第13話風神

 中村区の雑居ビル内に、異界が発生していた。

不思議とテナントが入らないビルの中、空間が歪むほど高度な異界の中を7人の土蜘蛛が歩いている。

昼間に宗司達が出会った者達は通行人と大差ない格好をしていたが、この場を歩いている者達は違う。


 四臂、六臂など差はあるがいずれも多腕。

手足はひょろ長く、鋏角を備えた割れる顎、腰部分に開いた糸の発射口を持つ。

蜘蛛と人間を混ぜたような怪人の群れは、立ち塞がるコボルトやワードッグを蹴散らしつつ最奥を目指す。

進むにつれ、周囲の湿気がひどくなる。いつの間にか床が浸水しており、歩くたびに水音が立つ。


 彼らのうちの一人が、手にした端末を確認する。

でいたらぼっちの反応を探っているのだ。もっとも、相当近づかないと機能しないので、発見した異界に潜ってしらみつぶしに調べなければならないのだが。


「ここに来たのは誰だ?」


 異界の奥から、誰何の声が聞こえてきた。

まもなく地鳴りのような揺れと共に、声の主が姿を現す。ヒレやウロコに覆われた、恐ろしい面貌の巨人。


「お前は?」

「我が名はグレンデル。呼び声に招かれ、この地で肉の身体を得たのだ!」


 グレンデルは咆哮と共に土蜘蛛たちに突撃。

空間が歪んでいるとはいえ、異界は巨体にとっては狭く、その動きは制限されている。

膝立ちで振るわれた重機のクレーンのような一撃を躱すと、土蜘蛛の放った稲妻がグレンデルを貫いた。


 グレンデルは身じろぎするように腕を壁に叩きつける。

轟音と共に1体の土蜘蛛が壁に埋まり、内臓を著しく傷つけられてしまう。

グレンデルの背中側に半数ほどが回り込み、臍から発射された糸が巨体をがんじがらめにしていく。

思うように身動きがとれない巨体を縛りあげるのは簡単ではなく、水平に飛んだ蹴りによって土蜘蛛の身体が砕け散った。


 完全に動きを封じるまでの間に、3体の土蜘蛛が絶命。

まもなくグレンデルの心臓が抉り出される。異界は姿を消し、消滅した巨体のあった場所に大きな右腕が残された。

でいたらぼっちの右腕だ。彼らは巨大な右腕をその場で解体。同胞の亡骸と右腕の破片を回収すると無人の雑居ビルから立ち去った。


 彼らの暗闘など知らぬ都市伝説研究会は、仲介屋で依頼を受けた晩に現場に向かっていた。

内容は大須のアメ横3階での奇妙な生物の目撃談の調査。整形外科や泌尿器科と言ったクリニックが入っており、受診者を中心に徐々に情報が広がっている。

このまま噂が広がっていくと、3階全体、ビルそのものが異界となりかねない。


「ビルや橋の時と同じ空気だが……営業できてるのか?」

「鋭い奴はなんか感じてると思うけどな」


 全てのテナントが営業を終了した時刻。貞夫が懐中電灯で前方を照らし、視界を確保する。


「なぁ、神魔が異界を発生させるんだろう」

「いや噂とか…曰くのある土地は異界になるぞ。もっとも神魔は実在しないことになってるから、世代交代で伝承が廃れると消えるがな。主がいる場合は別だ」


 3階に入ると、犬頭の人間ワードッグが一行を出迎えた。

宗司が間合いを詰め、噛みつきを躱して側頭部を籠手を嵌めた拳で打ち抜く。


 フロアに上がってすぐ、侑太は異変の中心部分を発見していた。

市内で活動するグループのイベントスペースだ。管理事務所から預かっている鍵で開く。

部屋に入るとトカゲの身体にネコの頭を持つ奇妙な生き物、ストレンヴルムが襲い掛かってきた。


「ノウマクサンマンダ……」


 侑太が法術によって縛り、貞夫が炎を浴びせて、宗司が篭手で打つ。


「終わったか」

「あぁ。報告済ませて帰ろうぜ」


 専用のアプリを介した電子メールで侑太は達成報告。アメ横ビルを出た直後、彼らは無人の街に放り出された。


「高島君…?」

「おい、また異界だぞ」

「俺が知るかよ!あぁ…連絡とれねーし」


 3者3様で狼狽するも、待っていても状況は変化しないと悟ると歩き出した。大須観音駅の上まで来たが、人間の気配は感じられない。


「おい、街がまるごと異界になることなんてあるのか?」

「俺だって深い知識なんかねーよ。…ただ、神隠しとかで攫われたヤツの中に、人のいない街にいたっつー連中がいるんだって親父が言ってたよ」


 神隠し、つまり自分達が彼岸に引き込まれたという事か。

先程までいた異界より、幽世に近いのではないかと宗司が推測を口にする。侑太は否定も肯定もしない。彼にも知らないことはあるのだ。


「ねぇ、そういえば前にこんなことあったよね?あの時は――」


 貞夫がそう口にした瞬間、突風が吹き下ろしてきた。

風が吹いてきた方に顔を向ける。大きな袋を背中に提げた緑色の肌をした鬼が宙空に浮きながら、研究会のメンバーを見下ろしていた。


「風神?」


 有名な日本画に描かれた、一対の鬼神の片割れがそこにいた。風神が袋の口を宗司達に構えると同時に、夜気が唸り声をあげ始める。


「逃げろ!」


 肩に担いだ姿から察するに、バズーカのごとく風を撃つつもりだ。

侑太が叫んだ直後、宗司は猟犬のように駆けるながら、金剛兵衛を出現させる。脇の街路の入口まで走ると、居合と共に剣風を飛ばした。

口を向けた風袋と肩に裂け目が生まれ、暴風が鮮血と共にまき散らされる。


 街路樹を根こそぎするほどの暴風から逃れつつ、宗司は『疾風』の第二射を行う。


「貞夫、目だ!目と耳だ!」


 侑太の指示が飛び、貞夫の異能により風神の頭部が爆砕。

轟音と共に夜空がオレンジに照らされるが、浮遊する鬼神はいまだ健在。

鉄鼠と同等か、それ以上の力を持っているのだろう。これまで想像だにしなかった強敵と対峙した宗司は笑みを浮かべる。


 宗司は地面を蹴り──人間とは思えない跳躍力ですぐ近くの飲食店の屋上まで飛ぶ。

屋上の縁を蹴り、空中の風神に向かって飛ぶ。刀を横薙ぎに振るい、すれ違いざまに左腕を切断。


「飛んだ…」


 侑太と貞夫は絶句。左腕が落ちてすぐ、風神は悶えるように身体をくの字に折った。

宗司が宙に持ち上げられたが、貞夫が追撃の火炎を浴びせた事で風の渦は止む。

5mほどの高さから落下した宗司は受け身をとり、さらに飛ぶ斬撃を放つ。剣風が緑の身体を通り抜け、風神の胸から血飛沫が散る。


「待て!ここはヤバい。建物に寄れ!!」

「何言ってる!?」

「異界から戻るだろ、駅の入口まで退け!トドメは貞夫だ!」


 侑太が檄を飛ばすと、3人は走り出す。

満身創痍の風神が咆哮を上げると、周囲に建つビルの窓が弾けて国道に舞い落ちた。

大きく移動したことで1人、距離が離れていた宗司は2人とは別のルートを進む。


 貞夫が火炎球を見舞うのと同じタイミングで宗司も『疾風』を撃ち、淀みない動きで金剛兵衛をスティックに変換。地下に駆け下りる。


 侑太が言ったとおり、風神の消滅が始まったあたりで喧騒が戻り始めた。

地下へ降りる階段を駆け始めたあたりで研究会一行は現世に帰還し、直後に悲鳴や轟音が出入口の外から聞こえてきたが振り返らない。

ホームで合流すると、その日は解散。


 悲鳴と轟音の原因は2日ほどで明らかになった。

椿から侑太が聞かされた処によると、見かけ石造りらしい巨大な右腕が国道上に出現し、多数の目撃者が出たそうだ。

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