第23話油津姫
終業式の数日前の朝、貞夫の隣室に引っ越し業者がやってきた。何者だろうか?
貞夫の疑問は、翌朝に解決した。朝食が済み、まさに登校しようとしたタイミングでインターホンが鳴った。
「おはよう、貞夫!」
「……あぶらつさん」
モニターには油津姫が映っていた。
隣室に越してきたのは彼女だ。その日は少し雑談をしてから別れた。
そして終業式から少し経った夕方、油津姫の家から男女の言い争う声が聞こえてきた。
見知らぬ男が大友家を訪ねてきた。男が貞夫家のインターホンを押すや否や油津姫が飛び出してきた為、貞夫も応対ぜざるを得ない。
「あぁ、貞夫…出てこなくてもよかったのに。すぐ追い払うから、中入ってて」
「おいおい、油津姫!仮にも実の兄に向かって…」
「お兄さん?」
葛鹿彦(くずしかひこ)と男は名乗った。
彼は油津姫たちに両親の元に戻るよう説得に来たのだが、追い返されてしまったそうだ。
「二度と来んなバーカ!」
油津姫の前蹴りを躱すと、葛鹿彦は2人の住むマンションから去った。
また来るらしい。仲が悪いのか、気になる事はいくつかあったが貞夫は口に出さなかった。
あまり彼女の事情に踏み込むのは如何なものかと思ったからだが、油津姫は帰る直前、声を掛けてきた。
「明日、家に来てもらっていい?」
「え?家…」
「聞いてほしいことがあるの。お願い」
油津姫は沈んだ表情で自宅の扉を潜った。
胸騒ぎを覚えた貞夫はLINEを送ろうとして…止めた。勝手に2人を連れて行った場合、油津姫が機嫌を損ねるかもしれない。
見聞きしたことを、後日伝えればいいだろう。翌朝、貞夫は何が待ち受けているのかビクビクしながら、油津姫の家に上がった。
「お邪魔します…」
「いらっしゃい。よく来たねぇ、大友ちゃん。」
貞夫を独りの老婆が出迎えた。
お茶を出した鈴寄女(すずよりめ)は貞夫と油津姫がそろった事を認めると、長い話を始めた。
「大友ちゃんは、私らについてどこまで聞いてるの?」
「えぇと…古代人の生き残りで、変身することができる……くらいです」
「うん。本当は何という名前だったのか、私らにもわからない」
土蜘蛛は個体数は少ないが、個としての能力は一般人より上だ。
多腕の異形に変身せずとも身長より高く跳び、腕一本で自分の体重を半日以上吊り下げることができる。
寿命も人間の3~5倍ほど。老いの速度も緩やかだ。
「人間の血がかなり混じってるから、そんなに生きないモンもいるけどねぇ。それを嘆いた私らの父祖は薄くなった血を濃くするべく、要らん事考えたのさ」
近親婚。
一部の者が親族同士で番いになるという事が、しばしば行われてきた。
あの葛鹿彦も単なる兄ではなく、婚約者として油津姫を連れ戻しに来たのだ。
「……!?」
それを嫌がった油津姫を、鈴寄女が連れ出したのだ。
彼女達の両親も親戚による婚姻であったが、娘に無理強いをしない程度には一般的な感性を備えていた。
「けど、葛鹿彦は諦めてないんだねぇ。大友ちゃん、私らも気に掛けとくから、あの子に気を付けて。アンタが仲良くしてる事知ったら、どんな行動に出るかわからんからね」
貞夫は呆気にとられたまま、油津姫の家を辞去した。
どんな行動に出るかわからない……自分の家族に手を出すという事だろうか?
不吉な想像が膨らみ、不安に駆られた貞夫は宗司と侑太に情報を伝える。
――うわ、ヘビー。衝撃の事実だな。
――顔写真、送ってくれないか?探してみる。
宗司からLINEを送られた貞夫は、ばつの悪い思いで油津姫にLINEで頼む。
メッセージを読んだ彼女から返事が来るが、文面上ではあまり怒っている風ではない。
ただ宗司と侑太を呼ばなかった事から、身の上については大勢に知られたくないのだろう。写真などは全て両親の元に置いてあり、自分も祖母も持っていないそうだ。
数日後、貞夫の母親が奇妙な話をしていた。
職場で若い男の子と仲良くなり、食事に誘われたのだが、断った翌日に火傷で入院したそうだ。
首を傾げた貞夫は母親に詳しい経緯を尋ねるが、本人も詳しい事は知らない。貞夫は宗司と侑太に相談する。
――どう考えてもお前じゃん。
――違うよ、何言ってんの。
――けど燃えたんだろ、貞夫の力だろ。
――えー、いやその人知らないし、僕そんなことしないよ。
侑太のLINEは、図らずも正答を射抜いていた。
家族を守ろうとする貞夫の心が、無意識のうちに異能によって両親をガードしていたのだが、本人は気づかない。
葛鹿彦は母親に差し向けた男がⅢ度の熱傷を全身に負ったと知り、忌々し気に舌打ちした。
貞夫の家族に干渉し、弱みを握ろうとしたのだが、アプローチを変えるべきかもしれない。父親に差し向けた女はまだ接触できていないようだが、一旦呼び戻そう。
夜、華奢な少年を伴って緩やかな上り坂を歩く彼が連絡を済ませた直後、前方で閃光が煌めいた。
「――!」
葛鹿彦の身体が一個当たり1㎝四方の無数の肉片に化けた。
舞い上がった鮮血から跳んで逃れた華奢な少年は或戸秀雄。通り魔事件の後、葛鹿彦に拾われた彼は突然の事態に着地して屈んだ姿勢のままに固まった。
まもなく我に返り、人に見られたら不味いと、矢も楯もたまらず走り去った秀雄を宗司が追う。
宗司は彼らの前方、マンションの屋根に影のように立っていた。
走り去った秀雄を追い、鹿子公園に入った宗司は異界に迷い込んでしまう。
飛んでくる殺気に反応し、刀を二度振るい、四方に意識を向ける宗司の前に鬼が姿を現した。昆虫の複眼のような大きな眼が特徴的だ。
「誰だ!――……」
恐慌した秀雄が鬼に目を向けた瞬間、宗司は斬撃を飛ばして身体を3つに断つ。
「愚かな…追跡者から背を向けるとは」
「仲間じゃないのか?」
「いいや。我らも目を付けてはいたし、雑兵にしても良いとは思うが、土蜘蛛に拾われたからな」
鬼――風鬼は秀雄の手にしていた妖刀"ミサキ"を拾い上げ、静かに抜き放った。
「水鬼と金鬼の仇…あっさり死んでくれるなや!」
風鬼は刀を下段で構えつつ、円の軌道で動く。
トンボめいた顔の鬼は宗司が『疾風』を撃つと、似たような斬撃の風を返した。
両者は同時に飛ぶ。霞と消えた宗司が背後から振るった金剛兵衛を、風鬼は竜巻のような勢いで足を引き、逆手に持ち変えたミサキで防ぐ。
腕が吹き飛ばんばかりの衝撃。
倒れこそしないが、よろけた風鬼から宗司は距離をとる。
大きく左に跳んだ風鬼はやられてばかりでもいられないと、異界・鹿子公園内に渦巻く風を脅しつける。
烈風が吹き荒れ、宗司の身体を持ち上げた。
彼は風速が僅かに増した瞬間、風鬼の視界から姿を消す。
イタクァ、風神、茶釜。風を武器とする異能者や神魔と対峙した経験の成せる技だ。
風鬼自身は名乗りこそしなかったが、先の2体は名乗った。
ならば残るは隠形鬼、風鬼。伝承によっては土鬼、火鬼が出てくる場合もあるが、風が吹いた瞬間、その推測を宗司は捨てた。
獲物を失った風は、苛立つように唸る。
風鬼は大気を読み、宗司の居所を探知。刀の反射光が煌めき、大気が刃となったのはそれと同時だった。
宗司の五体が天高く持ち上がり、『疾風』を躱した風鬼の身体が霜を超えた厚い氷で覆われる。
風鬼は体の芯まで凍り付いたことで烈風のコントロールを手放してしまった。
激しい風で打たれた宗司は地面に叩きつけられるも、刀を手放すことなく起き上がる。
風鬼は身体に纏わりついた氷を爆ぜ飛ばすと、大上段の構えをとる。
宗司の剣は速い。風鬼をもってしても完封はできない。
大気を読み、最速で刀を振り下ろす――飛ぶ斬撃。人間とも思われない速さだが、宗司の動きは見えている。
風鬼は刀を振り下ろした。切っ先から鋭い風が刃となって奔る。刹那、風鬼の胸から血が噴き出す。
風鬼の手からミサキが滑り落ちた。
しかし、まだ腕は繋がっている。宗司の斬撃波と風鬼の斬撃波が衝突したことで、威力が削がれたのだ。
風鬼は傷ついた身体を叱咤し、傷の再生を促すが、宗司は風鬼が息絶えていないと見るや駆け寄り、続けざまに刀を振るって肩口から両腕を斬り飛ばす。
「きさま…!?」
宗司は風鬼の胸に指を突き入れ、肉塊を取り出すとそれを口に入れた。
唖然とした風鬼だったが、黙って見守る謂れは無い。すかさず烈風を浴びせる。
素早く逃れた宗司だったが、完全には回避できなかった。足を掴まれて振り回されたような格好になる。
宗司は背の高い木に激突した。
風鬼はまだ死んでおらず、発狂した風の槍衾が彼に降り注ぐ。
宗司は地を這う蛇のように疾走すると、独楽のように回転して『大蛇』を放ち、風鬼にとどめを刺した。
強い神魔の心臓を摂取できたが、傷を負ってしまった。
このままここにいるのはまずい。宗司は生命力の結晶を取り出して、痛みを訴える足に当てると傷を癒し、鹿子公園を後にした。
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