ささやかな報酬

『ワタヒ、ノ、ヒクハギィィィィッ!!』

 

 母胎であったエトランゼが抜き出さた。

 自己複製機能を失った右腕の肉塊は、怒り狂ったように大地を震わせる。


『ヅビナリ、ヅビナリ、ヅビナリィィィィイイイイ』

 

 ヒステリックに叫びあげる肉塊は、拡大していた肉の大地を一カ所に集め始める。

 アメーバのように波打つ血肉は大きな山をつくり、ヒトガタの偶像を形成した。


「もはや邪神ということを隠す余裕もないか、右腕よ」


 千種に抱きすくめられながら、エトランゼはその浅ましい容貌に失笑する。

 収束した肉塊は古代の賢者のようなローブを召しながら、その衣に身を隠すのは蠕動する臓器の寄せ集め。

 しつえた肉体は肉袋という他なく、顔から突き出ているのは、尚も他者を支配したようと伸ばす幾つもの右手の群れだ。


『シヲモッデ、タイザヒボ、ヅグナエエエエエエイイイイ』

 

 変わり果てた運命は、絶叫をあげて、貌に渦巻いていた右腕を吐きつける。

 それはひとつひとつが聖骸であり隷属の右腕。

 それらが濁流のように呑み込もうとする。

 

 だが、彼等はまなじりひとつあげない。

 決意の灯火は、もうかげることはない。


「エトランゼ、覚悟は?」

「共に生きる覚悟なら」


「ああ。その粋や良し、だ。──ゆくぞ二刀神虯、いやりゅうッ」

 

 掲げた右腕は紅い決意。

 一撃必殺の掌は、形無き得物をもつように淡く握っている。

 

 支配欲を嘔吐している神よ、キサマは知り得ているか。

 古武術の体系は、その所作や歩法の源流に悉く古来の刀法の血が流れていることを。

 彼が駆使する二刀神虯もまた、その血脈を強く受け継いでいる法であることを。

 

 眼前の拳士が、刮目すべき剣鬼の素養を持ち得えながら、その妙技に馴染む業物がなく無手で通し、いつかしか、その淡い拳──たつくちに収める一振りの太刀を待ち望んでいたことを。

 

 それが、いま成る。


「チグサよ、悲運を断つぞ」


 淡い拳に差し込まれたのは、桜色に燃える苛烈なる一振り。

 邪神の企てた運命を破らんとする破邪の一刀。


 炎刀えんとうの打ち手は、仕手の握る柄に手を添えて、呼吸を合わせる。


つぞ、エトランゼ」

「ああ、くぞチグサ」


 そして、二人は未来を斬り開く。




       「「────とうあざないッ!!」」




 刹那、緋色の剣閃が走り。


 声なき邪神の断末魔が、夜空と海を鳴動させる。

 汚穢の肉塊は蒼い血飛沫をあげて、小さな肉の大地を海に帰していった。





              □■□■□




 

 

「──────ぶっは。はあ、はあ。エトランゼ、無事か」

「うむ。生きておるぞ」

 

 海面から顔出した千種は、抱き留めていた少女の安否を確かめ、ふうと肩を下ろす。

 隷属の右腕を斬ったあと、肉塊の島は瓦解し、二人は海へと投げ出されていた。


「・・・・・・終わったのか?」


 そこかしこで氷山が瓦解するように、肉塊が剥がれ落ちて、海面に飛沫を上げていく。

 だが、ふたたび崩れ落ちる肉塊が増殖して、復元するとも限らない。

 そんな不安を見透かしたように、エトランゼが海面を指した。


「見よ」

「・・・・・・おお」


 灯りのない海面は、仄かに蒼味をおびていた。

 消滅する肉塊が死の間際に放つ蒼い光彩が海ホタルのように海面を照らしているのだ。彼等の周囲は淡い蒼い光に包まれていた。


「終わったのだよ。我々はやったのだ」

「・・・・・・そうか。やれたのか」


 途端に肩の力が抜け、身体が沈みそうになる。

 そんな彼の頭を、エトランゼは何も言わず優しく抱き留めた。


「・・・・・・はは、ははは」

「どうした。そんなに嬉しいか」

「いやさ。やっぱり胸が小さいな、と」

「失礼な奴だ」


 エトランゼは苦笑して、千種の顔を向き合うように動かすと言ってやる。


「それはな。これからに期待だ」

「・・・・・・・・・・・・嗚呼。そうか。そうだよな」

 

 千種はようやく終わりを実感した。

 明日を望まなかった少女の、その鮮やかな笑顔は、確かに彼が求めた闘いの報酬だったから。



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