第4話 2人のJK

「お……お腹減ったんだけど……」


 俯いたまま、ぽそりと不機嫌な声で言う奏音かのん

 彼女の言葉に、「あ」と小さく声を発していた。


 買い物をするのをすっかり忘れていたのだ。


 それもこれもひまりのせいなのだが、言い訳はするつもりはない。

 朝の時点で、家にまともな食糧がないのはわかりきっていたことだ。


「すまん。ゴタゴタで買い物をするのを完全に忘れていた……。今からピザを頼むつもりだが、晩ご飯はそれでいいか?」


「いいも何も、ご飯がないならそうするしかないじゃん。それか今から買い物に行くかだけど――。この近く、スーパーもコンビニもないよね?」


 そう。この近辺は完全に住宅街で、一番近い所にあるコンビニまで徒歩で片道20分はかかる。

 つまり、往復で40分。


 それゆえに家賃も比較的安く、弟が出て行った後も俺は1LDKのマンションに住み続けているわけなのだが。


「雨も強くなってきたし、正直に言うと外に出るのは面倒かも……。あとさっき冷蔵庫の中を見たんだけど、料理できそうな食材もほとんどないし」


「え……冷蔵庫の中を見たのか?」

「だって帰ってくるの遅かったし。お腹減ったから何か作っておこうかなと思って」


「それは……本当にすまなかった」

「すみません……」


 俺に続いてひまりも謝罪する。


「もう謝るのはいいからさ……。まず何か食べたい。早く注文しよ」


 奏音のひと声で、俺は取っておいたピザのチラシを持ってきて広げる。


 いつもはポストに入っていてもすぐに捨てるのだが、1枚くらいは取っておいてもいいか――とちょうど1週間前に保管していたのだ。

 自分のファインプレーを褒めたい。


「私、ピザって初めて頼むかも……」


 奏音の呟きに、思わず俺は彼女を凝視していた。


「マジで? 1回も……?」

「うん」


 そうか。まあ確かに、女性の二人暮らしでピザを頼むという状況にはなかなかならんか。


「じゃあ、初めてのピザ記念に奏音が好きなのを選べ」

「……ありがと」


 そして奏音が選んだのは、人気の味が一度に楽しめるという、一番高いデラックスピザだった。


 こいつ、サラリーマンの財力を過信しすぎてないか?

 俺ですら初めて注文するわこんなの。






 リビングに移動して、改めて簡単に自己紹介をしてからピザを待つ。


 朝、ダイニングの椅子に置いたままだった奏音の荷物は、ソファの脇に無造作に置かれていた。


 荷物の横で体育座りをする奏音。スカートの中が見えそうだったので、俺は慌てて目を逸らしソファに座った。


 もっと気をつけて欲しいのだが、まだそれを指摘できるほどの関係ではない気がしたので今はやめておく。


「えっと、ひまりちゃんだっけ?」


 奏音が名前を呼ぶと、彼女と向かい合うようにして正座で座っていたひまりは、ビクリと肩を震わせた。


「あ、は、はいっ」

「何で家出してきたの?」


 清々しいほどに直球だ。これが女子高生の会話力というものか。


「えぇと、その、私には夢があるんですけど、両親がそれに猛反対していて。でもずっと聞き流していたんです。それが原因で中学の時から両親と折り合いが悪くて……」


 そういえば、夢に繋がる道具を捨てられたとか言っていたな。


「そして来年は大学受験です。両親は私にその道はやめて欲しいと思っているみたいで、でも私はそれは嫌で……。とにかく無視して夢に向けて頑張っていたんですけど――」


「ちなみにどんな夢なの?」

「えっ⁉ えっと……その、イラストレーター、です……」


 囁くように呟いてから、恥ずかしそうに俯くひまり。

 奏音は「よくわからないけど凄いじゃん」という顔をしている。


 俺も奏音と同じ気持ちだ。ただ、安定はしていない仕事だろうな、というのは何となくわかる。


「と、とにかくずっと両親にその夢を良く思われていなくて――今まで私が集めた道具などを勝手に捨てられてしまったんです。絵の具や筆のアナログ道具だけでなく、ペンタブまで……」


「勝手に捨てられたの? え、さすがに酷いじゃん!」


 確かにいくら親とはいえ、子供の持ち物を勝手に捨てるのは問題があるな。

 夫婦なら離婚の原因にもなるくらいのことだ。ネットで見たことがある。


「本当に、突然のことで――。それで私、ついに我慢できなくなって――家を出てきました」


「なるほど……。で、当てもなくフラフラしていたと」


「ほ、本当は自分で部屋を借りるつもりだったんです! 今まで貯めていたお年玉も結構あったので! 一人でちゃんとできるところを見せようと――。だから不動産会社にも行ったんですけど、未成年は親の許可がいるって言われてしまって……」


「あぁー……」


 ひまりはおとなしそうに見えるが、行動力はかなりあるタイプらしい。

 それでも、肝心な部分が抜けているというか、残念というか。


「それで落胆して、どうしようと電車に乗っていたら――」

「俺と会ったわけか」


 ひまりはコクリと頷く。


「ひまりはこれからどうするの?」

「えっ?」


 再び直球な奏音の質問。俺が言いたいことでもあったので、ある意味助かる。


「行く所ないんでしょ? 家に帰る?」

「そ、それは絶対に嫌です……」


「でも未成年だしな。いくら親が嫌でも、やっぱり帰った方がいいんじゃないか?」


「それは、わかってます。自分が子供だってことくらい……。一人で部屋を借りられないことも知らなかったくらいですから」


 俺に対してか、それとも自分に対する憤りか。ひまりはぷくっと頬を膨らませる。


 そういうところがまだまだ子供だと思うのだが、言ってしまうとさらに機嫌を損ねそうだったので黙っておく。


「でも、やっぱり今は帰りたくないです……。どうしても足が家に向きません……。家のことを考えると、本当に苦しくて……」


「ならさぁ、しばらくここにいれば?」


「え?」

「なっ――――!?」


 奏音の言葉に、ひまり以上に俺が驚いてしまった。


「いや、何を勝手なことを言ってるんだ⁉」

「んでも、連れて帰ってきたのはそっちでしょ?」


「確かにそうだけど……この雨の中、外で一晩過ごさせるのは可哀想だと思っただけで――」

「警察にはそういう言い訳も通用しないんじゃない?」

「ぐっ――!?」


 確かに奏音の言う通りだ。


 どういう事情があるにしろ、俺が未成年を家に連れて来たことは事実。

 それは今の時世、立派な犯罪になってしまうことである。


「捜索願いが出されていて、もし警察に見つかってしまったら、俺は――」


 考えたくなかったことを考えてしまう。ゾワゾワとした冷えた感覚が、瞬時に全身に広がった。


「あ、それは大丈夫だと思います。うちの家、そういう体面をものすごく気にするので……。私が家出したことを世間に知られるなんて、両親は耐えられないと思います」


「いや、どういう家庭なんだ……」

「それは……そこまでは、すみません……」


 苦しそうに目を伏せるひまり。


 もしかして良い所のお嬢さん――政治家の娘とかだったりするのだろうか。

 だとしたら益々ヤバい気がするのだが。


 俺、本当に大丈夫か?


「と、とにかく。ニュースになる事態にはまずならないかと」

「そしたらやっぱり、ここにいればいいじゃん」


 だから、どうして奏音が勝手にそれを決めるんだ。ここは俺の家だぞ。


 さすがに文句を言ってやろうかと口を開きかけたその時、奏音が先に言葉を発した。


「私、今まで男の人と一緒に暮らしたことがないからさ……。たぶんひまりがいた方が安心できるし、嬉しい……」


 おそらく、その言葉は奏音の本心なのだろう。

 俺の方を見ないのは、申し訳なさを感じているからか。


 俺は開きかけていた口を再び閉じざるをえなかった。


 奏音の家はずっとシングルマザーで、叔母さんは再婚もしていない。

 つまり、家の中に男がいる生活を経験したことがない。


 それなのに、これまでほとんど会ったことがないアラサーの従兄弟と二人で暮らすことになった。


 奏音にしてみれば、あまりにも劇的な環境の変化だ。


 彼女が不安になっていたことを、俺はこの時初めて感じたのだった。

 少し考えれば、容易に想像できたことなのに。


 何の因果か、奏音とひまりは同い年。

 ここは奏音のためにも、ひまりを家に置いてやった方がいいのか?


「お前らの気持ちはわかった。でもなぁ……もしバレたら俺が……」


「そこは当然、絶対バレないように超協力するし」

「わ、私もです!」


 前のめりになる二人。

 俺は思わず眉間を押さえる。


 しかし、この一瞬で全員が納得する具体的な解決案が出てくるはずもなく――。


「…………まぁ、二人がそこまで言うなら、仕方ねえか……」


 俺の返答に顔を輝かせ、微笑み合う二人。

 やはり同い年だけあって、打ち解けるのが早い。


「安心してください。絶対に駒村さんを犯罪者にはさせませんので!」


 そう言われて素直に安心できる大人がいたら、そいつは相当脳天気な奴かただの阿呆だろう。


 だが俺は、どうやら阿呆になってしまったらしい。


 まぁ、一緒に暮らす人間が一人から二人になったところで、そんなに変わらんか……。

 変わらんと思いたい。


 でもほんの少し、心の隅の方でほんの少しだけ、ワクワクしている自分がいるのも事実だった。


 女子高生二人と一緒に暮らす――。


 仮に弟がここにいたら「どこのエロゲだよ!」とツッコミを入れられている状況だ。

 平凡だった生活が、これからガラリと変わっていく予感しかなかった。



 こうして俺の部屋で、二人の女子高生との奇妙な共同生活が始まったのだった。

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