第九話 邪神がお家にやってくる!2
「まあ、ご家族に迷惑をかけるわけにいかないし、ささっと準備はしよっか」
そう言って、次に弥子が取り出したのは主文字で幾何学模様が描かれた札の分厚い束だった。
「各部屋に一枚、窓があるところは窓ごとに一枚、内側でいいからさくっと張っていきましょう」
「何で張るんだ?」
「マステ。跡は少ない方がいいでしょ、資産価値的に」
手渡されたのはサボテン柄のマスキングテープだった。札は紙製だから問題はなさそうだが、有難みは全くない。
「どうかしたの?」
「いや、なんかもっと有難そうなやつとか」
「接着していれば効果はあるから。問題なし!」
ぐっと親指を突き出されれば、門外漢の玲人が反論できることなどない。うっかりヒーローショーの中の人を見てしまったような、しょっぱい気持ちで玲人は作業を始めた。
「それにしても、びっくりしたなー」
「何がだ?」
弥子は黙って作業をすることなどできないのか、嬉々として話しかけてくる。
「二ノ倉家が思ったより、普通だったから拍子抜けして」
「……そうだな」
確かに普通の家族だ。優しい両親、仲が悪くもない弟、何の問題もない普通の、いや世間でいう良い家族なのだろう。実際、玲人のことを大切に思っていることは日々の生活から伝わってくる。――それでも、何故か苦い思いが湧き上がってくる。
「二ノ倉君はなんで不良やっているの?」
ためらうことのない直球の質問に、玲人の手が止まった。
「というか、なんちゃって不良?」
「なんちゃってはやめろ」
格好だけの現実からして否定はできないが、その言い草は看過できない。苦い顔を向ければ、きょとんとした小動物のような顔が返ってきた。
「……別に理由はない」
「髪とか染めたら色々面倒でしょ? それでも、やりたかったんじゃないの?」
「一度染めたら戻しにくいんだよ。それに何というか――」
髪を染めたことをとやかく言われなかったわけではない。両親には再三理由を問われたし、学校でも呼び出されることは一度や二度ではない。何があったのか、不満なのか、繰り返し尋ねられる、探られる視線、怒声――理解できないものを見る距離。
言葉にしづらく言いよどんだ玲人に対して、珍しく弥子は無言だった。答えを待っている、そういう無言だった。
「……何となく決めたんだ。見た目を変えればいいわけじゃないけど、何かをしたくて」
「変えたら変わるの?」
「変わるわけないだろ」
変わらない日常、恵まれた環境、分かっている、不満なんてなにもない。でも、言いようのない息苦しさ、目に見えない何かを被せられていくような感覚が嫌で、心がぽっかりしたような感覚を埋めたくて――何かに縋りたかった。
見た目を変えても、何も変わらなかった。当然の結果だが、これだけか、という失望感はぬぐえなかった。周りの反応はそれなりにあったが、腫れ物に接するような反応はどこか遠い世界のものだった。そして、変わらず息苦しい。
「んー、二ノ倉君が何したいのか、私には分からないや」
弥子はケロッとした顔でそう言い切った。実にさっぱりした言い方には悪意はないが、遠回しに馬鹿にされたような気がして玲人は顔をしかめた。
「俺だって分からない」
「でもまあ、分かり合えないのは皆そうだから。折り合いは少しずつ付けていかないと。分かる部分を拾い上げてつなぎ合わせてさ」
ぺたりと弥子が札を貼っていく。剥がれないか確認をして、彼女はくるりと振り返った。
「二ノ倉君は全部分かろうとするから、上手くいかないんだよ。距離をとってできる範囲で分かろうとしてみなよ。勿体ないし、あとなんか格好悪いよ!」
「……それはやめろ」
自分でも分かっていることだけに、実に耳が痛かった。悪意が全くない口撃とはこういうものをいうのだろう。
「せっかく素敵な家族なんだから、そう思えるなら距離感が合っていないだけで、きっとそこが変われば上手くいくよ」
そういって弥子は無邪気な笑顔を向ける。その無邪気さに反論をするふてぶてしさよりも、疑問を覚えてしまった――彼女の家族はどうなのだろうと。
そもそも家族はいるのか、彼女は何なのか、分からないが弥子にはきっと手の届かないものなのではないか、直感的にそう感じた。
「っつ」
考え事をしていたからか、いつの間にか手元を薄く切っていた。
「ん、どうしたの?」
「ちょっと紙で切っただけだ」
ヒリヒリとした痛みに確認をすると、割と深めに切ってしまったようで、人差し指から赤い雫が膨れ上がっている。
このまま作業をすれば札を汚しかねない、効果は関係ないかもしれないがビジュアル的に血まみれのお札は嫌だった。テッシュを探そうと見渡して、弥子がじっとこちらを見ていることに気が付いた。
「……どうした?」
じっと見られるのは心臓に悪い。だが、弥子はそのまま無言で玲人の腕をつかむ。
「ちょっと、ごめん」
咄嗟の行動に振り払うことも尋ねることもできないまま、弥子は強張った玲人の指をおもむろに口に含んだ。
「な、おい!?」
生暖かい舌が傷口をざらりと嘗めていく。くすぐったいような、恥ずかしいような――一瞬のうちに怒涛の感情が生じ、端的に言うと玲人は混乱に陥った。
「な、な、な」
時間にして数秒か、それでも玲人には永遠のように感じられた時間は、唐突に解放された。
「な、何を」
「あ、もう大丈夫。手、洗ってきた方がいいよ」
「しょ、消毒とかのつもりなのか?」
混乱のままに口走ったのは少女漫画のようなあまりにべたすぎる答えだった。が、弥子は不思議そうに首を傾げただけだった。
「へ、消毒? 口、雑菌いっぱいだから衛生的に良くないと思うよ」
「……ああ」
正論である。ゆえに尋常でなく恥ずかしかった。お前がやったんだろとか、何でとか疑問や突っ込みは絶えなかったが、それ以上に恥辱が勝った。
こういう時はどうすればいいのか、答えは案外簡単である。玲人は逃げるようにして、洗面所に駆け込んだのである。
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