第十話 賢者の石
「それじゃあ、お世話になりましたー!」
「また、泊まりに来てね」
「はーい、ありがとうございます! 行ってきまーす!」
実に元気よく弥子は挨拶すると、心底楽しそうに家を後にした。長らくこの家の住人といってもいいくらいの溶け込み方は、呪力というよりコミュ力の賜物なのだろう。
「おい、あの札は良かったのか?」
「うん、明後日まで何もなかったら剥がしといて。燃えるゴミでいいから」
罰が当たりそうな処理方法だが、弥子が言うからにはそういう物なのだろう。玲人はまたヒーロー劇の裏側を見たようなしょっぱい気分になった。
「今日は学校はどうするんだ」
「気になって行けないでしょ? 要さんが迎えに来てくれているから、それで五十六と合流するよ」
そういって弥子が指さした先には、見覚えのある黒い車が一台止まっていた。
「おはよー、要さん! 元気?」
「早く乗れ」
弥子が運転席をノックすると、不機嫌そうな仏頂面がこちらに向けられた。
「……お、おはようございます」
「いいから、早く乗れ」
「要さん聞いてよー、ハムエッグ超美味しかったー!」
反射的に挨拶をしたものの、全く意に介されず一蹴される。思うところがなかったわけではないが、弥子が気にせず嬉々として果敢に話しかけに行く姿を見れば、気にするのも馬鹿らしい。
「どうでもいい、黙れ」
「洋食洗脳系サブリミナルと思って聞き流していいよ!」
チッという舌打ちとともに、車が発進された。不機嫌極まりない態度は恐ろしくもあったが、昨日に比べれば断然怖くはなかった。慣れというのは恐ろしいものである。
弥子の姦しい囀りと露骨な舌打ちをBGMに車は滑らかに昨晩の目的地、繁華街の裏道へと向けられる。朝というのもあって人どおりはなく、夢から覚めてしまったような寂しさがあった。
「全然燃えていなくないか?」
見たところ、異常は見当たらなかった。あれだけ燃える騒ぎがあれば、焼け跡になっていそうだがその様子もない。
「適当なところで五十六が転移したからな。元々が要塞だからあの程度はどうということはない」
Mirageの入り口も昨晩と全く変わらなかった。古びたポスターすらそのままの光景は迷い込んではいけないところに入ってしまった感覚を覚える。
昨晩と同じ、カランという軽いベルの音と主に古びた木の扉が開けられた。
「よっ、おはよーさん」
バーテン服の悠は昨晩と同じ位置に立って、グラスを拭いていた。客が来ていたとは思えないから、そういう振りなのかもしれない。
「悠、おはよー! 昨日はお疲れ様、あともろもろ有難う!」
「弥子は朝から元気だな」
「睡眠が大事なお年頃なので」
弥子が茶化すように笑うと、徹夜をしたであろう濃い熊をもつ同年の悠は苦笑しながらグラスを置いた。
店の中も当然のように昨晩のままだった。あの謎の脱出口も只の棚のままで――まるで、銃撃戦から今までの事が全て夢であったかのような錯覚すら覚える。
「それで」
口火を切ったのは世間話の回路がない要だった。
「賢者の石の在り処が分かったのは本当か、弥子」
心臓が止まる様な衝撃だった。
予想外の言葉に玲人が弥子を見やるが、彼女はいつも通りの無邪気な微笑のままだった悠も驚いた様子はなかったことから、知らされていなかったのは玲人だけだったらしい。
「うん、分かったよ」
「分かったって、俺聞いてないけど!?」
片手で気安くOKマークを作る弥子に食って掛かるが、笑顔で一蹴された。
「うん、言っていないからね!」
「言えよ! 俺、被害者で関係者だろ!?」
「それはまだ言うべき段階じゃないから――先にほら要さん達がすませてよ」
勿体ぶる弥子を問いただしたい気はしたが、その笑顔はそう簡単には答えてくれない雰囲気がした。
歯がゆく思う玲人に対し、二人は慣れっこなのか、先に要が答えた。
「アイズだが、昨日壊滅させた」
「壊」
この発言にも開いた口がふさがらなかった。色々と展開が玲人の予想をはるかに越えて早すぎる。
「元々違法活動が増えていて、目をつけていたからな。一般人を巻き込む人身売買、禁呪の実験、違法な術具の取引・開発と罪状は多い。
「人身売買って……」
思いのほか重い内容に心臓に杭を打たれたような気持ちになった。日常からかけ離れた平和でない世界の言葉が、当然のように目の前で使われている。知らないだけで、見たくもないものは案外近くにあるのだと思うと悪寒がした。
「アイズとは昨夜2時から銃撃戦を開始及び一時間後に制圧、今朝5時の時点で重要人物は全て確保、7時の時点でリストにある関係者の捕縛はほぼすべて完了している」
「……すごいな」
「念のため、一年程度は使い魔式の護衛をつけるが、まず追われることはないだろう。残党はまだいるだろうが、お前を追う余力はまずない」
要は誇るわけでもなく、淡々と玲人の知らない事実を述べていく。その姿に終わったのだと玲人はぼんやりと思った。
いつの間にか知らないところで全てが片づけられる、それにあっけなさと、言いようのない無力感を覚える。――だが、きっとこれは当たり前なのだ。玲人が子供だからとかは関係なく、知らないところで片付いていくのが社会なのだろう。
「で、二ノ倉の標的になった話だが」
もう一つ、知らないところで進んでいた話が悠から告げられた。自分のことであったが、それもどこか遠くに玲人は感じられた
。
「結論を言うぞ、よく分からん」
「……は?」
予想に反して、悠の顔は苦かった。
「賢者の石の話の出所は分かっている、アイズが最近ひいきにしていた占い師がそうだ。ハクっていう占い師が去年ぐらいからアイズ全般に噛みだして、そいつが石の話を掘り返したらしい。目立つことが増えてきたのもそのころだな。だが――ハクは占い師じゃない」
「占い師じゃないって?」
占い師は偏見ではあるが、不思議事に縁遠かった玲人にはそう重要な要素には感じられなかった。が、それを察した弥子が付け加えた。
「この街の占い師っていうのはね、千里眼の一種で別名を件、先見人っていって未来を見る特殊な一族の事をいうの。けして体が強い一族ではないし、回数とか条件とか力の制限も複雑だから、街全体で保護している。フリーに近い占い師もいるけど、こちらで把握できない人はいない。つまり、なりすましってこと」
「……そいつはどうなったんだ」
「死んで見つかっている。自殺した死体があった――書付や遺書の類は見つかっていない」
死人に口なし、すべては闇に消えたということなのだろうか。それに言いようのない不気味さを玲人は覚えた。
「ハクのアイズ接触前の経歴を漁ったが、何も出てこなかった。突然現れて、その割には異様なほど信用され、最終的には組織を壊滅にまで追い込む悪事に手を染めさせている。三流の魔術師が経歴として騙ったのが妥当だが、街の人間なら占い師じゃないことぐらいわかるはずだ――違和感がぬぐえない」
歯切れ悪く悠は言うと、答えを求めるように弥子を見た。
「正直石の在り処も、事実も俺には分からなかった。だが、弥子は見当がついているんだろ?」
その場の視線が弥子に集まった。その場の誰もが知りたい事柄だった。
「ハクの正体は憶測しかできないけど、石については知っているよ」
弥子は珍しく真剣な表情をしていた。普段が締まりのない笑顔だから、逆に何かが抜け落ちてしまっているようにも見えた。
「賢者の石は、二ノ倉君だよ」
その言葉に心臓が貫かれたような衝撃が走った。
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