第3話 展示物012

 その展示エリアはただ来場者が触れないよう前にロープが張られているだけで、保管方法は厳重なものではなかった。

「これは影響力が強いから少々注意が必要だが、使い方次第によってはとても便利なものだ」

 展示物012は革張りの椅子だった。離れたところからでも、クッションが効いていて座り心地が良さそうなのがわかる。

「ただの椅子じゃないんですか?」

「こいつは座った人間の思考に影響を及ぼす特殊な椅子だ。これに腰掛けて考えることで物事の決断がしやすくなる」

「すごいじゃないですか」

「でも大半の場合、これによって導き出した結論に人は納得できなかったり、後悔したりするんだよ。おそらく決断を助けるというより、より安易な方向に導くんだ。試しに座ってみれば分かる」

「いいんですか?」

「学芸員特権だよ」

 先輩の進めるまま、私は展示物012に座った。

「何か今、迷っていることを思い浮かべてみるんだ。できるだけ軽いものが良い」

 私は今日の午後、昼食に何を食べるかを考えた。博物館の向かいにあるカフェテリアか、もう少し向こうのレストランか。それとも近場のコンビニで安く済ませるか。そうだ、今月は出費が厳しそうだから、やっぱり安い百円のおにぎりにしよう。カフェのランチも捨てがたいが仕方が無い。うん。

「どうだ?」

 先輩の声で我に帰った。

「良い決断はできたか?」

「いえ、あまり」

 私は慌てて椅子から立ち上がった。コンビニのおにぎりは悪くはないが、最良の選択だとは思えなかったのだ。

「納得はできませんでした」

「そうだろうな。大抵のことはそんなもの頼らずに決めなければならない。展示物012は本当に決断に困った時や、考えていることが突飛すぎて実行でき無い時にだけ、使うものだ」

 先輩は次の展示室に歩き出そうとした。

 しかしふと立ち止まって、「あ、」と言った。

「それと昼飯の心配ならしなくていい。今日ぐらいは奢ってあげよう」


 展示物012ー妥協〈ダキョウ〉ー

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る