第21話迷いの森

 夜、疲れた顔の壮年男性が緑区の市営公園に足を踏み入れた。

これからずっと楽しいことなど自分には一つもないのだ、と言わんばかりの表情をしている。

着ているビジネススーツは持ち主同様草臥れており、身なりに気を遣う余裕はなさそうだ。


 彼は森の中に分け入り、道なき道を進む。

彼はたっぷり10分歩き続けた。テニスコートやゴーカートを走らせるスペースなどがある広い公園だが、森は直線で10分も距離は無い。

それでも壮年男性自身は10分歩き続けた。男性は鞄を持っている。中から丈夫そうなロープを取り出す。そこで男性は気づいた。


――足場が無い。


 枝にロープが掛けられないじゃないか。

足場の用意がすっぽり抜けていたのだ。一旦帰ろうか、今日はやめようか。

そう考えた男性がふと目を離した瞬間、枝の下に誂えたように木の椅子が現れた。


(…?まぁいいか)


 男性は深く考えることなく、木の椅子に昇り枝にロープを掛ける。枝は太く、自分を吊り下げてもすぐに折れる事はなさそうだ。


 都市伝説研究会を尋ねて、1人の生徒がやってきた。

名前は鉢伏、同級生だ。隣の家から木の枝が自宅まではみ出して来ており、鉢伏の父親が非常に鬱陶しがっているそうだ。


「ご近所トラブルかよ、家主は出てきたのか?」

「こんなところじゃなしに市役所に相談してほしいんだが」

「市役所にはもう相談したんだけど、その家、前の道路にまで庭?の枝がはみ出してて、近所のおばさんも苦情言ってるけど、奥までたどり着けなかったって」

「――へぇ」


 研究会一行の目の色が変わる。


「玄関行くだけだろ、真っ直ぐ行ったら着くっしょ」

「着かなかったら困ってんの。一応、住人はいるみたいだけど」

「家主ってどんな奴?」


 鉢伏は冴えない顔になった。詳しい情報は知らないようだ。


「わかった。解決できるかは知らんが、ひとまず見てみよう。それでいいな?」


 報酬の請求を禁じられている侑太は面倒くさそうに言った。

放課後、鉢伏の案内のもと、件の民家に到着した都市伝説研究会は、言葉を失った。


「これは、すごいな」

「枝っつーか、森じゃん。どっから入るんだよ、これ」

「入口はあるけど、中見るのが怖いねー」


 件の家は、年季の入った2階建ての平屋だ。

侑太達は庭に木が生えているものと思っていたが、外壁から直接生えているのだ。

苔の生い茂る樹木が城壁のように取り囲み、僅かな隙間から元々の窓や外壁が一部覗いている。


「辿り着けなかったって、言ってたな」

「うん、玄関には入れるんだけど、中も森みたいになってて、途中で塞がれてるんだって」

「よーしよーし、わかった。場所は覚えたし、もう行っていいぜ」


 鉢伏は自宅に帰ると、研究会一行は樹木に覆われた家に足を踏み入れた。

中はさながら樹海であり、窓の大部分が幹や枝葉で遮られている為、夜中のように暗い。


「火を点けるのは無理だな」

「言わんでもわかるわ。枯らせねぇかな…ククノチノカミよ」


 侑太は樹木を司る神の威力を降ろし、家に絡みつく木を枯らせないか試みる。

結果は大当たり。民家を覆う木が急速に枯れ、見る間に崩れていく。まもなく崩壊しかかった一軒家の廊下が4人の前に現れる。

家探しを始めた4人だったが、家主は不在だった。


 鉢伏は隣家を覆う木が枯れたと知ると、外まで出てきて研究会に感謝の言葉を述べた。

しかし、家主に会えていない為、対症療法でしかない。鉢伏はどうやって木を枯らせたのか不思議だったが、侑太は枯葉剤を使ったと言いくるめて納得させる。


「ねぇ、侑太君。この家、保安部は把握してないのかな?」

「どうかな。俺、ここの話初めて聞いたしなー、市役所に通報したならそこ経由で通ってるかもしれねーけど」


 その日のうちに侑太は緑の家の家主について調べ始める。

家主の名は煎餅坂紀夫(せんべいざかのりお)。気胸で入院していた男だが、退院後から連絡が取れなくなっているらしい。

紀夫は恐らく超能力者だ。手を出さないにせよ、動向は把握しておきたい。


 紀夫の目撃情報を調べていると、緑区の某市営公園に行き当たった。

首吊りの名所として徐々に名を上げている場所で、紀夫はこの場所に自殺者を招いているのではないかと、侑太の脳裏に推測が浮かんだ。

仲介屋に依頼が出ていない以上、侑太に深入りするつもりはない。


 仲介屋を出てメンバーと別れた宗司は、緑区の某市営公園を訪れた。

研究会としては依頼達成だが、個人的な好奇心によって彼は深入りを決めたのだ。

ネットで検索をかけ、自殺スポットの見当はついている。ハイキングコースから外れ、金剛兵衛を腰に差してから木々の間に踏み込む。


――空気が変わった。


 当たりを引いた宗司は口元に笑みを浮かべ、両手にミズチの籠手を出現させる。

空を見るが、方角は見当もつかない。仕方なく直進していると、額に真紅の宝石を持った小動物、女の上半身を生やした巨大な花が出現。

それぞれ、カーバンクルとアルラウネだ。


 カーバンクルは即座に逃げ出したが、アルラウネは悩まし気に息を吹きかけてきた。

その体液は幻覚、幻聴をもたらし、叫びを聞いた人間は精神に激しいショックを受ける。

宗司は一気に間合いを詰め、独楽のように回転しつつ踵を落とし、『大蛇』を放つ。


 瞬間、四方が青白い氷に包まれた。

氷柱の弾幕が2体を貫き、獲物を狙う寒気の奔流が妖花と幻獣を穴だらけの氷像に変える。

宗司は混乱しつつも、これが自分の新しい力と理解する。霜の降りた草を踏みしめ、さらに奥へ進む。


 四方から襲い来る神魔を相手に、目覚めたらしい力を探る。

ざんばら髪の怪人が放つ水蒸気を固めた氷刃を半身ずらしで除け、腹に左足で蹴りを入れる。

攻撃を受けた怪人ウェンディゴは前方に吹き飛ぶ。攻撃を受けたウェンディゴが空中で姿勢を変え、地面に足を付けて顔を上げた時、視界には恐るべきスピードで突っ込んでくる宗司の姿があった。


 ウェンディゴを炎を帯びた突きで葬った宗司が奥に進むと、開けた場所に出た。

1人の男が座り込んでいる。虚ろな目で足元に目を向けている男の様子を窺っていた宗司は背後に殺気を感じ、右手に移動。

素早く振り返ると、角の生えた巨躯の怪人が立っていた。手には節のある金棒を握っている。


「誰だ?」

「我が名は金鬼。坊主、先程の戦いを認め、貴様をここまで招いたのはこの俺よ」

「そうか。では死ね」


 その一言が開戦の合図。

金鬼は一直線に駆け、金棒を突き降ろす。唸り声を上げる金棒が命中まで5㎝の位置に到達した頃、宗司は半身をずらして一歩踏み込む。

ミズチの籠手から金剛兵衛に装備を替えると、宗司は刀を鞘走らせた。


 金鬼は野獣の反応速度で身体を倒し、水平に飛び蹴りを放つ。浅い手応え、仕留めてはいない。


 跳躍とほとんど同時に、刀や放たれた矢をものともしない皮膚に裂傷が生まれる。

地面に落下するや金鬼は側転。回る視界に宗司の姿はない。どこだ、と考えるより早く身体を動かし、金棒を力強く振るう。

金属の衝突する音。金鬼の得物と、宗司の剣閃が衝突したのだ。


 宗司は金鬼の死角に入るや、続けざまに振るう刀を振るう。

居合が防いだ瞬間、宗司の姿が右にずれる。宗司の移動を認めると同時に、金鬼の頭部に突きが刺さる。

右目が貫かれた瞬間、炎が四方に広がった。宗司の体内で高まった気が、炎熱となって放出されたのだ。


 金鬼の脳髄が炙られ、視界がホワイトアウトする。

細胞が泡のように弾けていく痛みに動きを止めてしまった事が、金鬼の命運を決めた。

宗司は絶好のチャンスを見逃すことなく、金剛兵衛を手に剣舞を披露し、膝をついた鬼を切り刻んだ。


(これが俺の力――足りん)


 侑太がこれまで見せた力と比べて、あまりに幅が狭い。

宗司は鍛えた技に自信があった。それが揺らぎ始めている。


(ならば、俺は力を求めるとしよう…)


 宗司はさらなる力を求める事に決め、異界から現世に戻りつつある公園内の森を去った。

後日、金鬼の傀儡にされていた紀夫が正気を取り戻し、自宅に帰還した所を保安部に拘束されるのだがそれは研究会メンバーには関係ない話だ。

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