第七話 それは外の神であり、虚ろなるもの

 笛の音はいつの間にか遠ざかり消え去っていた。気が付けば、もとの薄闇に玲人は立ち尽くしていた。

 冷たい雫が頭にあたり、雨が降り出していることに気が付いた。


 そこは地獄絵図へと化していた。

 顔をかきむしり続けるもの、地面を殴り続けるもの、か細く絶叫し続けながら虚空をつかむもの、皆周囲は見えていない。

 魂だけが地獄に閉じ込められてしまったかのような、見るにも痛々しい酷いさまだった。


 弥子は狂乱の中心に立ちつくしていた。静かな後ろ姿は何を考えているのか分からないが、頼りなく見えた。


「……弥子」


 いたたまれずに声をかけると、弥子が驚いたように振り返った。


「二ノ倉君、大丈夫なの?」

「……これは弥子が?」


 聞きたくはない気もしたが、尋ねる。案の定、弥子は静かに頷いた。


「うん、私」


 明るい声音は先までの弥子と何ら変わりがなかった。

 何と声をかけていいのか分からない。聞きたいことは山ほどあったが、そのどれもが声にならない。雨に濡れてしまう、この場では馬鹿げたようなそんなことすら横切った。結局、弥子がその先を紡いだ。


「私ね、邪神なんだ」

「邪……神?」

「何年か前に邪神、この世ならざる異端の神の依り代、というか端末になっちゃって」


 昔引っ越ししたことがあって、そんな軽さで弥子は邪神について語りだした。


 邪神は少なくとも有史より前の時代からこの世に関わっている、この星の外の存在だという。賛美するもの、恐れるもの、立ち向かうもの――人はそれに対して様々な行動をとり、それは世界をたわむれに地獄と変えた。


 この綾河の地においても、邪神は時折歴史の1頁に姿を現していた。特殊な立地が干渉を強めていたといってもいい。

 時に世界を終わらせるような危機を引き起こしながらも、主に対抗することで綾河は平穏を守っていた。


 邪神と便宜上呼ばれるそれは多くの名を持つ、世界のルールをゆがめる超存在、侵食する悪食家、愉快犯、彼らが何を求め、何の力で、何故この世に関わるのか。それはこの世のものには誰にも分からない。

 不幸にして邪神となった少女にも分からなかった――いや、分からなくなったというべきか。


「……何で邪神が」

「それ、よく聞かれるけど――逆に玲人君は答えられる?」

「は?」

「だから、自分がなんでここにいるのか、生きているのか。客観確実な答えって難しいでしょ、そういうことだよ」


 咄嗟に反論が思いつかなかった。


「私は今までの延長として生きている。ただ、生きていたらこうなった、それだけ」


 弥子の言うことは分かる。だが、どこか宇宙人を相手にしているような、根本的な理解が違っているような気味の悪さを覚えた。


「世界を滅ぼしたい、とか」


 邪神と聞いたからか、とっさに出てきたのはそんなバカげた質問だった。


「んー、全然? 逆に聞くけど、二ノ倉君は街一個を吹っ飛ばせる爆弾があったとして、自分のお家に仕掛けたい? 私そんな特殊性癖ないよ」

「特殊性癖」


 あんまりな言い方だったので、ついオウム返しをしてしまう。

 すると、何を思ったのか弥子が、顔をひきつらせた。


「え、二ノ倉君破滅願望あるの? 自分なぶりたいタイプ?」

「ねーよ!」


 とんでもない誤解が生まれかけたことに、力強く玲人が否定した時だった。惨状にふさわしくない有名アニメ映画のテーマソングが流れた。


「あっ、要さんだ」


 弥子が制服のポケットから携帯を取り出した。朗らかなテーマソングと死神のような男がミスマッチに感じられた。


「はい、私。そっちは片付いた? うん、うん、あっこっち? こっちは病人が――16人かな。待ち伏せされていて、うん、ごめんやっちゃった。あ、お話?」


 弥子は電話を止めると、ぶつぶつといいながら下を向いている一人を指先でつつく、気にもせず狂ったように男は顔をバリバリとかいている。


「上手くいったら、半年後にはお話しできると思うよ!」


 満面の笑顔は電話越しに伝わったのだろう。手短に何かをいって電話が切れた。要が仏頂面をますます苦いものにしているさまが想像できた。


「今向かっているって。ここは専門の人が片づけに来てくれるから、私たちは大通りに行こう」

「専門の人って?」

「オカルトティックな医者みたいな? 邪神ってほら邪神だから、まともに対峙すると精神的に影響がでちゃうんだよね。放置するとやばいことをする人も多いから、専門のとこに引き取ってもらうの」


 説明する弥子の口調には不思議なことに何ら悪びれたところがなかった。16人もの人間を瞬く間に廃人にしたとなれば、あれこれ悩みそうなものだが、それがない。

 慣れてしまったのか、割り切っているのか――はたまた、もとから感じないのか。玲人には分からなかったが、背筋を冷たいものが走った。


「加減とか……他の方法とかなかったのか」

「え、無理だよ。最低限でこれだし」

「……お前はそれでいいのか」


 何を聞きたいのか、玲人自身にもよくわからなかった。

 今日一日玲人にとっては怒涛の連続で、不可思議なことだらけで、死ぬと思ったことも一度ではない。

 その最中で彼女は普通の笑顔をみせ、玲人の手を引いてくれた。それは確かに玲人にとって救いだった。


 今の彼女は変わらないように見える。変わらないということは、彼女の温かさはきっと、玲人が思っていた物はきっと――


「いいっていうか、二ノ倉君、死にたいの?」


 玲人の顔を不思議そうに見つめ、弥子がこてりと首をかしげた。


「生きているからには基本生きるでしょ? そこに理由とか、生きていいのかみたいなこと聞かれても――例えばパンを食べたとして、生きるために誰かの労力や命を消費することって気にする?」

「あいつらは人だろ」

「生きるための障害、必要経費としては同じでしょ?」


 弥子は心底不思議そうにそう答えた。彼女の言っていることは、理解はできる。ある意味生き物としては真理なのかもしれない。


 でも、だからこそ彼女は人として、どうしようもなくずれている。

 東森弥子は根本的なところが人として欠けている。彼女に何と声をかけていいのか分からず、玲人は押し黙った。


「……うん、大丈夫だよ。もうすぐ要さんがくるから」


 雨は容赦なく彼女に降り注ぐ。安心させるようにほほ笑んだ弥子は、雨のせいか曇って寂し気に見えた。

 無言の雨の中、地獄を踏み越え、大通りへとでる。しばらくして、三台の車が止まり、要と関係者らしい人間が数人出てきた。


「……無事だったか」


 要は玲人に気づくと、驚いたように近寄ってきて、質問攻めにした。


「動けるか、気分は問題ないか? 体調は?」

「俺は、まあ」

「……思いのほか根性があったな」


 ふっと要の目元が和らいだことに玲人は気がついた。仏頂面の恐ろしい死神のような男、そう思っていた分だけそのわずかな変化は大きい。いたわる様な視線がくすぐったかった。


 要を含め、他の人々も弥子に声をかけることはなかった。玲人には驚いたような、いたわる様な視線が向けられるが、弥子にはそれがない。

 狂った人々が運ばれていく様を、弥子は淡々と眺めていた。


「ねー要さん。タオルない? 濡れちゃった」


 最後の一人を見届けて、弥子が振り返った。彼女の笑顔は子犬のように無邪気に見え、それでもどこか寂し気だった。

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