そのに
メール送信欄に、勝代のアドレスが打ち込まれた。
とりあえず、形式的なあいさつを、蘭は打ち込む。
「こんにちは、この間はありがとうございました。あの時は、親切にしてくださって、また、素敵な作品を見させて頂きまして、ありがとうございます。また、機会がありましたら、寄らせていただきますね。」
こう打ち込んで、蘭は送信ボタンをクリックした。
数分後、メールがまた届く。
メールは勝代からで、こう書いてあった。
「いつ来てくれるんですか?日にちを教えてくれたら、あたし、準備しておきますから。おっしゃってください。」
え、と思った。こんなこと、社交辞令のつもりで言っただけである。相手もそうだと思うなら、具体的な日付なんて、考えるはずはないのに。もしかしたら、勝代さんは本気にしてしまったと思って、蘭は訂正しなければならないと思った。
「違います。これは挨拶としていっただけで。」
と、急いでメールを送る。
「あ、ああごめんなさい。あたしは馬鹿なことをしてしまいました。なんだか、変な気持ちになってしまって、蘭さんが本気で来てくれるのかと思ってしまいました。あたし、申し訳ないことをしましたね。ごめんなさい。ちょっと頭が痛くて、変な気持ちだったんだと思います。ごめんなさい。今のことは、変なやつの失態として、忘れてください。」
そんな返事が帰ってきた。蘭はこれはもしかしたらひどく傷つけてしまったかと思い、もう一度返事を打った。
「すみません。何か悩んでいるようですが、僕が札幌とか旭川に住んでいればよかったですね。そうすればすぐに駆け付けられるのですが。申し訳ないです。」
すると、こういう返事が帰ってきた。
「ごめんなさい。蘭さん。私も、ちょっと悲しいことがあって、気が動転してました。それだけなんです。」
「一体何があったんです?」
蘭は、何があったか聞いてみたくなって、そう聞いてみた。
「ごめんなさい。木田の主人がなんだか急に体調を崩してしまって、急いで私も病院に駆けつけたんですけど、医者も看護師も、刺青を入れた私が、管理不行き届きだったんじゃないかって、そればっかり聞いてくるもんですから。」
な、なるほど、そういうことだったのか。それで勝代さんは悩んでいたのだ。
「そうですか。確かに、そうなったら大変ですよね。でもとにかく、勝代さんはご主人とは違うんですから、ゆっくり落ち着いて生活してください。いいじゃありませんか。別に自分の技術を活かして生きたっていいじゃありませんか。ご家族の方がなんと言われようと、気にしないでやっていってください。」
蘭はとりあえず、模範的な回答を送った。
「そうですねえ、蘭さん。私が何か言われるのならいいんですが、みんなうちの主人に言うんですよね。主人が、可哀想だとからかわれたりとか、主人が刺青を入れた奥さんを持って、大変ですねえと、変な同情をされたりとか。私に直接は言わないで、なんでみんな家族の責任にしてしまうのかしら。」
うーん、これは日本特有の現状かもしれなかった。何か問題のある人を見つけると、本人を攻撃するより先に家族に嫌がらせをする。それにしても、どうしてこう、日本人は、ねちっこいんだろうか。
「そうですよねえ。僕もそう言われちゃったら困るだろうな。確かに偏見の強い仕事ですよね。僕の周りには刺青に偏見のある人はいないですが、確かに生活しにくいなと他の人から聞いたことがあります。」
蘭は、そうメールを打ちながらため息をついた。
すると、すぐに返信があった。
「ええ。蘭さんは周りに理解してくれる人がいるから羨ましいなあ。」
僕は恵まれすぎているのだろうか。と、蘭は思う。
本当なら勝代さんのような、偏見の目で見られるほうが圧倒的に多いのに。
「ごめんなさいね。こんなこと言っても、しようがないのにね。なんで、静岡というこんな遠いところに住んでいるあなたに、変なメールをしてしまったのかしら。本当に困るわ。ごめんなさい。」
勝代はそんなメールを送ってきた。いつも無鉄砲に行動している杉ちゃんとは偉い違いだ。杉ちゃんなんて、無責任だし、一緒にでかけてもお礼も何もしない。妻のアリスもそうだ。なんだかやっと自分の責任に気がついてくれる人に会えたような気がした。言ってみれば常識がある人だ。
「ごめんなさいもうこれでおしまいにするわ。これ以上迷惑かけてはいけませんもの。蘭さん、今日はお話を聞いてくれてありがとうね。」
そんなメールが入ってきた。本当に勝代さんは、常識があっていいなと思った。
「もし、蘭さんが何かあったら、わたし、メールだけだけど相談に乗ります。今回は蘭さんにご迷惑をかけてしまったので。」
蘭は申し訳のない気がした。
「いえ、大丈夫です。僕が悩んでいることは今はありません。」
とりあえずそうメールを送る。
でも、そんな態度をとってくれるなんて、本当に良い人じゃないかと、蘭は思ったのであった。
一方その頃、製鉄所では。
「へっくしょい!」
と、杉三が大きなくしゃみをした。
「どうしたの杉ちゃん。」
由紀子が、その隣でそういうが、
「いや、わからん。誰かが噂でもしてるんだろう。」
と、杉三は答えた。
「それにしても水穂さんはよく寝てるね。」
確かに水穂が、二人の傍らで静かに眠っていた。
「そうねえ。でも本人にしてみれば、辛いんじゃないかしら。だって、自然に寝ているんじゃなくて、薬で無理やり寝てるんだもの。」
「そうだねえ。薬ばっかり飲んでるのもあんまり良くないしなあ。でも、放置していたら、また出すもんが詰まって大変なことになるよ。ご飯も食べないし、このままだとなあ、、、。」
杉三はうーんと考えこむ。
とにかく、今は出口の見えない状態なんだなと由紀子は思った。杉ちゃんも、由紀子も、どうしようか迷っている。もう少しなんとかできないか、二人共考えていても思いつかないのだった。
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