第6話大蛇

 水の張ったプールの底が抜けたような豪雨が、名古屋を襲っていた。

市内各地の路面に池が生まれ、酷いところだと踝の上まで水につかるほど。庄内川が氾濫したのは、そんな晩の事だった。

住宅への浸水被害が報告されたが、中小田井、枇杷島といった庄内川流域に住んでいない都市伝説研究会一行には関係ない。これまで幾度となくあったゲリラ豪雨の記憶の中に、この雨もしまわれる。


「ねぇ、何も感じないよ?そろそろ帰らない?」

「あと30分。宗司、周囲に人は?」

「野次馬っぽいのが2時の方向と12時の方向にいる」


 彼らがいるのは深夜の平和公園。

市内有数の桜の名所であると同時に、園内の北部に10万を超す墓碑が立ち並ぶ、深夜にはあまり訪れたくないスポットである。

なぜ彼らがここにいるのか、噂があったからだ。


 深夜、墓地を横断している半魚人の姿がネット上に出回っているのだ。

半魚人目当てにやってきた暇人がいるのはありがたくない、24時間営業とはいえ警察官がやってこないとも限らない。


「うぉー!!」


 研究会メンバーの位置から2時の方向で歓声が上がった。

そちらに走って様子を窺うと、カエルのような頭と青味がかった灰色の皮膚に身を包んだ4匹の化け物が池に向かって小走りで駆けていく場面が目に入った。

物陰からスマホを向けている一団がある。数は5名ほどで、宗司は酒が入っているのではないかと思った。


「行くの?」

「人目があるから無理だな…くっそ、邪魔なんだよ」


 半魚人の集団は猫ヶ洞池に我先にと飛び込んだ。池に飛び込んで追いかける気もなく、研究会はその場を後にした。


「高島くーん、画像見つからなかったんだけど」

「かなり後ろの方だが、検索には引っ掛かるぞ。画は出てこなかったけどな」

「そっか」


 昼食時、3人は部室棟に集まっていた。

昨夜見たものについて出来る範囲で調べていたが、宗司には発見できなかった。貞夫も同様らしい。侑太は興味なさそうに、一言呟いた。


「そもそも連中はどこにいってるんだろうな」

「池の底…ってことは無いよね。すぐに見つかるだろうし。ねぇ、半魚人に襲われた人とかいるの?」

「俺は知らねーな」

「他に目撃談は?」

「後は…庄内川沿いだ」


 3人は放課後に庄内川方面に足を向けた。

庄内川にかかる橋の一本に、老婆の幽霊が出るという橋がある。噂は神魔を呼ぶ。まず足を運ぶべきはそこだ。

そして夜8時過ぎ、夜の庄内川の上に3人は集まっていた。まだ深夜とは言い難い時刻だからか、車の通る量は全く絶えてはいない。


「さむーい…」

「高島、幽霊はどこに出るって?」

「橋の上、としかわからん。向こうまで歩いてみようぜ、貞夫が先頭な」

「えぇっ!?なんで!?」

「俺が先頭だと祓いの術が邪魔されかねねーだろ」


 宗司は鼻を小さく鳴らしてから、橋の向こうに歩き出した。

侑太と貞夫はそれぞれ、スポーツバッグを持ってきている。軽々と運んでいるのを見るに、中身は入っていないらしい。

宗司は不思議に思ったが、深く追及はしなかった。


 独りで幾つか依頼を片付けたことで、金剛兵衛は既に購入済みだ。

しかし刀だけでは心もとない。今後、日本刀を満足に振るえない場所で戦闘を強いられる事もあり得るからだ。

宗司は叔父から体術も教わっている。合皮手袋を嵌めているが、これで相手にできるのはチンピラ程度だろう。金剛兵衛よりリーチの短い武器を持っておきたい。


(メリケンサックみたいなのがあればいいが)


 研究会一行が橋を2/3渡り終えたあたりで、貞夫が隙間風のような声を出した。


「どうした?――あ」

「…向こうか」


 3人が歩いている反対側の歩道に、身体の透けた老婆が立っている。


「ちょっと遠いな」


 侑太は左右を見回して、車のライトが無いと見るや車道に飛び出す。


「あ、ちょっと待って!」


 侑太を追いかける貞夫の姿を見る宗司は、足を踏み出そうとして止めた。

この状況、以前にも似たような空気を感じたことがある。周囲は耳鳴りがするほど静かだ。


 どこだったか…宗司が思い至るより早く、答えが姿を現した。

宗司の後方、庄内川で発生した轟音が宗司の鼓膜を貫く。顔を向けると、大きな水柱が立ち上っている。


「蛇…?」


小さくなる水柱の奥から、巨大な蛇の首が3人を見下ろしていた。

蛇の頭部は角を生やしており、彼らの位置からは見えないが、4本の足を生やしている。ミズチだ。

ミズチは口腔を開き、3人目がけて毒気を吐きつけた。


 宗司は一足で数mメートル跳んで毒気の射線から逃れると、スティックを刀に変換する。

毒気を吸ってしまった侑太は咳き込みつつ、貞夫にパイロキネシスを発動するよう命じた。

十を超す火種がミズチの頭部を囲み、一斉に襲い掛かる。


「高島君、大丈夫?」

「うっせ、平気だよ…」


 宗司はミズチの首を見据え抜刀。

前に出していた右足を引き、その場で一回転しつつ、突風のような速さで刀を垂直に振り下ろす。

刀を降ろしきった直後、大気が雄叫びを上げた。


 宗司が『大蛇』と命名した技だ。

螺旋を描く動きにより、剣先から放たれた氣が大蛇のように対象に絡みつき、破砕する。

ミズチの頭部から血が流れる。『大蛇』によって頭部を爆裂させたミズチは、長い首を橋面に叩きつける。

断面を晒しながら、ミズチは嫌々するように首を振っている。まだ活動できるようだ。


 しかし既に虫の息。貞夫が火箭を叩き込むと、まもなく息が止まった。

ミズチの身体は頭を横たわらせた状態のまま、風に吹かれる砂のように崩れる。しかし欄干は落下した胴体によって一部破壊され、橋面は大きく凹んでいる。

まもなく異界が消えるだろう、騒ぎになる前に逃げなくてはならない。


「平気か、高島――?」

「労わるならもうちょっと近づけ…ゲフッ」


 宗司は数メートル離れた場所から、金剛兵衛をスティックに戻しつつ声を掛ける。

先程、大蛇が霧のようなものを吐きかけた。宗司は通過したくなかったが、駅は侑太達の向こうだ。

意を決して駆ける宗司は途中、ミズチが破壊した欄干のあたりに見慣れぬ物体が落ちている事に気づいた。


「何か落ちてる」


 近づくと短い角の生えた蛇の頭部を象ったオブジェクトだった。

中に柄のようなものがあり、ボクシンググローブのように使えるらしいことが分かった。あまり大きな物体ではなく、手首をすっぽり包む程度のサイズしかない。


「ん?多分、あれが溜めてた生命力が物質化したんだ。拾っとけ。あと、途中で病院寄る…ヴッフッ」

「大丈夫、高島君」

「はぁぁ…あぁ、よし。さっさと逃げるぞ、お前ら」


 侑太が己に喝を入れ、走り出す。

宗司も篭手を拾って後に続いた。侑太が篭手を引き受け、己のバッグにしまった。


「…その為に持ってきてたのか」

「そうだよ。言うのが遅かったな」


 調子の悪そうな侑太の案内により、研究会一行は名城公園近くに建つ箱形の建物の前に来た。三谷母病院、と外壁に切り文字で書かれている。


「ここは?」

「俺のかかりつけの病院。俺らみたい――」


 侑太が言い切るより早く、玄関扉が開いた。白衣を着た若い男が現れる。


「あぁ、高島君。せんせーい、高島君でしたー」

「知り合い?」

「ここの看護師だ。早く入れ」


 待合室に患者の姿はなかった。

清元と名乗った看護師は研究会一行を奥に通す。診察室には40は間違いなく過ぎている中年の女医が彼らを待ち受けていた。


「こんばんわ、侑太。あぁ…可愛い子を連れてるね」

「…部活の仲間だよ。こいつは院長の三谷母、霊障の治療が出来る医者だ」

「相変わらず口のきき方がなってないね、で?何にやられた?」


 侑太が経緯を説明すると、三谷母医師は診察を開始。


「あぁ、あんたらは部屋から出て。けど後で診るから、帰るんじゃないよ」

「……」


 1時間ほど経ってから、3人は病院を出された。


「…ひどい目にあった」

「けど毒にはなってないんでしょ?高島君はどうだった?」

「触れてくれるな」

「そういえばお婆さんの幽霊、いたよね?蛇が出てきたらいなくなったけど」


 ミズチの存在感が濃すぎて、宗司はすっかり存在を忘れていた。

そもそも、半魚人の目撃談があったから橋までやってきたのだ。疲労感が重く、3人とも探索を続行するテンションではない。

誰も口にしないが、すでに帰る空気になっている。


「敵じゃなかったのかな」

「敵とは限らねーよ、ああいうのは心残りとか、執着があるから出てくるもんだ」

「執着…あの蛇か、半魚人?」


 この場で頭を捻っても答えは出ない。3人は帰路についた。


 その日の晩、宗司は自室の四隅に盛り塩を設置。

半信半疑だが、用心のためだ。大蛇に半魚人、幽霊。伝承の中でしか見かけない者達が実在するのだから、こういったおまじないも今後必要になるかもしれないではないか。

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