アイの純喫茶-琥珀亭銀河鉄道浪漫譚

燈夜(燈耶)

00-01 終着駅-地球-

 揺れる列車内。その扉を開けると、そこは得も言われぬ芳香の漂う空間だった。


 日焼けした和服姿の老人の懐に、盆に乗せた器を持つ白い腕が伸びる。


「粗茶ですが、どうぞ」

「どうも。すまない。あんた、若くて器量よしなのに、こんなところで一人かい?」


「タイタンからのお客様でらっしゃいますね。ここは琥珀亭。古物喫茶です。御乗客のお客様にこうして軽食、お飲み物を出す他にも、アンティークをはじめ日用品のよろず販売もしております」


 深々と頭を下げた店員の髪の色は青。娘が姿勢を正すと、長く伸ばした髪の間で綻び揺れる、碧色の瞳が柔らかく男を見つめ返す。娘の服は白地に赤のストライプ。それに紺色の前掛けをつけていた。


「列車内に喫茶店があるなんてね」


 乗客は窓の外を見る。漆黒の宇宙に、たくさんの星々が輝いて見える。

 ここは客車に連結された銀河鉄道超特急「きぼう号」の喫茶車両。狭ささえ感じる車両内だが、狭いなりに乗客は湯気を立てて香る薬草茶を前にゆったりとした木製の椅子に座ってはくつろいでいる。


「はい、マスターの趣味でして」

「そうかい、私はてっきりあんたが店主かと」

「いえいえ。マスターは長期で不在にしており、店の管理運営などは私に一任されておりますが、店そのものはマスターのものになります」

「そうかい?」

 と言って立つ右手には色鮮やかな七宝焼き。


「お買い上げですか?」と娘が問えば、

「おや?」

 と怪訝な顔をした老人は「なんのことだい?」と誤魔化した。


「左の袖に入れられた七宝焼きの箸置きです」

「……あらら。なんのことだね?」


 娘は朗らかに老人の目の前で両手を抱え込むように広げてみせる。

 まるで老人が、娘の手の内にその七宝焼きを入れてくれることを期待しているかのように。


「駅のある地球の北半球では緑も眩しくて、花の季節もおしまいだ」

「そうなんですか?」


 娘は笑う。悪意など微塵も見せず、無邪気に笑う。


「そうとも。とはいえ、こんな列車の中で、お前さんのような花がいつでも咲き誇っていたとはな!」

「え?」


 破顔して袖から七宝焼きを取り出し、娘の手の上に乗せる老人を他所に、呆けたのは娘であった。


 ◇


「地球では、マスターを迎えに行くの!」


 娘の涼やかな声だった。多少力んでいる。


 すらりと伸びた、娘の長い脚が魔導原動機に火を入れるべく蹴り降ろされる。

 キックスタート。火花が飛んだ。散発的な破裂音が、連続した音に結び付く──はずだった。

 だが、貨車の奥から引っ張り出したばかりの原付はプスンと音がしたきり、動きもしない。


「私は、マスターを……」


 それから。

 青いツナギを着た娘はスパナとレンチを持って、汗をぬぐう頬には油の帯。

 車窓から青く照り返す地球光を列車が受け出す頃、魔動二輪に跨る彼女はスターターを蹴る。

 火花が飛んで、断続的な破裂音が、連続した振動を彼女の尻に伝えてきた。

 成功である。

 娘は汗かくツナギを半分脱いだ。白いシャツの下で揺れるは二つの豊かな双丘。

 娘はしばし考える。

 よく考えてみれば、動力を用意するのを忘れていた。

 長い間、放っておいたために蓄電池からマナが自然と出て行っていたのかもしれない。

 足は到着後に伸ばすと決めていた。今夜は早く寝るべし。

 そうとも。

 あとは魔導パネルを開いて車窓に晒し、星の力、マナを蓄電池に貯め込むだけだ。

 停車駅でお日様の力によるマナも良いけれど、満天の星の力を受けて貯めるマナも悪くない。


「マスター、今度こそ、必ずお迎えに上がります!」


 娘は魔導二輪を貨車の奥に押し込むと、蓄電池をマナで潤すべく、車窓に向けて魔導パネルを広げたのであった。



 ◇


「地球、地球、次の到着駅は、終着駅、地球でございます」


 スピーカーから甲高い車掌の伸びやかな声が流れ出る。


 車窓から見える光景は青。白い雲の浮かぶ青い星に列車は突入しようとしている。老人は地球の引力に捕まりつつあるこの列車に加速度を感じた。傍らに佇む喫茶車両の娘は早くも腰にベルトを巻いている。まもなく列車は宙間軌道を抜けるのだ。この宙間軌道は、地球の地上に設えられた鉄路に繋がっている。航路及びその他は銀河鉄道株式会社、通称銀鉄によって管理されていた。


「超特急、銀河鉄道「きぼう」号へのご乗車、誠にありがとうございました」


 車内が揺れる。小刻みに揺れる。老人は手すりを掴む。娘は髪を揺らして慣れたものだ。青い輝きに包まれていた車窓が次第に赤く、黄色く、白く染まりゆく。

 経営路線沿線の惑星を独自の都市計画で開発し、鉄道隣接のホテル・リゾートを経営する巨大複合体。この怪物ともいえる巨大企業は企業体の頭脳ともいえる人工知能ウルド・スクルド・ベルダンディの三者による合議の結果を参考に会社上層部は経営方針の最終判断を下していた。


「お降りの際は、お手元や網棚のお荷物など、お忘れ物のなきようご注意ください」


 輝きを抜けた。青い輝きが車窓を染める。次第に揺れが収まる車内に、老人は手すりから手を離し、娘はベルトを外した。

 銀鉄。銀河系だけでなく、数多の宇宙を結ぶ航路の管理会社として存在し、銀河帝国の支配の根幹をなしている半国策会社である。

「地球、地球、次の停車駅は終着駅、地球でございます」


 青。それはこの地球、水なる星の空であり、海だった。揺れる車内をよそに、列車は銀鉄駅のあるセントラル・フクオカへ向かう。


ガコン。


 大きな音と振動を同時に乗客、乗務員の両者に伝え、列車は鉄路の上に乗り、終着駅のホームへ向かい、ひた走る。

 車窓からは高く白い建物がいくつも見え、その表面が緑に覆われているのが散見される。白い建物は事務所か商店、あるいは住居であろう。ならば、散らばる緑はなんであろうか。老人や娘によぎるそれぞれの思い。それをよそに、列車は終着駅、地球へと到着したのだ。

 ホームに到着のベルが鳴る。一斉に客室のドアが開き、少なくない数の乗客が列車から吐き出されるのであった。


 乗務員も降りて行く。清掃のマリアだけが残った。

 マリアは三つ編みに流した後ろ髪を振り、青髪の娘に向き直る。

 そばかすの残った笑顔がはじける。


「アイ、居残り? あなた地球でやることないの?」

「あるわ。今度こそ、マスターを迎えに行かないと。次の、オリオン座馬頭星雲行きには必ずついてきてもらわなくちゃ!」

 

 出遅れたのは、貨車から魔導二輪を降ろそうとする娘、アイであった。

 貨物を降ろす物言わぬ荷運び労働者に交じり、一人機械と格闘している。ゆったりとした白シャツに、ジーンズをはいたアイは、魔導パネルを魔導二輪内部に収納すると、キックスタート。連続した乾いた音が鳴り響き、それは単調なリズムをアイにもたらしていた。成功である。昨日の晩のメンテナンスは成功したのだ。半帽を被り、バイザーを目に降ろしたアイは呆れ顔のマリアに向けて親指を上に立てて見せる。

 マリアが笑い、「気を付けて」と手を三振り。

 一方で「行ってくるわ」と、微笑みを残して軽快な駆動音と共に魔導二輪で搬出口から走り去るアイがいた。


 ◇


 地球の景色は覚えていた。

 白い、あるいは銀色に太陽の光を弾く建物。多くの人々。ざわめく雑踏。行き交うエアカー。だが、今回はそれが一切ない。

 街は沈黙し、信号機すら点灯していなかった。

 ビルというビルの窓は割れ、緑のツタはそれを覆い、ビルを緑で覆いつくす。白く輝くビルの下には、決まって瓦礫の山が出来ている。外壁が剥がれた残滓であるのかもしれない。

 ビルに入って見ようとも思ったが、ところどころ赤茶けた鉄骨が露出し、どう見ても嫌な予感しかしなかった。魔導二輪を止めて内部に入ろうとしたアイは二の足を踏む。


 地面は割れて、木立が茂り、魔導二輪の走行の邪魔をする。アイはそれでも魔導二輪を駆っては走る。マスターとの思い出の地へと。目指すは翡翠亭。琥珀亭と同じ、趣味の良いアンティークな小物を備えた喫茶店である。

 街は流れる。雲が流れ、風が流れ、ひび割れた道路の緑を抜けて進むと、やがて潮風香る場所に出る。


 長い堤防の向こうに白い灯台の見えるふ頭。そう、この光景。あの時はマスターが隣にいて、アイはサイドカーに乗り、単車を転がすマスターの姿を追っていた。アイはふと目頭が熱くなる。


 魔導二輪は駆ける。すれ違うものなど誰もいない。アイは歯を食いしばる。涙が零れ落ちそうになる目を、半帽のバイザーが覆い隠す。アイは駆けた。駆け抜けた。

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