般若心経をめちゃくちゃにかみ砕く

 思うに、あらゆるシステム・社会・宗教に必要なのはアップデートの余地である。そろそろ般若心経もアップデートしてもいいかもしれない。アップデートしすぎはユダヤ教みたいな煩雑なことになりそうだけど、いまだに玄奘三蔵訳を意味も知らずに丸覚えってのも、どうかなあーと思った次第であります。

 

 と、いうわけで、般若心経を現代語直訳してみました。

 

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~汎用的精密ライフハック【般若波羅蜜】のキモ(ブッダ・談)~


 ある日、観音菩薩が、汎用的で精密なライフハック術についてじっくり考えていた時、ハッと気がつきました。

 

「あっ!人生のすべてが『関係性(空)』に過ぎないと看破すれば、あらゆる嫌なことが気にならなくなるぞ、お、おまえ!」


 おまえ、というのは観音菩薩の弟子のシャリープトラという坊さんで、ひっそりそばに付き従っている時にいきなり話を振られたので、思わず「ヒッ!」と叫び声をあげそうになりました。

 しかし観音菩薩は止まりません。自説を開陳していきます。


「つまり……」


 ・『あらゆる物事』≠『関係性以外』

 ・『関係性』≠『あらゆる物事以外』

 ・『あらゆる物事』=『関係性』

 ・『関係性』=『あらゆる物事』

 ・人生すべても同じこと。


「おまえ!だからな……!」

「ヒェ……」


 観音菩薩はまだまだ止まりません。


 ・法則性も『関係性』である

 ・生きているとか滅んでるとかも関係ない

 ・汚れてるとか清らかだとかも関係ない

 ・増えたとか減ったとかも関係ない


「そういうわけだからッ!」

「アィェェェ……!」


 ・『関係性』が無いのなら、人生がどうのとか無い

 ・同様に、五感で感じるっちゅうことも無い

 ・同様に、五感に刺激を与えるものも無い

 ・同様に、目に見えるものも無いし、頭の中で考えることも無い

 ・同様に、アホなやつも無いし、賢いやつも無い

 ・同様に、老いも死も無ければ、不老不死も無い

 ・同様に、仏教基本のライフハックも無い。

 ・同様に、知ることも無ければ、得ることも無い。


 そして、観音菩薩は、何かにとりつかれたような血走った目でおたけびをあげた!!


「そう、得ることも無い!

 全国の修行者のみなさーーーん!

 つまり、これが汎用的精密ライフハックなんです!

 だから気が晴れるし、恐れることも無いし、勘違いしないで済むし、安心できるというものなのです。世の中の先輩仏さんたちは、このライフハックによって、ばっちり目が覚めたってわけですね。


 み、み、みんなー!

 この汎用的精密ライフハックこそ、スーパーゴッド真理であり、あからさまに真理であり、最強の真理であり、他にない真理であり、理解すれば、あらゆる嫌なことを取り除けるんだよーーー!


 ほんとだよ。

 うそじゃないよ。


 ……と、いうわけで汎用的精密ライフハックの歌、いってみましょう。

  みなさんご一緒に!ハイ!」


♪Get a way...... Get a way......

Have a Gate to the way......

......Body so worker......Ahaaa.....♪


 シャリープトラは、いきなりはじまった観音菩薩による謎の洋楽の意味をまったく理解できませんでしたが、なかなかメロウで耳に残る、いい曲じゃないか……と思いましたとさ。


 ――以上、汎用的精密ライフハックのキモ【般若波羅蜜心経】でした。


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 私は般若心経が好きだ。

 

 子供のころ、死んだ婆ちゃんが毎日のように読経しているのを「門前の小僧習わぬ経を読む」ではないがおぼえ、法事の際、坊さんがリサイタルするのを聞いて「真言宗の僧侶かっけーー」とか思って、親しんでいたのもある。

 

 一方、婆ちゃんとか、おふくろとかおやじとか、「般若心経を読めば、それだけで仏様がオーディンみたいな感じで降臨してきてくれて、病気を治したりお金をくれたり嫌な奴をやっつけてくれたりする」ような、魔術のスペルかおまじないのように考えていたみたいだったが、手塚治虫の『ブッダ』とか読んで以来、仏教はそんな感じの宗教ではないんじゃないかと疑念を抱いていた。

 

 そういうわけで『般若心経入門』とかなどを学生のころに読んだりして、わかった気になったりして、でもやっぱりそこで繰り返し述べられている概念「空」って何やねん、というのとか、ところどころ「五蘊」「受想行識」「苦集滅道」とか、いわゆる仏教の専門用語(二・三文字であらわされているけど、それが何かを厳密に追っていくと膨大なテキストを読む羽目になる)が使われているため、意味をつかみづらくて仕方がなかった。

 

 そんなある日、十年ほど前だったか、小説『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』(夢枕獏)を読んでいた時、こんなシーンが出てきた。



 「空」の概念がわからぬと言う空海の相棒の遣唐使の男に、空海は自分の顔を指で指し示し、「これはなんだ」と聞く。


 遣唐使の男は「空海だ」と答えるが、空海は違う、と言って、何度も自分の顔を指し示す。指先は鼻を指している。


 「鼻だ」と答える遣唐使の男。


 空海は「では鼻は空海か」と聞く。男は「違う」と答える。すると空海は「それが『空』だ」と答えるのだ。

 


 このやりとりはスッと自分にとっては入っていったというか、長年の疑問に対するひとつの答えのような気がした。

 

 「空」というのは、現代語で一番近い表現をすれば、すなわち「関係性そのもの」であるという概念ではないかということだ。

 そう考えると、我々の身の回りにあるものは、すべて最小単位まで分解すると何が何だかわからん粒子みたいなものになるから、自我とか物質なんてものは、まったく区別のつかない何かでしかないくせに、あるかないかと言われるとなんかつかみどころのない「関係性」というものが加わっただけで、粒子はあれこれくっついて、人となりオケラとなり太陽となる。

 

 と、いうわけで、「空」を「関係性」とみなしたうえで、今自分が般若心経について理解している内容を、平易な現代的な言葉で表現してみたわけである。けっしておちゃらけているわけではない。

 

 禅師などからは「この担板漢めが。これではダウングレードじゃ」とお叱りを受けるやもしれぬが。

 

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幻聴が聞こえる 能口深夜 @ngchsny

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