第7話式神
宗司はミズチとの戦闘の翌日、矢場町の地下工房を訪れていた。
戦闘後に拾得した籠手を、同化装備に作り変えてもらうためだ。都が作業に入ろうとした所、還暦の男がそれを見咎めた。
「お前にはまだ早い。PPクラブのベストの加工と、真下会の注文は済んだのか?」
「済みました―!確認…」
「だったら納品して来い。上も手が空いてねぇんだ」
「はーい…」
都は不満そうな顔でガレージを出ていく。
「いつ取りにくればいいですか?」
「3日後だ。料金は7万」
「安いですね」
「物の調達費の分、安く済んでるのさ」
還暦の男――本渡は宗司が渡した装備を受け取り、作業台に向かう。
宗司は街に出ると、五感を研ぎ澄ました。すると視覚の外を漂う霊力の流れが探知できる。
語る所のない雑踏の中、人間でないモノが混じっていることがわかる。神魔との遭遇を経験したからか、宗司の内側で霊的な感覚が育ちつつあった。
(こいつを待っている暇はないな)
気配の主は大通りでティッシュを配っている若い女。
手に持っている籠の中のティッシュが捌けるまでは、彼女は通りから動くまい。
宗司は諦め、次の獲物を探しに行く。異界を形成する神魔の性質を鑑みるに、あまり上手い職業選択とは思えないが。
宗司が姿を消したころ、女は場所を移した。
ティッシュ配りは隠れ蓑だ。それっぽい格好を警戒しているだけでどこかの企業と契約しているのではない。
適当な獲物を見つけ次第、ターゲットを尾行して人気のない場所で襲い掛かる。
「駅に住む男?」
「らしい。千種区のある駅の近くを妙な男がうろついてるんだと。で、駅に住んでるんだっつー噂」
「ないでしょ。駅で寝るなんて…」
「まー、見つかったら追い出されるな」
宗司が篭手を預けに行った後の平日、研究会は千種区の某駅を探索。
しかし、怪しげな人物は見当たらない。また、3人の霊的感覚にも引っかかるものは無かった。
空振り。1時間粘った侑太はそう結論付け、その日の集まりは解散となった。
3人は駅から地下鉄に乗り、帰路に就く。
最寄りの東山公園駅から地上に出て、数分ほど自宅に向かって歩いていた侑太を取り巻く空気が、不意に印象を変えた。
「!?」
雑多な都会の空気が深山のように澄んでいる。物音がしない。
このまま立っているのはまずい、と当てもなく走り出した。駅から北の坂を上っていた侑太の視界の端に立っていたミラーに、顔を長髪で隠した人影が映りこんだ。
左脇のあたりに別の女の上半身が、縫われたようにくっついている。飛び退ると同時に振り返ると、鏡面に映り込んだそのままの姿が手を伸ばして来ていた。
異界が発生しているのか?
否、と侑太は即座に結論を出す。現世の一角が異界となる場合、必ず相応の噂が必要だ。想念の呼び水となる情報が。
(ただの死霊がこんな異界を作れるわけねぇ!――神隠し?)
侑太の父親曰く、異界はある空間を周囲から隔絶するためのもの。
境目のない住宅地の一角が異界になるなどあり得ない。ならば、幽世に引っ張り込まれたのか?そういった伝承はいくらでもある。
もし現世なら、大声を出せば誰か気づくか?侑太は叫んだが、応答は無かった。
「天魔外道皆仏性、四魔三障成道来魔界仏界同如理…」
死霊が迫る。
侑太が一心に誦すると、死霊は姿を消した。
しかし、安心はしていない。侑太はペース配分を無視した疾走しながら2人にLINEを飛ばし、念を入れて宗司に電話を掛ける。
万が一にも、これを自宅に持ち帰ることがあってはならない。
異界からは未だ抜けない。
南を走る大通りに足を向けた侑太の前で、アスファルトが爆ぜた。
舌打ちした侑太は九字を切り、再び現れた死霊を退ける。同時に異界化が解けた――排気音が聞こえてくる。
膝から力が抜け、座り込んだ侑太の後ろから乾いた足音が近づいてきた。
「――お前、椿か」
「久しぶり。そこで侑太君を尾行してた男を見かけたんだけど、異界を作ってたみたいね」
学生服の少女。
大きくつぶらな瞳と色白の肌の、端正な顔立ち。つんと高い鼻が意志の強そうな印象を与えているが間違いなく美人の部類に入る。
氷里椿(ひさとつばき)。侑太の幼馴染であり、実家は市内にある神社だ。
「助かったよ、ありがとう」
「待って。侑太君、都市伝説研究会名義で仲介屋に行ったでしょ」
「…そうだけど」
「危ないからもうやめて。生活が苦しいならバイトでも――」
「バイトより実入りがいいんだよ」
「死ぬかもしれないのに?依頼なんて、月にそう何件も出ないじゃん」
表情を険しくした椿は、近づいてくる何者かに気づき言葉を止めた。
5秒と経たずに宗司が合流。宗司は屋上の縁を駆け、外壁を駆け降りてその場に現れた。
宗司は見慣れない少女を睨むように見るが、侑太が目立った怪我をしていない点から、敵ではないと判断した。
「無事か。そっちの娘は?」
「おぉ、俺の幼馴染。じゃあ俺、もう行くから」
「ちょっと、まだ話が終わってない!」
成り行きを見守っていた宗司を促し、侑太は立ち去ろうとする。
呼び止められた侑太は面倒くさそうに顔をしかめた。椿は話しておきたいことがあるらしく、侑太達を実家の神社の社務所に案内する。
駅から走ってきた貞夫と合流した3人は、東山公園駅近くまで移動。
やがて鬱蒼とした森から通りに向かって口を開ける灰色の鳥居を潜り、氷里神社の参道を進んだ3人は社務所の応接間に通された。
「椿さん、お帰りなさい。そちらは…都市伝説研究会の方々ですね」
「…こいつは?」
応接間にはビジネススーツの男が座っていた。
自分達の素性を把握しているらしい一言に侑太が顔を険しくする。宗司の瞳にも警戒の色がよぎった。
「こちらは特殊保安部の栗端さん。一応、私の上司に当たる人だからそんなに警戒しなくてもいいよ」
「一応はやめてくださいよ…こういうものです」
栗端は名刺を取り出した。
そこに書かれていた名前は栗端明。身分は警視庁の特殊保安部所属。階級は巡査だ。
「警視庁……」
「警視庁?警察がなんで出張ってくるんだ?」
「勿論、神魔と彼らを扱った犯罪者に対処する為です」
「そ、それってつまり…日常の裏では闘いが、みたいな?」
気づいた貞夫は思わず身を乗り出す。
「アハハ…まー、ざっくりと言えばそうなります。日本政府は半世紀ほど前、1950年ごろに神魔の出現を確認しており、彼らへの対抗策を講じて来ました」
それによって現在まで一応の平穏が保たれている、と栗端は語る。
オカルトや心霊は一部の好事家を除けば目を向ける者はいない。SNSによる一億総ジャーナリスト時代に突入した結果、行動はしにくくなったが、幽霊や妖怪の実在が信じられなくなって久しい。
「概要はその辺で切り上げて、本題に入ってくれませんか?」
「わかりました。お伝えしたいことは2つ。まず貴方方の素性は既に把握しています、一時期より組織が縮小されているので四六時中とはいいませんが、ある程度監視されていると考えてください」
「あの…逮捕とかはしないんですか?」
「神魔や呪術、超能力を犯罪行為に用いない限りは武器の携帯含む違法行為は黙認します。一般の警察官も神魔の存在は把握していますが、通報があった場合は捜査する事になるので、行動には重々気を付けてください」
戦える民間人を排除する気はないようだ、と宗司は推測する。
「重要なのは2つ目。現在、名古屋市に危険な呪物が持ち込まれている事が確認されています」
「呪物?」
「はい。ヒルコと呼称されている赤ん坊のミイラで、市内に入って以降の足取りが掴めていません」
ヒルコの名前を聞いた途端、侑太は表情を引き締めた。
「それは記紀神話の水蛭子ですか?」
「よくご存じで。いえ、それは名前だけです。黒日輪という宗教団体が作った器物で、臨月の妊婦の腹を割いて取り出した胎児を素体にしていることから、ヒルコと名付けられたようです」
ヒルコの作成されたのは、1920年ごろとされている。
大戦がもたらした好景気が褪め、戦後恐慌と関東大震災が日本国民に襲い掛かった頃に黒日輪は誕生したという。
開祖、蘇我日向(そがひなた)は撫でるだけで信者の患部を癒し、一粒の米を蔵一つを満たすほどの量に増やすことが出来たという。
彼の信者は、死産・流産とは縁が無かったそうだ。
彼の起こす奇跡を求めて多くの人々が集ったが、大々的に信者を募ったりはしなかったという。
親から子に、子から孫に信仰は継承された。新規の信者になる場合、いくつもの通過儀礼を経なければならないらしいと拘束した信徒から保安部は聞き出している。
「その黒日輪は何故ヒルコを作ったんだ?」
「拘束した信者に伝えられている限りだと、ヒルコの霊験により当時の政府を破壊し、日本に王城楽土を建設しようと考えていたようです」
研究会一行は絶句した。既に聞き知っているのだろう椿も白けた表情をしている。
「そのヒルコは、どれくらい凄いんですか…?」
「真偽は不明ですが、1925年の北但馬地震、1930年の北伊豆地震、1931年の日向灘地震はヒルコの呪力によるもの…と」
「なんだそりゃ。要石かよ」
ヒルコの脅威は感じられなかったが、怪奇事件が最近増えていると侑太が言っていた。
関連があるかもしれない。今後は慎重に市内探索を進める事を約束して、都市伝説研究会一行は氷里神社を後にした。
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