第14話ダゴン

「貞夫ー!授業終わったし、一緒に帰ろうよ」

「え、あぁ…藤堂君!」


 授業が終わってすぐ、油津姫は隣の席の貞夫に声を掛ける。

彼女の誘いに狼狽した貞夫は藤堂を探すが、すでに姿を消していた。

薄情すぎる…。無論、可愛い女子に誘われて悪い気はしないのだが、それで有頂天になるほど彼はおめでたくなかった。


――どういうつもりなんだろう。


 知りたいのだが、知るのが怖い。貞夫は侑太に研究会を欠席する旨を送信してから、姫と連れ立って校舎を出た。


「あいつ、探り入れろって言ってんのに使えねーな。全然進んでねぇ」


 侑太は一度遠巻きに油津姫を眺めた。間違いなく、栄で出会った妙な連中の仲間だ。


「女に慣れてないんだろ」

「ハハハ…そんな感じだけどさ。お前、どうなん?」


 部室のソファに寝そべりながら、侑太は尋ねた。


「中2の頃から付き合ってる女子がいるが、ここに入ってからは会ってないな」


 年が明けてからは連絡も来なくなった。


「……それ消滅してないか?カワイソ~…」

「かもな。後で聞いてみる。今日はどうする?」


 2人は日没後、金城埠頭に足を運んだ。

埠頭ではつい先日、惨殺体が発見された。それが大型の生き物に襲われたようなのだそうだ。

犯人の情報は不思議なほど上がっていないが、半魚人を見たという噂が流れている。宗司と侑太が学校を出る頃、雨が降ってきた。


 仲介屋経由で名古屋港管理組合の依頼を受けた2人が埠頭に到着。

場所は物流企業が有する荷扱所だ。死者が出た以上、特殊保安部に情報が上がっていないはずがないが、先んじることができたようだ。

戦闘が予想されるため、2人は雨合羽に身を包んでいる。


「よし!さっさと済ませて帰るぞ」


 武装を展開すると金城ふ頭緑地で右に曲がり、岸壁に向かって歩く。

しばらく進むと、雨音に混じる十数の足音に取り囲まれた。青味がかった灰色のウロコに覆われた、カエルに似た顔の怪人の群れ。


「半魚人か…」

「ディープワンか」


 半魚人のクリーチャーの中で特に知名度の高いものと言えば、サハギンかディープワンだろう。

前者はTRPG発祥、後者はラヴクラフトの創作だ。宗司がざっと説明すると、侑太は苦い表情を浮かべた。

彼の修めている神道系の術は悪霊や幽鬼などを相手にするものだ。彼らのような肉の暴力を振るう怪物相手には効果が薄い。


 ディープワンの群れは哀れな獲物を前に、歓喜の雄叫びを上げる。

夜闇を貫く咆哮は、宗司が抜刀と同時に『疾風』を撃った事で唐突に打ち切られる。

吠えていた半魚人は、文字通り三枚におろされた。同胞を殺害されたディープワン達は、ある者は爪で、ある者は鉾を手に2人に襲い掛かる。


(やっべぇ…)


 逃げるべきだ。

相手の物量に怯んだ侑太は依頼から手を引くことに決める。貞夫がいなくなったことで、フォーメーションが崩れている。

宗司が敵に向かうと、自分の周囲ががら空きになってしまう。


 安全に探索を続けるには手が足りない。

宗司につかず離れず戦うよう言う事も考えたが、彼は前衛として使うべきだ。

斬撃を飛ばす術を習得しているとはいえ、遠間からチクチク削るのは本領ではないだろう。


 侑太が四方に目を配っている間に、宗司はディープワンの数を減らしていった。

背後から襲い掛かる爪を鞘で受け止め、天然の装甲として機能する鱗に覆われた皮膚を薄紙のように切断していく。

駆ける宗司はすれ違いざまにディープワンの首を落とし、鉾のリーチ差を問題にすることなく、半魚人を斬り倒す。数が半分に減ったあたりで、ディープワンの群れは退いていった。


「退いたか」

「仲間を呼ばれたらヤバイ。逃げるぞ」

「依頼はどうする?」

「御免なさいするしかねーべ。こんな事なら貞夫連れてくるんだったよ…」


 宗司はまだ進みたいのだが、もっと大物が出てきたら独りでは厳しいかもしれない。

ディープワンの長なら、ダゴンやハイドラだ。超能力や魔術などを向けられた場合、手も足も出なくなる恐れがある。

発動する前に殺せればいいのだが…。


(惨めだな)


 怖気づくのは弟たちの存在か、それとも自己の喪失への恐怖か。


「氷里達に協力を仰げないか?」

「えー!?今から呼んでも間に合わねぇよ!だいたい、報酬がパアだぜ!?それなら放置するよ、俺」

「…わかった」


 宗司と侑太は一目散に駆け出す。

埠頭地区緑地に差し掛かった頃、サイレンのような不安を煽る音があたりに轟いる。

立ち止まって振り返ると、降り止まぬ雨の中、見上げるほど巨大な人影が海面から屹立していた


「…!?」


 侑太は立ち止まった事を後悔しつつ疾走。フォームに目立った特徴は無いが、速度は豹に匹敵する。


「駅に降りないのか!?」

「あぁ!?タクシーの方がいいだろ!止まったら終わるし、もう一駅先に行こう!」


 1㎞以上を走ると、流石にペースが落ちてきた。

雨合羽など最早役に立っていない。臨海高速を右手に走り続ける彼らの隣を、1台の原付がすれ違う。


「侑太君!?」

「あぁ?椿じゃねーか」


 原付に乗っていたの椿だった。

停車させた彼女は侑太達が埠頭から来たらしいと推測すると、何があったのかを尋ねる。依頼を受けてきたのか、もはや口にも出さない。


「半魚人の群れとでかい巨人だ。つかお前ら、仕事遅くね」

「人数少ないから、手が回ってないの!名古屋だけでも、結構広いんだから!」


 特殊保安部は神魔や呪術の絡んだ事件を鎮圧するための部隊だ。

遭遇経験のある警官の中でも、憑依などに耐性を持つほどの霊的能力を備えた人物を揃っている。


「保安部が同化装備を取り入れたばっかりなんだけど、巨人かー…」


 椿は原付を発進させる。


「あ、おい!」

「危ないからさっさと帰って!」


 椿は走り去った。


「…なぁ、俺らも行く?」

「お前が行くなら」

「じゃあ決まりだ。あの女、馬鹿にしやがって」


 侑太と宗司は荷扱所に引き返す。

巨大な半魚人――ダゴンは既に陸に上がっており、肘で上半身を支えている。

這うように歩行するダゴンを、たった二十数名の人間が迎え撃つ。その中には別府、松竹の姿もあった。どこかで入れ違いになったらしい。


 彼らの手には、銃身が二股に分かれた小銃が握られている。

弾体を電磁誘導により加速し射出するレールガン。周囲の空間に存在する暗黒物質を電力に変換させることで、武装化にこぎつけた逸品だ。

銃口から青白い光が、彗星のようにダゴンの皮膚に落ちる。試作品なので、用意できた弾は200発しかない。


 親を守るように突撃するディープワンの群れを、通常火器を装備した保安部警官が迎え撃つ。

鎮伏屋も僅かだがいた。ビジネススーツの女が従属させている大蝦蟇を操り、半魚人の上陸を侵攻を阻む。

傘を差した少年が、やせ細った手足と膨れた腹を持つ餓鬼に雷を落とす。


 レールガンによる釣瓶打ちと、異能による組織変異。

脆弱化された肉体に音速の銃撃を百発以上浴びてなお、ダゴンは上陸をやめようとしない。


「おい、そろそろ看板だぞ!どうなってんだ!」


 レールガンに籠める弾体がまもなく尽きる。侑太と椿が合流したのはそんな時だった。


「遅くなりました!」

「遅ぇぞ!氷里!後ろのは?」

「高島君です!藤堂君も後から来ます!」


 椿はあっという間に原付から降り、前衛に加わる。

勢い込んだ侑太だったが、半魚人相手ではあまり力にはなれない。術によって縛り、あるいは勢いを鈍らせる程度だ。

宗司の到着を待つ侑太だったが、彼は作戦に使用されたレールガンの残弾が尽きた頃に姿を見せた。侑太達が到着して数分の事だ。


「来たか!」


 足音が響いた。

現れた宗司は侑太の声に応えることなくディープワンの間を走り抜け、ダゴンに近づくとその右脚を切り刻む。

顔と肩回りは既に鎮伏屋や実働部隊が、かなりのダメージを与えていたのだ。後方に回り、巨体を取り巻く半魚人を宗司は斬り倒していく。


「うおぉ…やっぱ本当にやるなぁ」


 叔父から教わった武術に含まれる気功。

これを用いる事で宗司は膂力や脚力を一時的に高めることが出来る。ダゴンの文字通り大木のような脚も、装甲のような鱗も問題にならない。

しかし、反応速度には限界がある。流れ弾が左上腕を抉った。


 宗司は舌打ちするとディープワンの少ない方向から、別府達のいる隊列の後方に戻る。

魂へのダメージの蓄積が限界に達したダゴンはまもなく倒れ、まもなく消滅を始めた。保安部が後処理を行う為、鎮伏屋は帰される事になった。


 消滅したダゴンが見かけ石造りらしい巨大な左足を残した。

大須の異界に現れた風神との関連は間違いない。詳しく調べるべく、保安部は更なる人員派遣を要請する。部隊を運ぶ車両では運搬できないからだ。


 報酬は業務用に口座を持っている者はそちらに振り込まれ、無い者は現金により受け取りとなる。今回は宗司、侑太も当初より目減りしたとはいえ、報酬を受け取ることができた。

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