第3話 《ユアンの独白》2

 そうして、成人とみなされる16歳になった時、俺は村長の屋敷で働くことになった。

 魔女がいるせいで働きたがる者は少なかったが、俺の家は代々村長のもとで働いてきたので、特に拒否感もなく自然にそれを受け入れた。

 実際、働いてみると魔女はずっと奥の座敷で縫い物をしているので、関わりを持つことはなかった。

 そうして1年、何事もなく無難に過ごしたのだが、それはある日突然起こった。

「ユアン、お前薬学の心得があったよな?」

 魔女の世話をさせられている男にそう声をかけられ、頷かなければ、あるいは今こんなに悩んでいなかったかもしれない。

「なら、魔女の様子見にきてくれないか? なんかぶっ倒れてたんだけど誰も近づきたがらないんだよ。のくせにあいつが作るものはよく売れるから殺すなとかいうし……しょうがないからどうにかしたいんだけど俺じゃ何もできないんだよ」

だから、な? と、名前もおぼろげな男に頼まれ、初めて魔女のいる部屋に足を踏み入れる。

 あの日見た少女は成長していて、この髪の色でなければ、ここまで肌が白くなければ美しいんだろうな、とどこか客観的に思った。

 倒れている彼女は目をきつく閉じ、白い肌を赤く染めて床に丸まっていた。見たところただの風邪だろう。

 とりあえず脈を取ろうと魔女の腕に触れると、魔女は目を開き、さっきまでぐったりしていたのが嘘のような俊敏な動きで体を起こし、ばっと腕を胸元に引き寄せた。

「だ……れ?」

 魔女は体をふらつかせながら、掠れた声を出した。

「お前の治療をしに来たものだ。いいから大人しく寝てろ。害は加えない」

 端的に事実だけ伝えて、もう一度腕に手を伸ばすが、魔女は頑なに胸元の腕を動かそうとしない。

「……嘘よ。別に私が死んでも困る人なんていないわ。それに、私に触れるつもり? はっ! 馬鹿なこと言わないで……! どうせ面倒になって殺しに来たんで……ごほっ!」

 怒りに身を任せて一気に言いたいことを言おうとした魔女は、途中で苦しげに咳き込んだ。

 あそんな魔女の様子を見て、やはり風邪だろうと判断した俺は薬を取りに一度家に戻ることにした。

「大人しくしてろよ」

 それだけ言い残して魔女に背を向けた。扉を閉める瞬間聞こえた『やっぱり』の声には、あえて返事をせずに。

 幸いにも家に必要な材料は全てあり、ものの数十分で調合を終え、再び魔女の元へ戻ると、魔女の様子は悪化していた。思わず額に手を当てるが、さっきのような反応はない上、尋常じゃなく熱い。

(これは……薬だけ置いて帰ろうかと思ったが今すぐ飲ませたほうがいいな)

 そう判断して、近くにあった水差しを取りに行くと、弱々しい手が、俺の服の裾を掴んだ。

「まって……いかないで……おかあ、さん……」

 びっくりして振り返ると、魔女が潤んだ赤い瞳でこちらを見ていた。

「……水差しを取りに行くだけだ。ちょっと待てくれ」

「おかあさん……いかないで、いかないで、いかないで……わたしをおいて、いかないで……わたし、魔法なんてつかえない、たまたまなの……おねがい、なんにもできないけどわるいこじゃないの、いかないで……」

 初めて、魔女の弱音を聞いた。ただの風邪で苦しんでる姿を見て、魔女は、本当に魔法を使えないんじゃないかと思い始める。掴まれた袖から手がすり抜け内容、もう片方の腕を伸ばして水差しを取る。

「苦いかもしれないが……」

 魔女の、彼女の首の下に腕を差し込み、膝の上に半ば抱きかかえるような体勢になり、薬を飲ませる。

「おか……さ……」

 喋り疲れたのか、彼女は涙を流しながら再び眠りについた。

 もうすることもなくなり、水差しを元の場所に戻して帰ろうとすると、そこに手帳のようなものを見つけた。いけないこととはわかっていたが、なぜか手を伸ばして、それを開いてしまう。

 それは、日記だった。幼い頃からつけているのだろう。字が拙いところやボロボロになっているところがある。それを流し読んでいると、あるページを見つけた。

『×月 おかあさんにたのまれたやくそうをとりにいったかいりに、おとこのこがもりでまいごになってた。ついてきてくれるかふあんだったけど、ちゃんとわたしのうしろついてきてくれた。うれしかった。こんどはおはなしできたらいいな』

 俺のことだ。

『×月 おとこのこは、やっぱりわたしがいやみたいで、おはなししてくれなかった。かなしかったけど、しょうがないよね。わかってたから』

 これも。

『×月お母さんがいなくなって、少したった。みんな私をいじめてくる。でも、あのときのおとこのこはいないみたい。やっぱりやさしいこなのかな』

『×月 もう長らく見ていないから顔も声も忘れてしまったけれど、あの時の男の子は元気にしているのかな? せめて、名前くらい聞いておけばよかった』

 たった一度、彼女のことを信じただけの俺を、彼女はずっと覚えていて、日記につけていたという事実に震える。

 わかっていた。本当は、最初から彼女のことを俺は、髪の色や、瞳の色、肌の色込みで美しいと思っていたことを。認めてはいけないと心の奥に封じ込めていたが、本当はわかっていた。彼女が優しくて、魔女なんかじゃないことも。

 そして、俺が彼女に惹かれていたことも、それが今決定的なものになったことも。


 それから俺は、逃げるようにしてその場を去り、ある程度心が決まると、自分から魔女に世話役を買って出た。そのおかげか、村長や村人から信頼を受け、いい人などとと思われている。

 本当は彼女にもっと近づきたいのだが、俺があたふたしているうちに彼女はさらに心を閉ざしてしまっていて、取りつく島もない。

 それでも、いつか、俺が彼女の役に立つ日がくればいい。そう願いながら、淡い気持ちは心の奥に封じて、今日も彼女の元へ向かうのだ。

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