第9話 呪術

 翌日、宗司は研究会のメンバーに隙間女の出現を伝える。

伝えられた侑太は表情を引き締める。貞夫はうんざりした表情で口を開けた。


「ど、どうしよう!?僕、まだ20人に教えてないよ!」

「捨て垢で呟いたらセーフにならねーかな。てかお前が聞いてから3日経ってねーじゃん」


 宗司含め、友達はあまり多いほうではない。

加えてこんな話を広めようものなら、クラスカーストの外に弾き出されるのは避けられないだろう。


「茂和は信じてない風だったから、そのせいじゃないか?」


 あの様子だと茂和は20人に話してはいないだろう。同じ家だったので、こちらがターゲットに選ばれたのかもしれない。


「それより結界を素通りしたってどういうことだろう?」

「俺も隙間女について調べたけど、あれって何なんだろうな?」

「どういうことだ?」

「正体だよ。隙間女って何だと思う?」

「幽霊でしょ?」


 わずか数ミリの隙間に挟まる女。人間ではあるまい。


「幻覚という答えを省くなら、超スマートな人間という線もあるな」

「えぇ?何それ」

「隙間に収まるタネがあればいい。超能力、科学、魔法。信仰というか、イメージによっては結界を通過できるんじゃないか」

「説明取られたけど、要はそういう事だ」


 神魔の格を左右するのは、歴史と信仰。

都市伝説の怪異は最底辺であるが故、非常に変質しやすいのだ。姿かたちが安定していないともいえる。

口裂け女やトイレの花子さん級の定番キャラなら、本質まで変わることは無いのだが。


「多分、人間よりの存在としてイメージされてるんじゃないか?」

「えぇ…どう聞いても妖怪としか思えないけど」

「鵜呑みにすればな。けど妖怪より、ストーカーがいつの間にか入り込んでいましたって方がありそうだろ。後は…、ベッドの下の男とどこかで混ざったのかもな」


 噂の伝播度合いは不明だが、有名なベッドの下の男と関連付けられているのかもしれないと侑太は推測する。

ベッドの下の男に妖怪や悪霊の属性は薄い。話の内容から見ても、まず連想されるのは危険な変質者だ。もし、広まっている隙間女の噂が宗司の弟が話したものから変化しているのだとしたら。


「人間…ほぼ人間並みの神魔になってるのかもな」

「だったらどうするの!?別の噂を流すとか!?」

「落ち着けよ。まず噂の現時点のカタチを知るのが先だろ。もし出てくる場所がベッド一択なら、罠が張れる。異界は形成されたか、藤堂?」

「恐らくな。手首を切断した時、暴れてたが、家族には聞こえなかったようだ」

「ふん。そこは変わらないのか」


 その日の放課後、3人は隙間女の噂について調べた。

主流となっている妖怪めいたバージョンのほか、人間のようなバージョンが確認できた。

視線や物音に気付いた部屋主が確かめると、いつの間にか部屋に見慣れぬ女が隠れているというものだ。

しかし、噂はおおむねこちらを見ている…という段階で終わっている。目を話したら消えているらしく、その後どうするか、どうしたかは語られることは無かった。


「高島君の言うとおりだったね。ねぇ、これで20人超えたんじゃない」

「どうかな。既に知ってた場合はノーカンじゃね」

「止めてよ。結構、本気で不安なんだから…」


 コンビニのイートインスペースに入り、3人は一息つく。


「対抗神話らしい物も無いしな…あぁ面倒クセ」

「対抗神話?」

「ある都市伝説が嘘だと証明する都市伝説のことだ。口裂け女のポマードとか、紫鏡の20歳までとか。回避法みたいなもんだな」


 2人の会話を聞くでもなく聞きながら、宗司はシュークリームの包みを開ける。

彼が薄いきつね色の生地にぱくついた瞬間、名古屋市内の霊力の流れが大きく乱れた。宗司はけたたましい警報が鳴ったように感じ、深く考えずに店内を見回したが、同じ感覚を抱いたのは貞夫と侑太だけらしい。


「今のは…港の方か?」

「あぁ…、相当大がかりな術をやったのがいるな」

「お、大がかりな術って…」

「怨敵調伏法とか、戦勝法とかそんなのだ」


 宗司はシュークリームを口に押し込んで立ち上がる。侑太は音を立ててカフェオレを啜り、貞夫をそれに倣う。


「行ってみるか?」

「気にはなるんだが、まず身内の無事を確かめた方がいい。それから改めて集まろうぜ」


 侑太は深刻な調子で言う。


「それくらいならすぐに済むんじゃない?」

「そうなんだけど…、椿たちも気づいただろうしな」


 宗司の2人いる弟達は無事だ。貞夫も両親に電話をかけて、安否を確かめている。侑太も家族の無事を確認。


「じゃあ、行くか」

「おう…、貞夫はどうする?」

「え、いや…」

「ちょっと長くなりそうだし、都合が悪いなら帰っていいぜ」


 気遣うような発言に、貞夫は驚愕を顔に浮かべた。


「どうしたの。高島君…?」

「いや、港についたら後は勘頼みになるだろうし」

「いつもなら引っ張っててでも連れていくだろう。何か気になる事でもあるのか?」

「……ちょっと来い」


 侑太は2人を通行人のいない路地に誘うと、小さな声で話し始めた。

身体を壊したすぐ後、侑太の父親は譫言でヒルコと口にした。意識を取り戻した後に問い詰めたところ、真っ白な顔で忘れろと彼は息子に繰り返した。

侑太の父親は御嶽山で修業し、里に下りて祈祷などを行っている鎮伏屋であり、出先で重大なトラブルに見舞われたらしい事は教えられずとも察することが出来た。


「高島の親父が体調崩した原因が、今回のヒルコだと?」

「わからん…そうかもしれんし、実は関係ないかも。今から確かめに行くんだけど。で、お前らの無事に責任が持てん」

「責任感じてたんだ」

「あん?」


 侑太は神妙な顔で言うが、宗司の意思は固い。

非日常への入り口がすぐ目の前で口を開けている、きっと戦いもあるだろう。帰る気にはならなかった。


「貞夫、どうする?」

「え、と…僕……」

「迷ってるなら来るな。行こうぜ」


 侑太は宗司を促し、貞夫を置いて2人は地下駅を目指す。

港方面に走る車両が来た為、それに乗る。扉が閉まり切る直前、貞夫がホームに走ってくるのが見えた。

貞夫が追いつくより早く、車両は走り出した。


「こっち来たのか」

「途中でいたたまれなくなったんだろ。気のちいせぇ奴…」


 2人は地下鉄に揺られる。退勤時間に重なっているだけあり、乗客は多い。


「地下鉄で急行とかしまらねぇな」

「そうか?俺は別に気にしないが」

「マジ?バイクの免許持ってりゃ、それ転がしてくんだけどな」


 侑太は自嘲気味に笑う。高校に上がってすぐ、父親が倒れたので、免許を取るどころでは無くなったのだ。


「バイク興味ねぇの?」

「車ならあってもいいと思うけどな」


 30数分ほど地下鉄に乗っていた2人は、港区役所で降りる。

現場の目星は地上に出た瞬間についた。飛ぶように駆けた宗司と侑太の前に、港区の角地に建つ真新しい民家が姿を現す。

周囲は不自然なほど人の気配が無く、目の前の建物を見ていると不吉な予感が湧いてくる。あと1分と経たずに突入という場面で、紺色と白で塗られたバスのような車両が走りこんできた。


「侑太君…!?」

「おぉ!?椿か」


 走っている最中に扉が開き、椿が飛び出してきた。


「何してんの――あぁ、霊力流の乱れか」

「そうそう。港の方かなーって思ったら大当たり」


 椿のもとに厳つい男が2人近づいてくる。機動隊を思わせる紺色の戦闘装備に身を包んだ、壮年男性と青年男性。


「椿、走ってる車のドアを開けるな」

「一般人じゃないみてーだぜ、別府さん。こいつらは?」

「都市伝説研究会よ。港区の依頼を片付けた…」


 壮年の方は別府、青年の方は松竹と名乗った。

建物を車の排気音が取り巻いていく。名古屋市内に滞在している、特殊保安部の実働部隊が集まったのだ。

都市伝説研究会が異変を察知した十数分後、速報が全国に流れた。


――東京都千代田区の大手町、有楽町で大規模な道路陥没が発生。また鎌倉橋一帯で有毒ガスが発生しており…。

――東京都中央区の路上で、通行中の女性が大型動物に突進され…。


 椿達も霊力流の乱れを察知しており、侑太達に僅かに遅れる形で民家前に集合。

宗司と侑太の扱いが問題になったが、彼らの邪魔をしない事を条件に同行が許された。この判断には、研究会一行が神魔との戦闘を潜りぬけて来た事が影響しているだろう。

保安部の人員は鎮伏屋の人口と同じように少なく、尾張東部だけで150名程度。実働部隊は半分の75名程度で、残りの後方部隊は情報の収集や伝達を担当。


 この場に集まったのは、椿や別府達3名を含めて8名。別府達は名古屋市内を主に担当している。


 民家の玄関扉には鍵が掛かっていたが、武者姿のリビングデッドが待ち構えていた。

建物は外観より広い。玄関を入ってすぐの扉を開けると、廊下が延々と続いておりまるで迷路のよう。


「かなりの奥行きを感じるんだが…」

「管理者のいる異界だな。黒日輪か?」


 屍武者を退けた一行は、二手に分かれた。

一階部分を探索する組と、外観から見るに存在するであろう二階およびその上層を探索する組。

宗司と侑太は一階の捜索隊に加わることになった。宗司は前列、侑太は後列。


 廊下に足を踏み入れた宗司達の前に、行く手を阻むように猿の経立の群れが現れる。

突撃せんと駆ける猿たちに、同行する隊員が小銃の照準を合わせる。その横を、宗司は金剛兵衛を左手に疾風と化して飛び出していった。


 鞘から抜かれた刃が、一瞬煌めいた。

同行者がそう思ったのも束の間、宗司は猿の経立1匹の首を落とす。流れるように刀を右手で振るい、左右の経立を斬り捨てると、無言で納刀。

仲間を殺された残りの経立が殺到するも、宗司は烈風のように動きつつ、松脂や砂で硬化された猿怪を狩る。3匹にまで減った頃、叶わぬと見た経立は奥に逃亡。


 これを宗司は疾風――呼吸法によって生み出すエネルギーを、力を発する事で遠間に放つ剣技で仕留める。

経立は時に天井や壁を蹴って死角に回り込むが、宗司は背中に目がついているかのように、正確に対応。強靭な皮膚から骨まで切り裂く。


「今のは…猿の経立だ」


 後列に回っていた保安部の隊員がタブレットPCを操作して言った。


「なに見てるんですか?」

「これは、保安部属に配布されている図鑑だ。今まで報告された神魔のデータが収集されてる」

「へぇー、便利なモン使ってますねぇー」


 侑太は興味深そうな顔で画面を覗き込んでいる。

しかし保安部に入ろうとは思わなかった。怪我の恐れがある界隈において、有事の際に駆り出される公務員の身分など邪魔なだけだろう。


 一階捜索班はさらに奥に進む。

椿は二回探索班に回った為、周囲は見知らぬ大人ばかりだが、それで委縮する2人ではなかった。

侑太は遠当てや早九字などを用いて戦闘を支援。父親の教育により磨かれた見鬼の才も、索敵に大いに役に立った。

宗司は言うまでもない。瞬時に間合いを詰め、神魔を斬り倒していく。総じて、学生離れした実力者達だ。


「これは?」

「生命力の結晶だな、傷薬代わりになる」


 ガスマスクを着けた怪人マッドガッサーが小石ほどの大きさの結晶体を残した。

オレンジに輝いており、触ると仄かに暖かい。同行していた隊員に教えられた宗司は、懐に結晶体をしまう。

侑太含めて興味は無いらしく、結晶体は宗司の物になった。両手が塞がってしまうので、金剛兵衛の鞘をベルトに差している。


 一階の探索を済ませた一階班は、二階に上がる。

高度な異界と化している為、階層の数すら不明。二階探索班とは3階で合流できた。


「そっちの学生らはどうだ?」

「藤堂がかなりやります。高島も歳考えりゃ中々ですが、藤堂は剣だけなら、氷里並みです」


 合流した隊員同士が、手短に情報を交換する。

その中で交わされた、宗司と侑太の戦いぶりについて椿は耳聡く聞き取った。


 3階に上がってすぐ、雄牛くらいの大きさの巨大なネズミが廊下で宗司達を出迎えた。

石の体と鉄の牙を持つ…鉄鼠だ。原典に当たる頼豪本人ではなく、怨念がネズミの姿をとったものである。

特殊保安部が集積する出現記録にも、別の鉄鼠が記載されている。鉄鼠は奥の扉を守るように突入した戦闘員達の前に立ちはだかり、扉の向こうに重大なものが隠されていることは明白。


 悪霊の属性を持つ巨大ネズミに、祓いの術はよく効いた。

柏手によって生まれた清い音を耳にした鉄鼠が、灰が固まったような黒い塊を吐く。保安部の実働隊員が構えていた銃口が火を噴く。

怯んだ鉄鼠に、毎分数百発の速度で鋼弾が刺さる。


「俺たち以外皆機動隊みたいな服着てんだけど」

「そりゃそうでしょ、物理的な攻撃なら多少防げるし。皆がみんな霊的成長を遂げてるわけじゃないんだから」


 保安部の人員は、神魔との接触経験がある点を除けば訓練された一般人と大差ない。

霊感が芽生えており、霊的・魔的な存在に反応できるだけだ。彼らが使っている武装にも、特別な効果は無い。

しかし仮初とはいえ血肉を得ている以上、既製品の武具でも彼らに対抗する事はできる。


 弾丸の嵐を浴びながら、鉄鼠は隊員の銃口から逃れるべく天井に跳躍。

千を超す弾丸が追いかけ、命中するたびに重機でコンクリートを削るような音があたりに響く。鉄鼠が一行の背後目がけて飛ぶ。


 刹那、銃撃が止んだ。

その隙を縫って、宗司の「飛ぶ斬撃」が翔け、鉄鼠を真っ二つに両断。無数の弾丸によって外皮の大部分は剥がれていたが、隊員が与えたダメージはそれだけだった。


「萎える~!一発ならもっと早くやれよ、藤堂!」

「銃声がうるさ過ぎて、集中できなかったんだよ」

「うるせぇ!とにかく済んだ、行け!」


 鉄鼠が守っていた扉が開かれ、別府達が奥に殺到する。

波のように絶え間ない足音と共に、紺色の制服姿は徐々にその数を減らしていった――突如行進が止む。

踏み込もうとしていた隊員は引き返し、扉のそばに固まり、開いた扉の向こうに銃撃を放つ。矢が飛んできた事で、宗司は教えられずとも状況が把握できた。


 宗司と侑太は、奥に通じる出入口から離れて実働部隊の戦いを見守る。

恐らく、中には弓兵がいる。あの出入り口から突っ込んだら、「疾風」を放つ前に狙い撃ちにされるだろう。

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