第15話 稽古
屋敷の執務室にて眉間に皺を寄せながら手紙を読んでいた。手紙の送り主はハーバルゲニア王国の宰相からであり、手紙の内容は自身にとってもシュラフの町にとってもかなりよろしくない事が書かれていた。
「まったく、よくない事ってのは続く物だな。」
一人ため息をつきながら、受け取った手紙を机に投げた。そこで執務室のドアがノックされる。
「フレーベル侯爵様、アンにございます。」
「入れ。」
ドアを開けて入って来たのはフレーベル侯爵の秘書であるアンと言う女性だ。秘書と言っても、調査などを主に任されているためフレーベル侯爵の側にいることがあまりない。
「顔色が優れない様ですが、何かございましたか?」
「・・・いや、大丈夫だ。それよりもそちらはどうだ?」
「はい。
「あのアランがか?珍しいな。」
「その
「8歳?騎士団に迎えるには少し早すぎるな。しかしあのアランが認めたとなると余程の人材という事か。」
「はい。アラン団長はこの少年と訓練場にて模擬戦を行い、敗北されています。」
「・・・ちょっと待て。アランが負けたと、そう言ったか!?」
「はい。にわかには信じられませんが、事実です。」
アラン団長はこのシュラフ騎士団のトップであり、戦闘技術で平民からこの地位まで上り詰めた猛者である。その様な人物がまだ成人もしていない子供に負けるとは到底思えないのだが、他ならぬアンの言葉だ。事実なのだろう。
「アランが負けた・・・そのノアという少年について詳しく教えろ。」
「はい、少年は記憶を失っているらしく以前までの記憶がございません。盗賊団の一味に捕らえられていた所をシュラフ騎士団第三部隊隊長レイラ・キャベレーに保護されます。」
「確かに報告にもあったな。しかし記憶喪失か。謎が多い少年だな。」
「その後、サマンサ様の孤児院に引き取られ
「評価というと実力か?」
「いえ、可愛いとか面倒を見たくなるとか保護的な意味合いでです。現在はレストラン猪亭で依頼をこなしている最中です。」
「・・・ふむ、よくわからんな。他にこの少年について分かっている事はあるか?」
「いえ。今分かっている事はこの程度です。引き続き調査を行いますか?」
「そうだな・・・いや、待て。私もその少年に会ってみたい。一度アランにも同席してもらい、席を設けてくれ。」
「わかりました。日程を調整してみます。」
調べるだけでは分からない事もある。実際に会い、話をすれば自ずとその少年の人となりはわかるだろう。会っておいて損はないはずだ。
フレーベル侯爵はアンが執務室から出て行くのを確認し、ハーバルゲニア王国から届いた手紙に目を落とす。
「藁にもすがる思いとはこの事だな。」
ーーーーーーーーーーーーーーー
「このお店も大分回転率がよくなりましたね。」
「それもこれもノアくんのお陰だよ!」
レストラン猪亭でフロアで接客をこなしながら看板娘のナナリーと会話する。依頼を受けた初日から連日の大盛況で売上もかなりのものになっていた。そんな理由でレストラン猪亭では新に3人の従業員が補充されたため、かなり余裕が出来ていた。
「この分なら、僕の依頼はそろそろ終わりかな。」
「・・・やっぱり、ノアくんは辞めちゃうの?」
「まぁ、ね。いつまでもこのままって訳にはいかないし、遅かれ早かれ辞めるつもりではいたよ。」
そう言うとナナリーは表情を曇らせる。ナナリーやボルドーさんには申し訳ないが、ここに腰を落ち着かせる訳にはいかない。
「今度からはお客として食べに来るから、ナナリーともこれでお別れって訳じゃないよ。今度はナナリーの手料理も食べてみたいしね。」
「そう、だね。うん。次はお客さんとしてノアくんを歓迎するよ!私も料理の勉強して、私が作った料理をノアくんに食べてもらう!」
「楽しみにしてるよ。」
「うん!」
そう言うと、接客に戻って行った。ナナリーが新しい目標を持ってくれた様で何よりだ。そう考えていると厨房からボルドーさんが顔を出した。
「ナナリーはまだ嫁にはやらんぞ!」
「何を言ってるんですか、早く仕事に戻って下さい。」
ボルドーさんをあしらって自分も仕事に戻った。
こうしてレストラン猪亭でのお手伝い依頼の最終日が過ぎて行った。
ーーーーー
「ノアくん、最近狩りに行かないね?おねーさん寂しいよ!」
「ノアくんに会えないのはとても残念。」
後ろから膨れっ面のルミエールさんに声を掛けられた。もちろんノエルさんも一緒だ。
「こんにちは。ってか2人ともさっき猪亭でご飯食べてたじゃないですか!?」
「それはそれよ!」
「はぁ、猪亭でのお手伝いも今日が最後なんで明日からまたお願いします。」
「ホント!?やた!早速武器の手入れしとかなくっちゃ。」
「ノアくん、このあと用事ある?よかったら食事でもどう?」
「あー、すみませんノエルさん。今からアラン団長に会いに行かないといけなくて・・・」
「うっ・・・そう、頑張ってね。」
あからさまに嫌な顔をした2人に首をかしげつつも挨拶をして別れた。
「そう言えばルミエールさんもノエルさんもアラン団長の事知ってるみたいだったけど、聞かない方が良さそうだな。」
そんな事を考えながら一人、訓練場へと向かった。
ーーー
「おう!来たな!」
訓練場につくや否やアラン団長が声を掛けてきた。もう少し声のボリュームを落としてほしい。
「お待たせしました。早速、稽古を始めましょうか。」
「よろしく頼むぜ!」
軽くストレッチなどをして体を暖めてから、互いに木剣を構えた。
「まず、アラン団長。団長は本気を出す時はどんな感じですか?」
「本気か?何か全身に力を込める様にすると、血が身体中を廻る感じがして動きが冴えるんだ。」
なるほど、アラン団長の話はわかりやすい。魔力というのは血液に似ている。魔力も血液と同じように体内を循環しており、絶えず動いている。最も血液と違い、魔力は体の一点に集めたり、循環を止めたりしても体に問題はない。
血液の流れを感じられると言うことは、平たく言えば魔力の流れを感じる事につながる。
「では、今から本気を出す時の様に力を込めて下さい。」
「おう!」
そう言うと、アラン団長の体内魔力が高速で循環し始める。
「その状態で右手に力を込めて下さい。」
「右手か?よし!」
案の定、全身の魔力が強化を行っていた。
「ダメですね、まだ全身に力が入ったままですよ。右手だけに集中して下さい。」
「お、おう。」
アラン団長の額には汗が見え始めた。細かな魔力制御は慣れてしまえば何の問題もないが、慣れない内はかなり神経を使う作業になるため、集中力が切れたお仕舞いだ。
アラン団長は徐々にではあるが右手に力を集められる様になってきた。と言ってもまだまだ無駄が多い。
「っどうだ?いい感じか?」
「まだですね、魔・・・力に無駄が多い感じです。」
「っく、はぁ!限界だっ!」
そう言うと、アラン団長は地面に膝をついた。
「少し休憩がてら、僕の動きを見ていて下さい。」
「はぁはぁ、分かった。」
どっと地面に腰を下ろすと、呼吸を整えながらこちらを眺めている。
僕は身体強化魔法を使い、右手に力を込める。おもむろに近くに落ちていた石を取り、それをまるでリンゴでも潰すように、あっさりと握り砕いて見せた。アラン団長もその光景に驚いていた。
「この様に、体の一点に魔・・・集中することで無駄なく力を伝える事が出来ます。アラン団長の場合、全身に無駄な力が入ってしまっています。」
アラン団長はゴクリと息を飲み込んだ。
「それを克服出来れば、本気でいられる時間が長くなる上に腕力や脚力、反応速度も上がると思いますよ。」
「!よっしゃ、もう少し特訓すっか!」
それから1時間程度、アラン団長に稽古をつけて、アラン団長がぶっ倒れた所で今日の稽古を終了した。
「はぁはぁ、なぁ、ノア。お前、俺と模擬戦したとき全然本気じゃなったな?」
「まぁ、模擬戦なので。」
「ーあぁ。そうか。」
もうすぐ日が沈む空を見上げながら、アラン団長は微笑んでいた。
「俺も強くなったと思っていたが、まだまだだったようだな。」
「何言ってるんですか!?アラン団長にはもっと強くなってもらわないと困るんですよ?」
「あぁ、そうだな。」
今後のアラン団長への稽古の内容について考えながら、僕もアラン団長の見上げる空を、同じ様に見上げた。
しばらくするとアラン団長は起き上がる。
「明日も頼めるか?」
「いえ、明日は止めておいた方が良いと思いますよ。次は明後日にしましょう。」
「?そうか?分かった。明後日に頼む。」
ーーー
ノアが訓練場を後にした後、俺は訓練場脇の井戸に来ていた。井戸から水を汲み上げると、頭からそれをかぶった。
冷たい水が火照った体を冷す。こんなに疲れた稽古はいつ以来だろうか?そんな事を考えながらタオルで頭を拭いた。
「お疲れ様です。アラン団長。」
横から声を掛けられたのでそちらに目を向けると、一人の女性が立っていた。フレーベル侯爵の秘書の女だ、何回か見たことがあったので知っていた。
「アンか。どうした?こんな所に。」
「フレーベル侯爵様からの伝言です。ノアという少年と共に屋敷に来てくれ。日時は明後日の夜。以上です。」
俺は驚いた。フレーベル侯爵様からの急な申し出もそうだが、何よりノアも一緒にとの点でだ。
「・・・ノアにつて調べたな?」
「はい、フレーベル侯爵様も大変興味を持っておいでです。」
フレーベル侯爵様の感心を引いたってことは恐らく俺とノアの模擬戦を見られていた様だ。人払いは済ませたつもりだったが、見込みが甘かった様だ。
「分かった。ノアには俺から伝えておく。」
「よろしくお願いいたします。」
丁寧に挨拶をして訓練場を去っていくアン。正直、この女も割りと掴み所がない正確をしていた。業務的と言うか、機械的と言うか。
「にしても、フレーベル侯爵様に目をつけられるとは、ノアは嫌がるかなぁ?」
大きなため息をつくと、ガシガシとタオルで勢いよく頭を拭いた。
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