第5話 要望を言うJK
ピザを待つ間、奏音が俺に1枚の紙を渡してきた。
学校のプリントかと思ったのだが、ルーズリーフに手書きの文字で数行に渡り何かが書かれている。
女子高生らしい丸文字かと思いきや、案外しっかりした丁寧な文字で見た目とのギャップを感じた。
「これは?」
「家に置いて欲しい物のリストを書いた。帰ってくるまで暇だったから、部屋の中を見て回ったんだよね。色々と足りないなって」
奏音の言葉に一瞬ドキリとする。
……いや。女子高生に見られてまずい物は置いていないはずだ。落ち着け。
「あ。さすがにクローゼットの中とか、プライベートな所は見てないから。外から見える範囲だけ。いやぁ、エロ本とかそこらに適当に置いてあると思ったんだけど、さすがにそれはなかったね」
俺の心を読んだかのようにニヤリと答える奏音。
何てことを言うんだ。
お前は子供部屋を勝手に掃除する母親か?
ひまりは『エロ本』という単語に照れてしまったのか、顔を赤くしながら下を向いている。
これでは俺がセクハラしたみたいじゃないか。やめてくれ。
まあ今の時代そういうのはネットで事足りているので、クローゼットの中だろうがベッドの下だろうが、見られても平気なんだけどな?
「冗談は置いといて。正直に言うと、男の一人暮らしってここまで雑なんだなって」
「雑?」
「たとえばあれ」
そう言って奏音が指差したのは、リビングのカーテン。
「紺色で落ち着いた雰囲気だと思っているが」
「違うよ。色のことを言っているわけじゃない。1枚しかないでしょ? レースカーテンがないじゃん」
「遮光カーテンだし、別に必要ないと思ったから付けていないだけだ」
こういうインテリアにはあまり興味がないので、そこにお金をかけたくないという理由もある。
会社で経理部所属の俺としては、無駄な出費はできるだけしたくない主義だ。
だが俺の返答に奏音は少しムッとした。
「昼間もカーテンは閉めっぱなし?」
「いや、開けている。太陽光は大切だ」
「じゃあ外から丸見えじゃん」
「そうか? ここはマンションの3階だし――」
「たぶん、向かいのマンションからは見えてるよ」
マジか。
俺は思わずカーテンを開き外を見る。
だが、見えるのは夜の闇に反射する自分の姿と、雨による無数の水滴。
窓に顔を近付けると、ようやく外の様子が見えた。
奏音の言う向かいのマンションを見てみるが、カーテンの隙間から洩れる光が見えるだけで、ここからは中が見える部屋はない。
「夜にカーテンをしていないと外から丸見えなのはわかると思うけど、昼間もカーテンがないと見えるんだよ。うちの向かいのアパートのおじさんが、毎朝筋トレしてるの見えてたし。でもレースカーテンがあるだけで全然違うの。アレ、薄いけどちゃんと役立ってる」
「そうなのか……」
正直なところ、今までの人生で『外から家の中が見えている可能性』を特に気にしたことがなかった。
だがこれから女子高生二人と一緒に暮らすとなると、そこは無視できないだろう。
早急に用意する必要がある。
しかし、雑、か…………。
奏音の言葉が自分の中に染み込んでいくのを感じる。
いや。一般的な一人暮らしのサラリーマンの感覚はこんなものだろ。
気を取り直して奏音が書いたリストに目を落とすと、『レースカーテン』の下には『ほうこう剤』とある。
これは芳香剤か。漢字がわからなかったのだろうな。
「部屋はそうでもないんだけど、玄関が何かにおうんだよね」
「………………」
俺にとって殺傷力がありすぎる言葉だった。
だから今朝、奏音は家に入った瞬間顔をしかめたのか……。
まあ確かに体は毎日洗っているが、靴まで洗っているわけではない。
ということは、ひまりもそう思ったってことか? 今日だけでなく、宅配便を受け取る時とかも?
…………これも対策しないとな。
それにしても、匂いについての言及はなかなか心にダメージを負うものだということを学んだ。
自分では気付かない部分だからか。
そして次の行に書かれていたのは『掃除ブラシ』。
何のブラシだ? トイレには置いてあるのだが。
「それね。お風呂を洗う洗剤はあるけど、ブラシが置いてなかったから」
「風呂はシャワーで済ませている。シャワーが済んだ後に洗剤を吹き付け、泡を流して掃除は終了だ」
水道料金を考えると、毎日浴槽に湯を溜めるのがもったいないという意識がある。
時間効率的に、自分が入った直後に洗うのが一番良いという結論に至った。
「たぶん、少しはブラシで擦った方がいいよ。でないとぬめりが残るから」
「……そうか」
そこも容赦なく切り込まれてしまった。
「それで次なんだけど――どうしたの? 私の顔に何か付いてる?」
思わず奏音の顔を見つめていたら、怪訝な顔をされてしまった。
「いや、しっかりしているなと思って」
「そ、そんなことないし。これくらい普通だし」
特に奏音はひまりと比べても『軽い』印象の容姿をしているだけに、ここまで家庭的な面を出されるのが意外だったのだ。
……よく考えてみたら、ずっと叔母さんと二人暮らしだったわけだもんな。しっかりせざるをえないか。
「ううん、私も奏音ちゃんはしっかりしてると思う。私だったら気付かないことばかり……すごいよ」
「ひ、ひまりまで。やめてよー……」
奏音はひまりの腕を掴み、なぜか揺さぶり始めた。
「雑な照れ隠しだな」
俺のひと言に、赤い顔のままキッと睨んで来る奏音。
これくらいはやり返しても罰は当たらないだろう。
………………いや、子供か俺は。女子高生と張り合ってどうする。
そのタイミングでインターホンが鳴った。どうやらピザ屋が来たみたいだ。
奏音の顔が一瞬ぱあっと明るくなるが、俺と目が合った瞬間むくれながら横を向いた。
しばらく触れるのはやめておいた方が良さそうだな。
俺は鞄から財布を取り出し、玄関へと向かう。
そういえばピザを頼むのって、弟が出て行ってから初めてだ。一人で食べるには高いんだよなピザ……。
久々の出費に、でもどこか心が弾んでいる自分もいた。
Lサイズのデラックスピザはすぐになくなった。
奏音とひまりは満足したようだが、俺は正直なところピザだけでは物足りなかったので、おまけで付けてくれていたポテトの存在がありがたかった。
奏音とひまり用に、ペットボトルのウーロン茶も3本ずつ購入した。
うちに置いてある発泡酒以外の飲料が、水しかなかったからだ。おかげで結構な出費になってしまった。
宅配の飲料って高いんだよな……。
俺は自分で紅茶やコーヒーを作って飲むといった習慣がないので、その辺りの飲料も後々買った方がいいのか?
二人は毎日、何を飲んでいるのだろうか。後で聞いてみるか。
それにしても、普段は全く意識していなかった自分の生活のことを、この短時間で色々と考えさせられた。
これが他人と一緒に暮らすということか……。
そんなことを考えながら、冷蔵庫から取り出した発泡酒をいっきに半分ほど飲み干した。
やはり冷えた発泡酒の方が美味い。
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