神秘を討つ咒
刹那、世界は色を取り戻した。
満天の星空。漆黒の海原。そして肉色の地平。
『何故、奇跡から逃れタ』
歪な声が叫ぶ。
エトランゼに宿った虚亡は、愕然と直立していた。
「いうまでもない。貴様を破砕する為だ、右腕」
千種は、再び頂きに登る。
その歩みを止めるべく、彼の頭上から薄い紗のようなものがふわりと掛かった。
投網のように包む膜は、しかし、新調された紅き手甲に破砕される。
『イマ、権能ヲ、破ったノ力? いや、権能ヲ歪めているノ力?』
次々と被さっていく汚辱の膜を、緋色の一閃が切り裂いていく。
そして如実に、確実に、異端なる神の偶像へと歩みを進める。
『汝ハなにを宿しタ。そのような虚構、知り得ヌ』
「・・・・・・あの日。お前が世界を焼き尽くしたとき、願ったことがある」
緋色の右腕を握り、蒼き双眸で全てを見据える。
「お前が着飾る神性の全てを破砕し、この右腕が届いたのならばと」
『神に触れようトハ不遜の極み。必罰重罪ナリ。よって再び奇跡に堕ちヨ』
神々しい福音の詠唱もなく、ふたたび奇跡の汚辱を発する。
そうして如何なる者も不可侵であるはずの神の法は、
「これが奇跡だと? よくて悪趣味な神輿だろう」
全ての虚飾を拭い去られ、物質へと堕ちる。
そして姿を現したのは、遍く光とは名ばかりの醜悪で悍ましい巨大な右腕。
『キサマ、ナンダ、ゾレハ、ナンダ』
神の名を冠する異形が絶叫する。
いつか神を撃ち砕かんと望んだ彼の異能は、あまりにも不遜な虚構だった。
【如何なる神性や奇跡であれ、破砕できる物質へと変成する】
如何なる虚構、観念、概念、奇跡といった
いわば形無きモノに物質という〝
破砕するための仮初めの肉に押し込める──神を砕くための忌々しい独善。
〝
神であれ、拳は届く。
「では力比べだ、虚亡」
刹那、千種の右腕が閃いた。
紅い残光を曳く遠当ては、命を宿した奇跡のまがい物を破砕する。
『ギザマ、ンだ、レハ』
「日本語を忘れたか。それとも恐怖で呂律が回らないのか」
『ワレ、ガ、オソレルナドッ』
右腕は認めがたい感情を否定するように、巨木のような肉塊を振るう。
「分かるよ神様。始めての感情は受け入れがたいよな。初恋なんかがそうだ」
しかし、薙ぎ払うような一撃は緋色の光芒に斬り払われる。
増殖という機能──その神性さえ斬られた肉塊は、蒼い燐光を散らして消滅する。
「認めたくないんだが、己も最近、初恋ってやつを知ったよ。その想い人ってのが最悪で、傲慢で奇天烈、余りにも純粋過ぎて脆く、余りにも高潔だから自罰的で、信念があるために融通が利かない。そして何より手の施しようがないひねくれ者なんだ」
『クソ、クソ、クソヲオオオオオ』
「大きな声では言えないが、胸も小さい。本当に惚れる要素なんてひとつもない」
『コロス、シネ、シネシネシネシネエエエエ』
「どこに惚れたかも分からない。正直、今でも自分のことながら半信半疑だ。・・・・・・だが一つ、こいつを見たら惚れたと認めざるを得ないものがある」
紅い籠手を有した右手が淡く拳を握る。
「笑顔だよ。あのひねくれ女の、屈託のない笑顔を見たいと思ってしまった。だからな」
肘は引くように、肩は脱力して。
一撃必殺の一閃を構える。
「返してもらうぞ」
刹那、紅い閃光が少女の身体を貫いた。
『アアアアアアアアアアアアアアガ』
全ての虚飾を払う拳は、肉塊の母胎として散逸した少女を復元し、その戒めの鎖を断つ。
『マダダ、ミトメヌゥゥ』
だが、千種が彼女を繋ぎ止める最期の一つを壊す寸前、右腕の肉塊はエトランゼを再び肉の土壌に沈め始めた。
「エトランゼッ!!」
すぐに撃ち払うも、いまだ小島をなす肉塊の量は無尽蔵に近い。更には矜持や尊厳もかなぐり捨てて生命維持に走るスピードが、距離の目算を狂わせる。
伸ばした指先は、わずかに届かない。
したがって。
運命の破る為には、もうひとつの決意が必要だった。
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