第3話

入学式に行かなくてはならない。夢なんかで惑わされてはいけない。


駅に着くと、ホームには人だかりが出来ていた。朝も早いし、通勤ラッシュだから当然だ。これから仕事に向かう人ばかりだ。スーツ姿の人が大半だ。しかし、その中でも初々しいスーツ姿も多く見かけた。私と同じように、入学式に向かうのだろう。すぐにわかった。

電車を待っている間にも続々と人が来た。カタカタとヒールの音が響く。そして、その音がこちらに向かってきている気がした。

「愛花?かな?」

女性の声だった。誰かが私に話しかけてきた。私の名前を呼ばれたから、自然とそちらへ顔を向けた。

「私、優奈だよ。」

「あー、優奈ー。え、優奈も今日入学式なの?」

「うん。大学違うのに電車一緒とか奇遇だね。」

高校時代の友達、志治優奈だった。卒業式以来だった。見慣れないスーツ姿が少し恥ずかしかった。

優奈が来て間もなくして電車が来た。それに二人で乗った。電車の中は、慣れたスーツ姿と初々しいスーツ姿の満員状態だった。ぎゅうぎゅうすぎて、吊革を持つのもやっとだった。そんな中でもお構いなしに、私達は雑談をした。

「慶太君とは、大学一緒?」

「いや、違うよ。彼、理系だでさ、大学が同じになることって難しいんだよね。」

慶太君は優奈の彼氏だ。高校二年の頃からの付き合いだ。そして、ちょうどこの頃からの文系理系の変化のせいで、卒業後はどうしても別の大学になってしまう。高校が同じだっただけに、なかなか会えないのは寂しい。しかし、死んだわけではないと笑っていた優奈がいた。逞しかった。私とは正反対だ。優奈と慶太君の仲の良さと愛を感じた。長く続いて欲しい。幸せであってほしい。そう思った。

他愛もない会話もあっという間。私達も別の大学で、降りる駅も違った。私が先に降りて優奈はその先で降りることになっていた。今度いつ会えるかわからないが、私は普通に手を振って別れた。優奈を乗せた電車は、トンネルの中に吸い込まれていった。電車が行ってしまえば、もうこの先何が起こるかわからない。


入学式が終わった。そして、翌日から二日間にかけてオリエンテーションが行われる。大学生活がどのように行われるか、ここで説明を受ける。開始時間は入学式と同じだった。だから、またしても六時起きだ。朝の情報番組を見ながらトーストにかぶりついていた。

七時二十四分の電車に乗りたい私は、七時に家を出た。徒歩十分ほどかかる駅まで、今日はお昼ご飯に何を食べようかと考えながら歩いていた。名駅にあるパン屋で見かけた緑色のメロンパンを食べようかと考えた。この店は、受験の時に何度か横を通っていた。やっとこれから食べることができると思うと、目が少し蕩けた。

ちょうど駅まで残り徒歩五分の頃だった。

「すみません、これ落としましたよ。」

私の目の前には見知らぬ男が突っ立っていた。そして、男は私に手を差し出した。よく見るとその手のひらには自宅の鍵があった。どうやら私は自宅の鍵を落としてしまったようだ。男はそれを拾ってくれた。慌ててお礼をして駅に向かった。

「もしかして、椙村愛花ちゃん?」

そう言ったのはその男だった。私の後ろで言われ、その瞬間足が止まった。ゆっくり後ろを振り向くと男の方から歩み寄ってきた。

「あ、やっぱり。愛花ちゃんだよね?」

「そ、そうですけど。」

知らない人が私の名前を知っているなんて、恐怖でしかない。しかも、いきなりちゃん付けで非常に馴れ馴れしい。私は怯えた。

「志治優奈って知っとる?俺、そいつと付き合っとる吉金っつーんだけど、そのクリームパンがついた鍵を持っとるって言っとったもんでさ。だで、愛花ちゃんだと思って。」

確かにその鍵の話は、あまりの可愛さからかよく優奈と話はしていた。だから、私が椙村愛花だとわかったのだろうが、それよりも気になったのは俺の彼女と言い放ったことだ。この人、優奈の彼氏じゃない。優奈の本当の彼氏は、高身長で可愛いらしい顔立ちをしている慶太君だ。笑顔がチャームポイントだ。それに比べて、この男は茶髪のツンツンで眉毛が細すぎで、絵に書いたようなチャラ男だ。しかも、慶太君に比べて身長が低い。だから、慶太君がイメチェンしたにしても違和感を抱く。こんな人が優奈の彼氏のわけがない。とりあえず、変な人の相手をしている時間はない。電車に乗り遅れるわけにはいかないと、その男に急いでいる旨を話してその場を離れた。逃げるに近かった。息を切らしながら、迫ってくる電車を見つけた。乗るはずだった電車の方向幕がうっすら見えた。間に合わない。

焦りのあまり飛び起きた。私はここで目が覚めた。夢だった。

物理的にスっと起きられた。しかし、あの夢に出てきたチャラ男の正体が気になる。嫌な目覚めになった。あれは本当に優奈の彼氏なのだろうか。本当に、慶太君は大学生になってイメチェンでもしてしまったのだろうか。それとも、まさか大切な人を裏切ったのか。あまり考えたくないことだが考えてみた。そこで私は変な気を感じた。一昨日の晩に、正夢らしきものを見たばかりだった。ということは、もし私が見た夢が正夢ならば、あれが現実になってしまうのか。本当に優奈の裏切りを表すものだとするならば、心臓に悪すぎる。私がまるで、優奈に浮気をしろと促したみたいではないか。私の夢で、優奈の不幸を招くのは心底やめてほしい。イメチェンしたということにしてほしい。一昨日の夢は偶然だと信じて、私は七時に家を出た。


オリエンテーションは何事もなく終わった。これからの大学生活に少し希望が持てたからだ。私の夢の影響はなかった。大丈夫だと信じて、帰りの電車に揺られた。最寄り駅までも何も無かった。だから、普通に自宅まで歩いた。

「よっ、愛花。」

後ろから右肩をポンと叩かれた。話しかけた相手は慶太君だった。大学生になっても相変わらず、私より背が遥かに高くて笑顔が素敵な人だった。イメチェンなんかしていなかった。

「大学の帰り?せっかくだで途中まで一緒に帰らん?」

私達は途中まで一緒に帰ることにした。慶太君が横にいると忘れかけていた昨晩の夢が蘇った。この先何も起こらないことを祈った。

「慶太君、優奈とどう?上手くいっとる?」

「うん、特に何にも変わらんよ。」

正夢なんか起こらないと信じたいがために、優奈との近況を聞いていた。確かめたかった。そして、特に変わった様子はなくてホッとした。

しばらくすると雨が降ってきた。朝の天気予報で言っていた。だから、折り畳み傘を持ってきていた。私はそれをリュックから取り出し、慶太君に一言声を掛けた。

「傘いる?」

「ううん、いいよ。勘違いされてもかんし。」

「あ、そうだよね。」

「うん、ごめんね、気遣わせて。いつどこで遭遇するかわからんでね。いくら優奈の友達でもいい気しんよ。」

律儀で真面目な慶太君。改めて優奈は幸せものだと感じた。申し訳なさはあったが、言うことをちゃんと聞いて私だけ傘を差した。

大声で話さないと声が聞こえない状況にまで強まってきた。私は頑張って慶太君に話していた。すると、急にその声を遮るかのように慶太君の足が止まった。慶太君はどこか遠くを見つめている。何を見ているのか。私も同じ方向を見た。

「嘘だろ。」

慶太君の体が硬直していた。強まる雨の中、ずぶ濡れの慶太君がそこにはいた。嵐に打たれる一輪の花のようだ。何とも言えない姿だった。そんな状態でやっと出た言葉がこれだった。雨だからうっすらとしか聞こえない。それぐらい弱々しい声だった。慶太君らしくなかった。視線の先には、慶太君以外の男と手を繋いで仲睦まじく歩いている優奈がいた。そこで私はハッとした。茶髪のツンツンの眉毛が細すぎて絵に書いたようなチャラ男。昨晩の夢に出てきた男だった。夢ではチャラ男一人だったが、現実では優奈と二人で現れた。明らかな浮気現場だった。私も動きが止まった。今はどういう状況なのだ。慶太君と同じ言葉を放ちたかった。しかし、止めておいた。なぜならば、私のせいだとバレたくなかったからだった。

「あのクソ女。」

私のイメージを覆した慶太君へと変貌した。この言葉を放った後に向こうへ走って行ってしまった。その反動で私は突き飛ばされた。相当怒っていた。当然だ。そして、突き飛ばされた勢いで尻餅をついてしまった。離された傘がその下敷きになった。重みで傘の骨が折れるのがわかった。壊れてしまった傘を見て、私は複雑な心境になった。私は今、何で落ち込んでいるのか。

またもや正夢らしきものを見てしまった私は、変な罪悪感が沸き起こる。別に直接何か悪さをしたわけではない。なのに、この厚くて灰色の雲のように、モヤモヤしていた。雨の中、そのことを考えながら自宅の目前まで歩いていた。自宅付近になったから、リュックから鍵を取り出した。オンボロな傘をもった手は、雨に濡れて少し感覚がなかった。それでも、なんとかチャックを開けた。しかし、今日はいつもよりあさる時間が長い。いつもならばすっと取り出しせるはずなのに。念のため、ズボンのポケットにも手を突っ込んでみた。その時、走馬灯のように過去の出来事が脳裏をよぎった。

「そういえば、今日電車に乗り遅れるでって、急いでポッケにしまったんだった。ほんだもんだで、さっき慶太君に突き飛ばされた時に落としちゃったんだ。」

家の前で肩を落として、ボソボソと嘆いた。今更、戻れない。しかも、戻ればあの修羅場だ。こういう時にこそ、昨晩の夢のように誰でもいいから鍵を拾ってほしかった。幸い、母が自宅にいたためインターホンを鳴らして中に入ることができた。

「ひやぁぁぁ!」

この時の母の反応は正解だ。びしょ濡れになって、悲しそうな顔をしていたからだ。


二日連続でこんな出来事が起これば、いよいよ私の夢のおかしさに気づく。芸能人の不倫、優奈の浮気。人のことは人のことなのに、それを自分の夢で不幸にさせてしまっている気がする。それを複雑と呼ぶのだと。人の不幸ばかりの正夢を、なぜ私は見るようになったのだろうか。しかも大学生になってから。人の不幸を招く夢は見るし、今日に関しては鍵も無くしている。不運続きだ。

最初は前向きだった。この夢はただの偶然だと思ったばかりだ。これからも続いて本格的に危機感を覚えるようになるかもしれない。それは、この時点ではわからなかった。万が一、そうだとすれば私はこれからどんな大学生活を送ることになるのだろうか。

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昨晩、私は夢を見た。 押賀よに @okurikomiyama

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