君との約束
あれから一ヶ月が経った。あの日から琥珀とは一度も顔をあわせていない。
綾人は最初、琥珀は執筆活動が忙しいんだろうと思っていた。だけど、流石に一ヶ月も経つと違和感を覚え、同時に心にポカーンと穴が空いてしまったような、心配で胸が張り裂けそうな苦しさを感じるようになった。
「琥珀…」
ピーンポーン、ピーンポーン、…
「あっ、はーい!」
綾人がビーフシチューを煮込んでいた火を止めインターホンに向かうと、丸メガネのTHE 草食系男子と言う感じの地味な青年が立っていた。
「あっ、あの…」
琥珀の担当編集者で小林と名乗ったその青年は、綾人より5歳年上だった。しかしそのおどおどした態度と童顔の見た目から、琥珀や上司にこき使われてそうだな〜と少し可哀想に思えた。
「あっ、あのですね。僕が今日来た理由を単刀直入に申し上げると、先生にまた料理を作ってあげて欲しんです。」
「えっ?」
「その…今先生は、いわゆるスランプ…」
「えっ!スランプなのですか?それで琥珀は大丈夫なんですか?」
「えっ!えっと…その…あまり宜しくないと言いますか…酷くやつれて元気がなく、最近は僕ですら顔をあわせてもらえませんでして…」
「琥珀…」
「あの…前先生が綾人さんの料理を褒めていらしたのです。綾人さんの料理を食べるとどんどんアイデアが浮かんでくると、幸せな気持ちになって励まされると」
「えっ…琥珀が?」
「はい、だから」
「…分かりました。できる限り頑張ってみます。」
「はい」
その後二人で琥珀見守り隊と言う変な同盟を組むと、小林さんは次の担当さんの所に行かないとと慌てて去って行った。
そして綾人は、早速タッパーにビーフシチューをいれ、ついでに冷蔵庫から昨日の残り物の肉じゃがを取り出すと、早速琥珀に会いに行った。
玄関のドアが開いて出て来た琥珀は、以前の明るさを見る影も無い程やつれていた。
顔はパーカのフードを被っているせいか暗いが、明らかに目元にはクマができ、顔色も青白く見えた。そして薄っすらと見える耳はペタンと垂れ下がり、尻尾の毛並は最悪だ。綾人はすぐにこの一ヶ月の琥珀の生活の荒れようを理解し、こんな姿になるまで放置した自分を後悔した。そして琥珀がどこか気まずそうなも気になった。
「琥珀、取り敢えず中入っていい?」
すると琥珀はコクんと首を一度縦に降ると部屋の中に入って行った。それを玄関の鍵を施錠した後急いで追うと、琥珀は体力の限界らしく狐の姿に戻っていた。
「琥珀、少しソファーで休んでいて、すぐにご飯の準備するから」
そしてまた琥珀はコクんと首を降るとソファーの上でスースーとすぐに眠ってしまった。
皿に持ってきたものを温めて盛り付け、ソファーの前の机に置くと、その音で琥珀が目を覚まし、薄っすらと目を開けた。
その姿は今にも消えてしまいそうな生命の灯火のようで、綾人ははち切れそうな苦しさを何とか抑えるのに精一杯だった。
口元にスプーンに乗ったビーフシチューを近づけると、弱弱しくペロ、ペロ、と舐めた。だが、半分も行かないところで食べるのを辞めて綾人から顔を背けてしまった。それだけで、綾人の心はもう限界ギリギリだった。
琥珀が心配で病院に連れて行こうと持ち上げてみると、以前の何倍も軽くなった体重に驚いたと共に、涙腺が崩壊した。
「琥珀、琥珀…君に何があったの?どうしてこんな…もう僕は、何も失いたくないんだ。大切なものを、人を…だから、だからどうか死なないで…生きて…」
そう自分の身体に抱きつき、悔しそうに、苦しそうに泣く綾人をその虚だった目で見て、琥珀は「こんなの…綾人じゃない。僕の好きな綾人はいつも輝いているんだ!」と感情を取り戻し、もう力の残っていない身体に無理矢理力を入れて抵抗すると、琥珀はすぐに綾人の持って来てくれた物にガッツいた。もうお腹がいっぱいで、気持ち悪くもなったが、何とか完食すると、体力が回復した気がしたので、琥珀は半々の姿なると、あの日の事を綾人に打ち明けた。
「そっか、紫呉さんが…怖い思いさせてごめんね。でも、あの人はあの人なりに僕を守ろうとしてくれてるんだ。僕の心が壊れてしまわないように。だから…好きになってとまでは言わないけど、嫌いにならないで欲しい」
「…綾人、やっぱり…」
「今はごめん。まだ言えない。琥珀の事は大切な友達だと思っている。好きだよ。でも…まだ僕の心が追いつかないんだ…」
そう言うと、コテンと琥珀が綾人の肩に頭を乗せてきた。その時に綾人の頰に琥珀の耳があたり、くすぐったくて綾人は吹き出してしまった。
「綾人は、笑っている方が良いよ。…でも、いつかは…」
「うん、いつかは必ず話すよ。だって君と出会って、僕は一歩踏み出せたから」
「その後は?俳優に戻るの?」
「う〜ん、どうかな?そんなに優しい業界じゃないから」
「僕は戻って欲しいな。僕は君が輝いている姿を側で見たいし、君に僕の作品を演じて欲しい」
「…うん、約束するよ」
「うん、約束」
そう言って二人は、見つめ合って無邪気に微笑むのであった。
おまけ
数日して、琥珀の体重は以前にまでに戻った。そして二人がスーパーからの帰りで一緒に帰ってくると、偶然フロントで紫呉に出くわした。
「あれ?綾人に…先生?」
琥珀はまだ以前の恐怖が残り、一歩下がってしまったが、代わりに綾人が琥珀を庇うように前に立つ
「紫呉さん、いつも僕の心配をしてくれてありがとうございます。でも、そろそろ大丈夫です。また近いうちに、必ず貴方と同じステージに立ってみせますから」
そう言って、綾人は清々しい程満面の笑みで笑った。
「へぇ〜、それはいい情報を手に入れた。楽しみにしてるよ。綾人」
「はい、すぐに追い越してみせますよ」
「それは、頑張らないとね。所で、先生?」
「はい」
「僕はどうやら貴方を勘違いしていたようだ。この前の非礼、申し訳無かった…ただ、綾人を泣かせるなら容赦はしないよ」
「ええ、勿論ですよ」
そう言って二人は、ドス黒く微笑むと、互いに強く相手の手を握り締めた。その姿を見て、仲良くなってくれたと思った綾人は、満足げに微笑むのであった。
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