど。


 俺と奏音は、終始「すごい」を連発していたと思う。


 それくらい、ひまりの絵は俺たちにとって新鮮な衝撃を与えてくれた。


 照れくさそうに、でも嬉しそうに笑うひまりの顔が印象的だった。






 いつものように仕事を終え、歩いて帰宅していた最中。

 突然スマホが鳴った。


 発信者を見ると、奏音だった。


 どうしたんだ?


 奏音から電話がかかってくるのは初めてだ。

 俺はすぐに電話に出る。


「どうした。何かあったのか?」

『今さぁ、駅前のスーパーで買い物をしているんだけど――』


 プツッ。

 言葉途中で、突然電話が切れてしまった。


 …………え?


 間違えて通話終了ボタンでも押してしまったか?

 とりあえず気になるので、今度は俺から電話をかけてみる。


 だが――。


『おかけになった電話は、お客様のご都合により、おつなぎできません』


 聞こえてきたのは、平坦な音声アナウンス。


 どういうことだ? 着信拒否?


 でも、奏音からかけてきておいてそれは何か変だ。

 現時点での奏音の俺に対する態度から察するに、こんなイタズラはしてこないと思うし。


 念のため奏音から電話がかかってこないか少し待ってみたが、一向にその気配はなかった。


 ――もしかして奏音に何かあったのか?


 不安による悪寒が、急激に全身に広がっていく。


 一体何だ? どうした? 何があった?


 ……確か、駅前のスーパーで買い物をしていると言ってたな。


 いても立ってもいられず、俺はスマホを握りしめたまま駆け出していた。






 駅前のスーパーの前に、奏音は買い物袋を二つぶら下げて立っていた。


 俺は奏音の姿を見た瞬間、安堵と不安が入り交じって本当に脱力しそうになってしまった。


 走って来た俺の姿に気付いた奏音は、大きな目をさらに丸くする。


「ど、どうしたの。そんなに慌てて」


「いや、いきなり電話が切れるし、その後も繋がらないし。奏音に何かあったんじゃないかと思って――」


 浅い呼吸を繰り返しながら答える俺。本気で走ったのでかなり苦しい。


 ひまりをこうとした時以上に、スピードは出ていたと思う。


「あぁ、ごめん。絶妙なタイミングでスマホ止められちゃったらしくて。通話料金を払ってなかったみたい」


「何だそれ……。心臓に悪すぎるわ」


 しかしあの音声アナウンスは、携帯料金が未納の時に流れるやつなのか。

 初めて聞いたからわからなかった。


「とにかく、何もなくて本当に良かった」

「心配、してくれたんだ……」


 意外そうな顔をする奏音に、少しだけムッとしてしまった。


 奏音は俺を何だと思っているのだろうか。さすがに俺だって、従妹を心配するくらいの心はある。


「そんなの当たり前だろう」

「あ……ごめん……」


「まぁ、何事もなかったから良しとしよう。それで、結局何を言おうとしていたんだ?」


「あ、ええと。お菓子を買ってもいいかなぁって。ほら、ひまりはあまりお昼ご飯にちゃんとした物を食べられないし。おにぎりと夕食の残りだけじゃ、お腹空くと思うんだよね」


「む……」


 言われてみればそうか。


 ひまりの存在がバレないように昼に換気扇を使うことを禁止してるので、火を使うような料理を食べさせてやることができない。


 電子ケトルがあればカップ麺も作れるだろうが、生憎と俺の家にはない。


「というわけで勝手に買っちゃった」

「買ったんかい」


 いや、断るつもりはなかったから別にいいのだが。


「だって、あんな電話の切れ方しちゃったら外で待ってた方が良いかなって。既に買い物カゴに商品入れてたし、棚に戻していくとお店の人に怪しまれちゃうだろうから、それならサッサと会計を済ませてしまおうかと」


「わかったわかった。それで、何を買ったんだ?」


「えぇと、プリンとチョコとポップコーンとポテチと、それからパイとクッキーと――」


「いや待て。ちょっと多くないか?」


「で、でもほら、買いだめしておいた方がひまりも助かるだろうし」


「そんなこと言って、本当は奏音が食べたいだけなんじゃないのか?」


「うっ――。そ、そんなことないし?」


「……いや、わかりやすいなお前」


 まぁ、一日で全部食べるわけではないだろうしいいか。


 ……食べないよな?


 一抹の不安が胸をぎったのだった。


 ひとまず、奏音が持っていた買い物袋を強引に奪い取る。


「え――」


「荷物くらい俺が持つって。さぁ帰るぞ」


「う、うん」


 俺の後から付いてくる奏音。


「そういえば、俺用のお菓子も買ってくれてるんだよな?」


「あ――――」

「何だその『あ』は」


「いや、冗談だって。ちゃんといくつかは買ってるから。うん、いくつかは……」


「その言い方すげぇ気になるんだけど」


 背中越しに、そんな他愛もない会話をしながら帰路に着く。


 今までで一番、奏音と話した気がする。






 夕食時。鯖の煮付けを箸でつつきながら俺は切り出す。


「さて。これから奏音のスマホをどうするか、だが――」


「振込用紙がうちに届いているかも。明日学校休みだし、見に行ってくる」


「じゃあ俺も付いて行っていいか?」


「え――。なんで?」


 奏音は箸を止め、眉間に激しく皺を寄せた。


「そんな嫌そうな顔をするなって……。すぐに金を払った方が良いだろ」


「でも……さすがにスマホの料金まで払ってもらうのは――」


「変なところで遠慮するなよ。今日び、女子高生はスマホを持っていないと友達との関係も大変なんだろ? それにもしかしたら、叔母さんから連絡があるかもしれないし……」


 特に若い女の子にとってスマホは、単なる連絡装置ではなくコミュニケーションツールだ。


 奏音は学校や友達についてのことは話題には出さないが、ドラマを見ながらSNSで友達らしき人とやり取りしている姿を見ている。


 それが無くなってしまうとなると、奏音としてもつらいだろう。


 あとはやはり、叔母さんが連絡をする可能性が高いのは、俺の家族ではなく奏音の方だろうし。


「まぁ、確かにそうかもしれないけど……。本当にいいの?」


「大丈夫だから何度も言わせんな」


 正直に言うと、これが毎月続いていくとなるとちょっと厳しいかもしれない。


 でも、奏音が未成年ということを考えるとそうも言っていられないだろう。


 叔母さんが見つかった時に、その分のお金は要求してみよう。


「ということで、明日は奏音の家に行くわけだが――」


 俺はチラリとひまりに視線を送る。


「あ、私はお留守番しておきます。もう少しで1枚目の絵が完成しそうだし。それに、アルバイト先も早く見つけなきゃだし……」

「そうか」



 ひまりは俺たちがいない昼の間に絵を描いている。


 一度見せてくれたが、まだ見られるのは恥ずかしいらしい。


 そして夜は、ひたすらパソコンにかじり付いてアルバイト情報を見ている。


 なかなか条件に合うバイトは見つからないみたいだが。


「私の家、ここからそこまで遠いわけでもないし。朝から行けばお昼までには戻ってこれると思うから」


「うん、わかった。私はいつも通り、洗濯と掃除をやっとくね」


「すまんが頼む。昼飯は買って帰ってくるから」


 こうして明日の予定が決まったのだった。

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