はじまり 1-3

それから時間が進むのは早く、気づけば僕は職につくことを決心することができるようになっていた。

といっても現実はきびしく第二のバブルがはじけているようで役所にいっても勧められるのはほとんどが工場であった。

その中にもたまにデザインの仕事が混ざっていたりするのだがデザインに僕は向いていないような気がして避けるように工場の仕事の案内を仕方なく読むのであった。

「こんなのいくら見たって同じだ。せめて給料がまだましな所を選ぼう。」

そんな薄暗い気持ちのまま決めた職は家からの距離も近く給料もそこそこ良い、自動車の部品を製造したり検品する会社だった。

久しぶりに書く履歴書は、緊張して上手く書けないのをサキにほぐしてもらいながら書き、ようやくできた履歴書は緊張感のつまったできであった。

面接はあまり問い詰めた質問はなく、決まりきった回答で返答していきその場で採用が決まってしまった。

聞けば今はロボットとデザインの時代だから工場で働く者は昔よりもどんどん減っているのだそうだ。

僕はとりあえず働いて、決まった給料をもらえればよかったので採用されたことと社長さんが優しそうだったことへの喜びを抱えながらサキに報告するためにまっすぐに家へと向かった。

そして家の前につき僕は家に入る前に連絡しなければならない人を思い出した。

ズボンの右ポケットから取り出したメモはくしゃくしゃであるが文字は読むことができた。

スマホを取り出しそのメモに書かれた電話番号を打ち込む。

「……………………」

「もしもし、咲歩かい?」

「君は…あなたね。名前がわからないから詐欺なのか本人なのか分からないわね。」

「たしかにそうだね。でも君が思っている人であっていると思うよ。」

「なんだか適当ね。はじめての連絡どうもありがとう。今、暇ならあのカフェで会わない?」

僕は家にいるサキに報告が遅れるが、特に今日は用事があるわけでもないのと誰かと話したい気持ちで彼女に会うことにした。


 彼女と以前におしゃべりをした喫茶店に着くと、まだ彼女はいないようで店内はいつもの静かな雰囲気であった。中に入るとおじさんが席まで誘導してくれる。

「コーヒーだね。ごゆっくり。」そういっておじさんはキッチンへと戻っていった。僕はいつの間にか常連になっていたようだ。そしておじさんのいれたコーヒーを飲みながら待っていると扉の方からチャリンと音が聞こえた。

振り返ると夏らしいふわりとした透明感のある服を着ていた。

「遅くなってごめんなさいね。さっき仕事が終わったばかりなのよ。」

そういいながら彼女もコーヒーを一杯頼んだ。

「さて、今日は何かあったの?」

今日の彼女はめずらしく聞き手みたいだ。

「あぁ、やっと就職場所を見つけたんだよ。だからってなにってことはないが一応報告がしたくてね。迷惑だと思うけどそれほど嬉しいんだよ。」

僕は彼女にどんな反応をされるのかと彼女の顔をみた。

すると彼女はにっこり笑っていた。

「それはおめでとう。本当におめでとう。これからは社会人なわけだ。」

僕は彼女がそこまで嬉しく思ってくれるとは思わず、とても嬉しくなった。

「あぁ、ありがとう。これからはほしいものもわずかだろうけど買えるようになるだろうしサキとの生活も…。」

僕はなぜだか言葉がつまってしまった。サキとの生活のことを考えたからではなく彼女の前でサキの話をすることに言葉がつまってしまったのだ。

「どうしたの?そんなに彼女さんとのことを考えてうれしくなったの?」

彼女はそう言って笑っていたが少しずつ僕の考えていることに気づき笑わなくなった。

「そうね、君がなにを考えているか教えてあげようか。」

ぼくは、内心怖くなりながらも彼女にうなずいた。

「それはさ、きっと愛じゃないかな。私に対する。好きだっていう愛だよ。」

その言葉を聞いた時、なぜだかさっきまで感じなかった匂いを感じた。

サキとショッピングセンターに行ったとき、電車の中で感じた匂いと同じようだ。

懐かしさと愛おしさを感じるあの匂いだ。

「君の言う通り僕は君のことがなぜだか好きみたいだ。でも僕には大切な彼女がいるんだどうしたらいいんだろう。」

そんな弱い言葉を言うと咲歩はそんなのいいじゃないと僕にだけ聞こえる微かな声で言った。

僕は彼女が好きだ。しかし、サキに抱く気持ちといったいどう違うのだろうか。

「君は僕のことをどう思うんだい。」

彼女は少し考えるそぶりをしてこう言った。

「私は前よりも君のことが気になる一人の女かしら?」




僕は彼女に近づきたくなった。

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