第12話 皿洗いとJK

 買ってきた物を部屋の中に置いて回ったり、ゴミの処理をしている内に、あっという間に夕食の時間になった。


「今日は買い物で疲れちゃったし、楽をしたかったからすき焼きにしたよ。とは言ってもかなり節約バージョンだけどね」


 制服の上にエプロンをした奏音が、リビングのテーブルの上にドンと鍋を置いた。


 俺の家には携帯ガスコンロがないので、既に鍋の中には完成されたすき焼きが入っている状態だ。


 奏音の言った『節約バージョン』の言葉通り、具材は牛肉と豆腐と長ネギだけという非常にシンプルなもの。

 だが、とても良い匂いだ。


「わぁ! 奏音ちゃんすごいです! 美味しそう!」


 目を輝かせて歓声を上げるひまり。

 奏音は照れくさそうに笑うが、まんざらでもなさそうだ。


「具材を入れて煮込んだだけだよ。冷めるから早めに食べて」


「お、そうだ。玉子はいるか?」


「はい、お願いします」

「あ、私も」


 二人とも生玉子は問題なく食べられる、と。


 こういう食の好き嫌いはちゃんと覚えておかないとな――と考えつつ冷蔵庫から今日買い足したばかりの玉子を三つ取り出す。


 玉子が冷蔵庫の中にいっぱい入っているだけで、ちゃんとした生活を送れている気分になるのは俺だけだろうか。


 ついでに冷えた発泡酒も取り出してからテーブルに戻った。


 女子高生との生活の中でも、このささやかな幸せはやめるつもりはない。


 二人に玉子を渡してから、自分の取り皿に玉子を割り入れる。


 そのタイミングで、ひまりが「あ」と声を上げる。


 ひまりの取り皿の中には、粉々になった玉子の殻が散乱していた。


「ひまり、割るの下手だね……」


「うぅ……。不器用なんでこういうの苦手なんです……」


「じゃあコツを教えてあげるよ。こうやってヒビを入れたら、両手の親指をヒビに食い込ませるようなイメージで――あっ!」


「どうした? まさか奏音も失敗か?」


「違うって」


 そう言うと奏音は、得意満面に取り皿の中を見せてきた。


「奏音ちゃんの、黄身が二つある!」


「マジか。うわ、俺初めて見たかも」


「えへへ、何か得した気分。良いことありそうだし写真撮っとこ」


 奏音は双子の黄身にスマホを向けてパシャリ。


 しかし写真を撮り終えると、すぐに箸で黄身をぐちゃぐちゃにかき混ぜるのだった。


 すげぇな……。俺だったらもうしばらくは眺めていたのに。


 かき混ぜる奏音の手の動きからは未練を感じない。潔すぎる。


 世のインスタ映えを気にする女性たちもこんなんなのか?


「うぅ、早く食べちゃいましょう。ということでいただきます!」


「いただきまーす」


 ひまりと奏音の食前の挨拶に我に返る俺。


 一拍遅れてから俺も「いただきます」と言うと、三人の箸は一斉に同じ肉に伸びたのだった。


 なるほど……。


 二人とも、俺と同じくメインから真っ先に食うタイプか。そこは気が合うな。






 奏音が作ったすき焼きはとても美味かった。


 市販のすき焼きのたれより、正直奏音が作ったたれの方が俺好みの味かもしれない。甘みが絶妙だ。


 ひまりも終始絶賛しながら食べていた。


 奏音は平静を装いつつも、口の端が上がっていたのを俺は見逃さなかった。

 まぁ、それにツッコむようなことはしなかったが。



 食べ終えた後は、各自流し台に食器を置く。


 そしてひまりは早速俺の部屋に戻った。

 ペンタブや画像ソフトの設定周りをいじっている最中だったらしい。


 奏音がテーブルから鍋を持ってきたところで、俺は奏音より先に流し台の前に立つ。


「皿洗いくらい俺がやるよ」


「でも……料理は私がやるって言ったし」


「いや、皿洗いは料理じゃないだろ」


「私の中では食べ終わるまでが料理っていうか……。家に帰るまでが遠足ですよ、的な。だから私がやるし」


 俺の方を見ずにスポンジを手に取る奏音。


 ひまりと違い、俺と話す時は高確率でこの突き放すような平坦な口調になる。


 だが、二日目だから俺も少しわかってきた。


「……あのさぁ、そこまで気にしなくていいから」

「え?」


「奏音はこれまでの色々を『申し訳ない』って思ってんだろ? そんなふうに思わなくてもいいってことだよ」

「………………」


 現役女子高生の生態はよくわからんが、それくらいの気持ちは察することはできる。


 黙ったまま俺を見る奏音の顔には、困惑の色が見て取れた。


「その、何というかな……。奏音はさ、一応俺と血縁なんだから。ひまりみたいにそこまで遠慮しなくてもいい間柄だと俺は思っているんだが」


 奏音の母親が蒸発して俺の家に来ることになったのは、彼女のせいじゃない。


 おそらく奏音は、その出来事に対しても丸ごと罪悪感を抱いているのだろうな、というのを何となく感じる。


 親父から奏音を預かるようにと連絡がきた時はかなり困惑したのは事実だが、それは決して『嫌だから』という理由だったからではない。


「要するに、俺の従妹いとこだから遠慮はいらん、てことだ」


 改めて口にすると少し照れくさいな……。


 だが、俺がそう考えていることは事実だ。


 奏音は俺と目を合わさずにしばし無言で立っていたが、やがて観念したように目を閉じた。


「……わかった。じゃあ、お願い」


 奏音はひと言だけ呟くと、俺にスポンジを渡してきた。


 それでいい。


 そもそも食器洗いまで奏音に任せて俺はリビングでゴロゴロするとか、それ完全に夫婦じゃねえか――という考えが浮かんだのも引き受けた理由の一つなんだが、さすがにそれは黙っておく。


「よし、任された。じゃあひまりか奏音か、どっちでもいい。先に風呂に入っとけ」

「ん」


 相変わらずぶっきらぼうで短い返事だったが、刺々しさは感じなかった。






        ※ ※ ※ 


 夜の8時過ぎに、昼間買った椅子と布団が届いた。


 入浴を済ませた後、奏音とひまりはさっそくリビングに布団を並べる。


 フローリングの床に布団を敷くのはちょっと変な気もしたが、隣に同級生の子と布団を並べるのは修学旅行みたいだなと、奏音の心は少し弾んでいた。



 歯磨きを終え、奏音はソファにだらりと座った状態でテレビを見ていた。


 和輝はダイニングのテーブルで発泡酒を飲んでいる。

 夕食の時に飲んでいたので、既に2本目だ。


 ひまりは和輝の部屋のパソコンの前に座っている。


 和輝の部屋のドアは開きっぱなしなので、その様子はリビングからも見えるのだ。


 ひまりは真剣な表情でペンタブを動かして絵を描いていた。


 奏音がちょっと覗きに行ったら「み、見ないでください……!」と恥ずかしげに画面を隠されてしまったけれど。


 ひまりいわく、途中経過を見られるのが嫌らしい。


 奏音にはよく理解できなかったが、それでもひまりが嫌がるのならやめておこうとその場から離れた。




 夜が深く更ける前に、ひまりが和輝の部屋から出てきた。


 電気を消して、二人は新品の匂いがする布団の中に入る。


 自分の家の布団とはまったく別の匂いに、やっぱり修学旅行みたいだな、と奏音は思った。


 布団の中に入ってからしばらくして、ひまりが小声で奏音に話しかけてきた。


「あの、奏音ちゃんは、駒村さんと従妹なんだよね?」

「うん。そうだけど」


「駒村さんて、子供の時からあんな感じだったの?」

「あんな感じって?」


 少なくとも、もう少し痩せてはいたような――と、奏音は自分の記憶にある、昔の和輝の姿をぼんやりと思い浮かべる。


 とはいえ数回しか会ったことがないので、その姿はかなりおぼろげなものだったが。


「その、えっとね、他人に優しいというか……」


 ひまりの語尾は次第に小さくなる。


 暗くて表情はよく見えなかったが、ひまりの声の調子から奏音は察してしまった。


(あぁ。そういう……)


 痴漢から助けてくれようとしたうえ、家出してきた自分を家に置いてくれている。

 さらに夢まで応援してくれる大人の男性――。


 ひまりからしてみれば、和輝はまさにヒーローだろう。


 だからひまりが和輝にそのような気持ちを抱き始めても、何ら不思議ではないと奏音は思った。


 だが、なぜだろう。


 奏音は胸の内が少し苦しくなるのを感じてしまった。


「正直に言うと、私今まであいつと少ししか会ったことがないから、昔のことはよく知らないんだ」


「あ、そうなんだ……。その、突然ごめんね。お、おやすみなさい」


「うん、おやすみ」


 頭からスッポリと布団をかぶるひまり。


 奏音はひまりに背を向けてから目を閉じる。


 今さらながら気になった。

 和輝は、ひまりのことをどう思っているのだろう。


 見ず知らずの家出少女を連れて帰ってきて、彼女の夢まで無条件に応援して――。


 和輝はひまりのことを気に入っているから、そんな行動をしているのだろうか。


 本人は否定していたが、やはりロリコンなのだろうか。


 でも――と奏音は否定する。


 そもそも、ひまりを家に置いて欲しいとお願いしたのは自分だ。


 男と暮らしたことがない奏音の気持ちを配慮して、和輝はその無茶な要求を呑んでくれた。

 そのはずだ。


 不意に、皿洗いの時の和輝のひと言が奏音の脳内でリフレインする。


『要するに、俺の従妹だから遠慮はいらん、てことだ』


 従妹だから――。


 なぜか、その単語がとても引っかかってしまった。


 もし自分が従妹じゃなかったら、ひまりのようにしてくれていたのだろうか――。


 そんなありえない『もし』が奏音の頭の中に広がりかけたが、それを振り払うように奏音は首を振った。


        ※ ※ ※ 

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