第十一話 賢者の石2
「何を言って」
ありえない、嘘みたいな内容は冗談のようで――でも、恐ろしいほどの寒気がした。心臓が激しく音を立てて、混乱した頭は否定の言葉を上手くつむげない。
「賢者の石は古来から多く存在している、血のように赤い石だったり黄金の石だったり、はたまた液体だったりね。永遠の命や尽きぬ黄金、無限のエネルギー、その力は様々だけど、人にとってのある種の不可能を踏破する力で有ることは変わらない。ニコラフラメルしかり、パラケルススしかり、歴史上多くの天才が精製に成功したものの、現代には失われ、精製しうる天才も存在していない――といわれている」
出会ったときと同じように百科事典のような内容を弥子は諳んじる。
「不可能をかなえる、枠外のエネルギー、それが賢者の石。本来人に扱えぬ、世界を滅ぼしうる奇跡――15年前、この街に再構築されてしまったそれを、五十六は無効化することにした。一つの願いに万能のエネルギーを固定化させ、他の願いをかなえないように願いをかなえ続けた」
嘘でしかない物語なのに、叫びだして否定をしたいのに、玲人の口は動かなかった。言いようのない衝撃が、彼から言葉を奪っていた。
「最初に先代の五十六が利用は不可能な形態になっていると言ったと知って、何らかの世界に無害な願いを叶え続けるように固定したんだろうと私は思ったんだ。だから、当たり前で異常な現象の可能性を考えてた」
賢者の石は基本一つの願いを一度に叶える、ならば叶えさせ続ければほかの願いは叶わない。無茶苦茶だが、筋は通っていた。
「最初に二ノ倉君に疑問を感じたのは、港で第四の瞳に巻き込んだ時だよ。二ノ倉君、何ともなかったでしょ」
「なんともって」
そんなことは決してなかった。気味の悪い空間で、人が絶望の声を上げる地獄のような光景は玲人にとって息が詰まるほど恐ろしいものだった。だが、弥子は首を振った。
「ねえ、私が殺されていない理由って知っている?」
「殺されって」
「うん、だって邪神だよ? 賢者の石なんかよりずっと危険な存在に、警備部や五十六が何もしなかったと思う?」
それは当たり前といってもいい問だった。自然と、無言のままの要と悠に目が行く。要は変わらない仏頂面だが、悠には悔しそうな、隠しきれないやりきれなさが見えて――玲人は真実を悟った。
「殺せなかったんだよ、全力の討伐作戦でも。なぜなら、邪神は圧倒的な力だけでなく、狂気を宿し、その力は人の正気を奪う。記憶の全て、心の全てをえぐり、破綻させる。どんな殺し屋でも、正義の味方も実力を出すことは不可能だ」
自分のことなのに他人事のように弥子は語る。怒りも、悲しみもないその様は聖母のようですらあった。
「三年前、この街は多くの犠牲を出しても、
あの地獄の果てに、弥子や要が向けた視線の意味が分かった。人々が狂わざるをえない状況で、一見何でもない少年が正気を保ったからこそ、彼らは驚いたのだ。
「君は
時が止まったような感覚がした。人が絶望する瞬間とはこのような時をいうのだろう。自分のかけがえのない何かが崩れていく、土台が崩される――いや、そもそも無かったのだと指摘される。それを信じたくなくて、でも信じてしまって、震える声で玲人は反論した。
「でも、俺はちゃんと生きている。生きているはずだ! これまで、ずっと」
「君は人と変わらないよ、基本は。このまま何もなければ普通に生きていけたと思う。でもね、存在の根本が違うんだ。全く違う――血をなめてみて確信した、君には魂がない」
弥子の目は感情が読み取れない。慈愛に満ちているようにも、無感動のようにも見える――いずれにせよ、最後の通牒を玲人はたたきつけられた。
「……あるかどうか分からないってそういうことなんだな。仮に二ノ倉が死んでも、いた事実を固定し続けるから使えない――うまいこと考えたな」
「上手い事って!」
その一言に停止した思考が、一瞬で怒りに染め上げられた。
「なんだよ、それ。人間じゃないって、現象ってなんだよ! 何を言っているんだよ! 俺は、俺は」
自分の手を見る、暖かな普通の手だ。何も変わらないのに、全く別のものに見えてしまう。
「俺普通だろ、普通に生きて、お前らみたいじゃないし、普通に――」
頭をかきむしりたい衝動がした。すべてが別世界に感じられる中で、やけに鮮明なジャキッという音がする。呆然と見れば、冷たい黒光りする穴が玲人に向けられていた。
「え……?」
恐怖はおこらなかった。ただ、何故こうなっているのか、分からなかった。
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