左舷通路の魔神
それがつい一時間前の出来事だ。メインダイニングの乗客は拘束され、次々とメインダイニングから放り出され、
それから程なくして、千種の船酔いが加速した。
牛のように胃の内容物を
そして今に至る。
「吐き終わったなら、さっさと戻れ!」
怒鳴る男は、外套を押しあげるほど
千種と弥勒は互いに目配せをすると、千種は演技のために身体を仰け反らした。
「うえ、げろげろげーろげろ」
「おいおい、まるで汚いフードプロセッサーだな兄弟。こいつはまだまだ吐くね。あと小一時間は吐く。それにこいつ何だって食べるからね。そこいらの虫だって食べる。そいつが原因かもしれないね」
「ゴ○ブリ おいしい えびのあじ」
「うっ」
と、うめいたのは兵士である。
「もう良いか? まだ吐くか? 全部吐いたほうがスッキリするぞ?」
「兄さん見てたら、また吐き気が」
「それは錯覚。お兄さんはハンサムだから。むしろ
「うっぷ」
「あれ、なんでいま
「ちっ。さっさと済ませろ。ゲテモノ野郎」
兵士は悪態をつきながら戻っていく。充分離れたのを確認すると、千種は弥勒を睨みつけた。
「地獄に墜ちろ、清涼剤」
「疑われずに済んだだろう。それがつけいる隙を示している。君ほどの歳ならFiciton Holderだと疑うべきなんだ。彼等はそれを怠った。そこが僕等と彼等の命運を分けている」
弥勒の言い分は一理ある。
けれど、そこには大きな欠陥があった。
「ご期待のところ言いづらいんだけど、虚構武装がない」
材質は水銀に似た液状の微細金属群で、所有者が登録されると
本来、異能は虚構武装なしに発揮できた。
しかし代償が高く。強い疲労感や
そのため出力を抑える制御弁として、虚構武装は作られた。
「自称料理人のおっさんが、どこで手に入れたか知らない。ただ一般的に虚構武装は
「すると、なんだい。君は普通の少年ってことかい」
「少なくともそこいらの虫は食わない。・・・・・・食べても
「蝉とか蝗とか食べてることも驚きだけど、僕はもっと大事なことに驚いているんだよ。つまり僕等が無事に助かる
「まあ、そうだなぁ」
「このすし詰めだ。たとえ虚構を使えたとしても、多くの人が犠牲になる」
おおよそ百余りか。船首側に追いやられた人質は、
重火器には詳しくないが、兵士達は少なくとも数分で百余りの人質を射殺できる銃器を携帯し、更に背骨や腰、四肢などの可動域に
そんな彼等を相手取って、果たして何人の犠牲を強いるか。
彼等には、消耗しても余りある肉の
「それにFiction Holderもいる」
「あの虚構は処刑斧を振り回すだけじゃない。十中八九、肉体に強靱な加護が施されている」
Fiction Holderとて、別段、肉体は一般人の枠を越えない。
坂田時臣も例外でなく、外装で補強されていたとしても、漫画で誇張されたような巨大な処刑斧を持ち上げることなど不可能なのだ。そのため虚構は、物語の
坂田時臣であれば【巨大な鉞を振るうことが出来る程度の
「Fiction Holderに出逢った時の鉄則を忘れていたよ」
弥勒は苦笑する。
「『
「己たちは人質として大人しくする。それだけだ」
「だけど少年。もしメインダイニングの時みたいに、殺されるようなことがあったら」
「その時は、その時々で──」
考えるさ。そういいかけて押し黙った。
コツン、と。
新たな足音が、微かに甲板に届いた。
たちまちヒリついた緊張感が甲板に走った。人質だけじゃない。監視していた兵士達や、あの坂田までもが、不安と怯えの視線をもって
(・・・・・・なにか、来る?)
左舷通路は緞帳のように暗く、夜闇に満ちている。
唯一の光源は、通路と甲板の境にボンヤリと
(なんだ、こいつ)
闇の
夜に
だが、そんなものなど些事だ。視覚的な
たとえるなら、
美術品として一級品であり、
だが、その本質は人を斬り殺す殺意の
彼女の美しさも、それと同じ類いだ。
凄絶な殺意の結晶。鮮血の輝きを内包した美。
畢竟。これは人じゃない。
それは魔神と呼ぶべき何かだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます