第2話

今日は何だか全体的に圧迫感が凄い。この間買ったスーツが思ったよりきつかった。

「スーツってのはねぇ、ピシッとして見えるようにあえてそうなっとんだてぇ。」

スーツなんて着たことがない。だから、母が教えてくれた。確かに着てみると背筋が伸びた気がする。

「愛花ももう大学生かぁ。早いねぇ。よくここまで私育てたもんだわ。」

母は私の周りをぐるぐる歩きながら、私の姿に感動している。まるで有名人を目の当たりにしたかのように。

「よく、くっ、ここまで、くっ、頑張ってきたなぁ、俺ぇ。生きててよかったぁ。」

「大袈裟だわ、もぉ。」

父はさらに感動していた。母とあまり言っていることは変わりないが、号泣している。顔が涙でぐしゃぐしゃだ。眼鏡はコメディアンのようにズレる。母はその姿に笑いながら父をぱしぱし叩いた。このように、今朝は二つの圧迫感で生き埋めになっている。両親にも感謝しないといけないのだな。そんなきついスーツを私は着る。新たな一日の始まりと共に、私の新たな学生生活も始まろうとしていた。


始まりは、片道一時間半の道のりから。地元の私鉄とバスで。スーツ関係なくこれから気が参りそうな通学時間だ。しかし、仕方ない。高校生の頃のオープンキャンパスで一目惚れした大学だった。わかっていたことだ。だから、今更そんなことで挫けても馬鹿としか思えなかった。しかし、大変なのは通学だけではない。遠いということは起床時間も早いということだ。事前にスマートフォンで乗換案内を調べていた。起きているのに、飛び起きそうだった。

「七時二十四分ー。」

この後何と言葉を発したのか覚えていない。唖然だ。早い。ということは、起床時間はそれよりも早い。結果、六時に起床することになった。これは高校生の時より一時間早い。新たな生活に早起きにと不安は付き物である。心配だから昨日は早く寝た。早く寝てよかった。


ーと思いたかった。


好きなことは何ですかと聞かれれば、即座に答えれるものがある。それは、パンを食べることだ。自宅で食べる朝食のトースト、パン屋で食べるパンも好きだ。好きの度合いをわかりやすく伝えると、夢にまで出てくる程だ。入学式の前夜にも、見ていた。地元のパン屋に出向き、菓子パンと惣菜パンを一つずつ購入した。そして、温かいミルクティーと共にパンを楽しんだ。お洒落な木で出来たテーブルと椅子が、更にこの光景を良いものに演出してくれる。ここで、朝日が目に入れば良かった。比較的間隔が狭い隣のテーブルに、男女の客が座ってきた。好きなパンが目の前にあれば、たとえ独り身の私の横にカップルが座ろうが関係なかった。

「ねぇ、なんでここなんだてぇ。」

「なんでってパン食べたいでだがぁ。」

「だったら、家で買って食やぁいいが。ここじゃまずいて。」

「別にいいがぁ。私今日すっぴんだし、派手な格好しとらんし。もう、たまにはあなたと一緒にお出かけさせてよ。」

私が購入したパンはもう食べ終わっていた。しかし、この会話ならば食べている最中でも耳を傾けてしまう。なぜならば、距離が近すぎるから。何なら、男女の喧嘩とも匂わせるシーンだ。温かいミルクティーは、時間が経って冷めかけていた。しかし、あたかも熱々かのように両手でカップを持つ。そして、ミルクティーを少しずつ口に注ぎながら、上目遣いに近い動きをした。コーンスープのコマーシャルみたいだった。その目を利用したまま、横にいる男女をチラ見した。向く時はのんびりだったのに、戻す時は倍以上の速さだった。いかんもんを見てしまった。いけないものを見てしまった。彼女は、すっぴんと言っているがそうは思わせない綺麗な顔立ち。そして、テーブルの上に添えてあるスラッとした腕。すっぴんだから大丈夫と言っている割には、見たことある顔立ちだとわかったのは、彼女がそれをブログに上げているのをこの間テレビで見たからだった。モデルの神崎みらいだった。

「俺がどういう人なのかわかっとんの。」

「不倫だって言いたいの?奥さんとは、あまり上手くいっとらんって聞いたわよ、この間。」

ベタな台詞とベタな設定。更に、いかんもんを見てしまったというか、聞いてしまったようだ。不倫ってこんな間近でわかりやすく確認できるものなのか。夢じゃないよね?そういう時は、頬をつねるのだ。しかし、私の頬が無くなったぐらい痛くなかった。


慣れていない時間に起きたから、半分寝ぼけている。転ばないように階段を下っていった。リビングに着くと、既に起床していた両親がテレビを観ていた。私は両親におはようと言って座った。両親も釣られておはようと言った。私は後ろにぶら下がっているスーツを見た。いつもと変わりない光景なのに、後ろだけ違った。私は改めて今日から大学生なのだと感じた。そして、その後ろから母がやってきた。

「サンドイッチ食べる?今日は特別だでね。って言っても、余ってたハムときゅうり挟んだだけだけど。」

「ううん、ありがとう。十分だよ。」

私はテレビを見ながら、サンドイッチを頬張った。テレビは毎朝観ている情報番組だ。しかし、ほとんど流し見をしていた。テレビの位置が正面ではないからよくそうなる。そして、それに加えて、電車の中は満員で息苦しいのだろうか。受験の時に何度か行っているから迷子にはならないだろう。そんなことを考えていた。そして、時々スマートフォンも触っていた。最終的にはテレビを聞いていた。

ちょうど芸能ニュースが流れる時間になっていた。このコーナーになると、時間がすすんだなと思う。サンドイッチを食べながら聞いていた。普通ならふーんと思って聞き流している。しかし、なんだか今日は食いついてしまう。サンドイッチはまだ完食されていない。だから、食いついたままテレビに目をやった。そして、私の訳の分からない心の声が漏れた。食いつかれたサンドイッチは微動だにしない。

「これ、知っとる。昨日、見たわ。」


「カリスマモデルの神崎みらいが、イケメン外科医と不倫」

テレビにはそう書いてあった。画面いっぱいに広がっていた。私の目も見開いている。今、何が起きているのだ。私が昨晩、既に見ているからそう感じている。ニュースになる前に私の横で行われていたのだ。私は少し思い起こしてみた。そして、それと同時に頬をつねった。普通に痛かった。昨晩の夢と同じことが起きていた。確かにあの名古屋弁は二人には似合わないと思った。だから、あれは夢だ。しかし、今は現実だ。これはいわゆる、正夢と言うものなのだろうか。こんなことは初めてだ。だから、ただの偶然に過ぎないに決まっている。

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