第25話 1年後には
今日は侯爵様の屋敷に行く予定だ。町の北に位置する侯爵様の屋敷まではかなり距離があった。シュラフの町自体が東西南北に区分けされる程の面積を誇っているため、町を一週するのにもかなりの時間が掛かってしまう。
普段町民達は町を回る馬車を利用するなどして移動している。歩きであれば、下手をすれば町を見て回るだけで1日費やすのでは無いだろうか?
僕は孤児院で朝食を終えると直ぐに出発した。孤児院を出る際に侯爵様の屋敷に向かうと告げると、かなり驚かれた。
「やっと侯爵様の屋敷に着いた。ちょっと早く着きすぎたなぁ」
予定よりも大分早い時間に到着した。早い分には問題ないだろう。僕は時間を潰そうと辺りを見ると、一軒の小さな本屋が目に止まった。
僕が店に入ると、店の奥には店主であろうお婆さんがカウンターに座っていた。
「おや、これは可愛らしいお客さんだねぇ。」
「こんにちは。この店にある本を見せてもらって良いですか?」
「ああ、ああ。構わないよ。好きなだけ読んでお行き。」
お婆さんは優しく微笑んで静かに目を閉じる。僕はまさか!と思ったが、どうやら眠っただけの様だ。かなり焦った。
棚に並べられた本を見て回った。当たり前なのだが、どの本も手書きで書かれており、2つとして同じ物はなかった。紙自体はそこまで貴重と言う訳ではなく、普通に市場などで売られているが、本が売られているのは見たことがない。数は少ないが、この店に置いてある本はどれも高価な物だろう事はすぐにわかる。
ふと一冊の本に目が止まり、手に取る。本の背表紙には『忘れられた時間』と書かれていた。パラパラと捲っていくと、どうやらこの世界の歴史について記述された書物の様だった。そこにはこう書かれていた。
ー今から遡ること1300年前に歴史や時代背景が全く分からない時代が存在しており、その時期を境に伝承や人々の記憶が一時的に失われている。ー
と書かれている。
『ポポ?いる?』
僕は本に書かれていた内容の確認を取ろうとポポを呼ぶが、反応がなかった。どうやら声の届かない距離にいるらしい。例の悪魔との戦いの後で、僕はポポにこの世界の歴史などの詳細について調べてもらう様に頼んでいたので、その最中なんだろう。いくら契約精霊とは言っても声の届く距離には限界がある。
「まぁ、存在は感じられるから大丈夫だろう。戻って来たら、その時にでも聞いてみよう。」
この世界にいる限り、精霊と契約主は互いに存在を感じることが出来る。ポポの身に何かあったという訳でも無さそうなので、書物の内容の確認については保留にしておこう。
その後も同じ本を読み進めてみたが、絵空事の記述も多かったので、何処までが本当なのか怪しい所ではある。
本を閉じて、元あった場所に戻した。
ふと店の外に出て、太陽の位置を確認すると、昼を回っていた。本を読んでいる間に予想以上に時間が経ってしまっていたようだ。僕は慌てて本屋のお婆さんに挨拶しようとしたが、気持ち良さそうに眠っていたので、一礼だけして店を出た。
侯爵様の屋敷の門に着くと、前回訪れた際に出迎えてくれた執事が待っていた。
「遅くなってしまってすみません!」
「いえ、時間丁度でございますよ。」
ほほほと笑って迎え入れてくれた。どうやら約束の時間には間に合った様だ。執事は僕を客間に案内すると部屋を後にした。入れ替わる様にメイドが入って来て、僕の前に紅茶とお菓子を置いて部屋を出ていった。
残された僕は紅茶を飲みながら、部屋に置かれた調度品の数々を見ながら侯爵様を待った。
10分程度経った頃であろうか、僕を出迎えてくれた執事が呼びに来たので、執事と共に侯爵様の執務室へと向かった。
「ノア様がいらっしゃいました。」
「入れてくれ。」
執事がノックをして告げると、中から侯爵様の声が聞こえた。
「失礼します。」
「やぁ。待たせてすまなかった。そこのソファーにでも座ってくれ。」
侯爵様に言われるがまま、僕は執務室の中央に置かれたソファーに座ると、先程と同じ様にメイドが目の前のテーブルに紅茶とお菓子が置いて執務室を出ていった。
ここに来てから屋敷に何処と無く緊張感が漂っており、執務室もピリピリとした空気に包まれていた。
「お呼びとの事ですが、何かあったのでしょうか?」
「・・・ああ。実は先日、王都から手紙が届いてね。」
「手紙ですか?」
「ああ。手紙については一先ず《ひとまず》置いておくとして、一つノアくんに聞きたい。君は学園について知っているかい?」
「はい、ある程度は。」
「君も通ってみたいとか、そう言う思いはあるかい?」
侯爵様から言われたのは、昨日シンシア先生から聞かれた内容と同じだった。まさか連日学園について質問を受けるとは思わなかったので驚きはしたが、昨日シンシア先生に答えた事と同じ内容を話した。
「・・・そうか。君の気持ちはわかったよ。」
「学園の事が、僕が今日ここに呼ばれた事と関係してるんですか?」
「・・・王都から届いた手紙には、君を王都にある学園に迎えたいとの内容の事が書かれていた。」
「え!?」
それは思い掛けない内容だった。半ば諦めていた学園での生活を送れるチャンスがやって来たのだ。これを断れば二度と訪れないだろう。
「・・・ふぅー、やれやれ。こんな時に限って君は年相応の反応をするんだね。」
そう言われて、自分が笑顔で侯爵様を見つめている事に気がついた。頬をかいて苦笑いしながらテーブルの紅茶を飲んで、気持ちを落ち着かせた。
「ノアくんは今年で8歳になったのかい?」
「いえ、今が8歳で、今年の10月で9歳なります。」
本来であれば前の世界と同じ年齢であるはずであったのだが、神様曰く10年ほど早かったという所から逆算したにすぎないので、自身の年齢についてはおおよそになる。
「となると、来年から王都の学園に通ってもらう事になるだろう。」
「来年・・・ですか?」
「10歳にならないと学園には入学出来ないからね。そんなに落ち込まないでくれ。」
「いえ、すみません。そういうつもりじゃ・・・」
「ははは、わかっている。ノアくん、来年からハーバルゲニア国立ルシエル魔法学園に入学してもらう。学園には寮もあるのでそちらで暮らす事になるだろう。」
「はい!」
「もちろん、入学試験もあるからしっかりと準備をしておきたまえ。まぁ、君の事だから問題ないとは思うが。」
「入学試験と言いますと?」
「簡単な実技試験だけだ。魔法を撃って、それでお仕舞い。」
「案外、簡単なんですね?」
「まあね。国王・・・王都から直々にお誘いが来たのだ、ある程度は融通が効くのだろう。」
前の世界でも通うことが出来なかった学園にこの世界で通えるとは思ってもみなかった。まだ見ぬ学園生活に思いを馳せながら紅茶とお菓子を口にした。
「君がいなくなると、幾分この町も寂しくなるな。」
「・・・」
侯爵様の口からその様な言葉が漏れ、浮かない表情をしていた。
「王都に行っても、僕にとっての故郷がシュラフの町であることは変わりません。」
僕は侯爵様にそう告げると、小さく「そうか。」と呟いた。その表情は寂しそうであると共に、辛そうでもあった。侯爵様の中では複雑な感情が混在しているのは何となく分かるものの、それが何に対しての物なのかは結局最後までわからなかった。
「よし!それじゃこの話はこれで終りだ。折角の学園に通える機会だ、まだ少し気が早いかもしれないが悔いの無いように過ごしたまえ!」
「ありがとうございます!」
一礼して僕は侯爵様の屋敷を後にした。
ーーー
「引き留めずと、よろしかったのですか?」
「私が引き留めた所で、何も変わりはしないよ。」
少年が執務室から出ていったのを確認して、入れ替わる様に執務室に入った。侯爵様の表情は寂しそうであり、そして辛そうでもあった。
「少し、昔の事を思い出してしまったよ。」
「・・・侯爵様・・・。」
「ふふ、ノアくんはもっと冷静で賢くて、大人らしい子供だと思っていたのだけれど、まさかあんな顔をされるなんてね。」
恐らく侯爵様は少年の姿に面影を重ねてしまったのだろう。私は侯爵様に対して何かお声を掛けなければと思ったが、言葉が出なかった。
「こうなったら仕方ない、全力でノアくんの行く末を応援しようじゃないか。なぁ、アン?」
「・・・そうですね。私もそれが良いと思います。」
侯爵様は窓の外を向かれていたので、表情は伺えなかったのだが、同時に見えなくて良かったとも思った。侯爵様の背中が一際小さく感じられた。過去は過去として、今は今の自分を考えなければいけませんよ。私は頭の中でそう侯爵様に告げた。しかし、口には出さない。もし口に出してしまえば、後には引けなくなってしまうから・・・
私は侯爵様の背中を見つめ、いつの間にか頬をつたう雫を静かに拭った。
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