第三話 怪盗五十六
綾河は驚くことに最古の文書の時代から記録が残っている。
曰く、怪しき国。一見ただの中興都市のような平凡な賑わいを持つ一方で、神話や伝説の置き土産が散乱し、実際に怪物や人ならざるものが生きていたその地は、時の流れにはほどよく従えども完全に従うことはなかった。いや、その混沌ゆえにできなかったといってもいい。
その結果、綾河はいかなる時代も微妙な距離を置かれた。表面上は普通の国であれど潜むものの全てが異端のため、統治に必要となる仕組みがどんなものでも適わなかったからである。あらゆる時の為政者は綾河に関しては匙を投げた。
だが、それで綾河が不法地帯となることはなかった。自然界に暗黙の了解が生まれるように、異端には異端のための独特の法、自警団が形成され、紙一重の均衡と混沌は維持された。その歴史は優に二千年を超えるという。
その風習は今も残り、法治国家の現代社会に表面上は迎合しつつも、日本の法とは異なる綾河の理はひそかに組み込まれ、異端の地を隠し続けている。
ーーーーーーーー
「そういうわけで、ルール無用、何でもありな脳筋極論平和主義集団が現代の綾河市警備部! 要さんはそこの人だよ」
「……物騒すぎないか」
玲人が連れ出されたのは黒塗りの高級車で、座り心地はいいが、知らない場所に連れ出されるあたり居心地は悪かった。
車は見た目はいかにも高級然とした気品があったが、いざ入ってみるとドアポケットには多数の妙なガラクタが押し込まれていた。重火器は見て見ぬふりをするとしても、得体のしれない記号の書かれた紙や、不気味な人形、水晶玉など明らかに用途不明でも何か意味がありそうな物は不安を助長させた。
「まあ、物騒じゃないと破綻しちゃうから。怪物には怪物のルールがないと」
「俺、この街出身だけど聞いたことないんだけど」
時間がたって落ち着いたからか、猜疑を言葉にできるようになった玲人だったが、弥子は全く気にしていないのか、あっさりと肩をすくめた。
「そりゃあ、戦後からは普通の人間が増えたし、沈黙協定があるからね」
「沈黙協定?」
「そう、表面上は決して異端を表に出さない。綾河があらゆる時代で生き延びるために作った擬態方法だよ――うーん、信じてもらうのに手っ取り早いのは色々ぶっ放すのがいいんだろうけど」
軽い調子の弥子は、ドアポケットの用途不明な物におもむろに手を伸ばす。思わずどきりとしたが、手に届く前にけん制の声がかかった。
「弥子、やめろ」
苛立ちを隠さない、舌打ち交じりのけん制だった。
「あ、バレた? 大丈夫、秋姫ちゃんにもらったやつとか」
「十中八九、それはお前を殺しにかかっている物だ。試すなら、他所でやって消えろ」
「うわー、要さんドラーイ」
敵意を隠さない物騒な要に対して、弥子は何でもない調子で笑っている。二人にとっては普通の関係性なのかもしれないが、はたから見ている分には肝が冷える。というか、要の不機嫌さは純粋に恐怖を覚えたので、玲人は話題を変えた。
「あーと、東森も警備部の人間なのか?」
「違うよ、私は協力者というかファンみたいな?」
自分でもよく分からないのか、弥子は首を傾げた。微妙な答えにますます謎が深まったが、彼女にはどうでもいいことらしく、あっさりと話題を変えてきた。
「あ、あと私のことは弥子でよろしく。東森って慣れなくってさ」
「偽名なのか?」
頭をよぎったのは力強く偽名だと断言した要の姿である。が、予想に反して弥子は首を振った。
「いや、本名だよ。だけど、本当の名前だからもう違っているというか――まあ、しっくりこないんだよ」
「……そうか、分かった」
分からなかったが、弥子から一種の葛藤を感じ取った玲人は追及をやめた。誰だって聞きにくいことはあるし、奇妙な彼女にはきっと面倒な事情がおおいのだろう。代わりに、聞きそびれていたことを玲人は尋ねた。
「今俺は市警備部に向かっているのか?」
「そのつもりだったけど、違うよ。今夜なら五十六とコンタクトが取れそうだから、先にそっち」
「五十六?」
変わった響きはどこか耳馴染みがあった。記憶に引っかかる言葉を反芻すると、弥子が付け加えた。
「そ、怪盗五十六。知らない? たまにニュースになって」
「怪盗五十六!?」
「あっ、やっぱ知っているよね。有名人だし」
怪盗五十六、それはこの街の人間で知らない者はいないといっていいだろう。大昔からこの街で有名な――愉快犯である。
怪盗らしく物を盗むこともあるが、銅像の眼鏡、池の鯉、時計の針など変な物ばかりで、一方で花束を配るとか、噴水の水を酒にするとか意味不明な行動も多い。
その割に痕跡はないという無駄な犯罪能力を持ち、社会の無駄人の極みとすら称される、小犯罪者だ。
「いや、あの五十六と何の関係が」
「当事者だからだよ」
「……は?」
愉快犯と賢者の石というオカルト、全く関連性がないのではないだろうか。
「色々端折るけど、15年前の賢者の石を無効化したのは五十六なの、先代だけど」
「まさか、そいつも警備部とかいう」
「違うよ、五十六は味方だけど協力者じゃない。正義の味方ということでこの街では通っている」
車はいつの間にか繁華街へと向けられていて、ネオンの波がまぶしく感じられた。
正義の味方という単語は知っている、誰もが一度は憧れるパンのヒーロー、日曜の朝の主役――だがそれと地味、意味不明、無駄有能かつ伝統的(?)な愉快犯とは明らかにミスマッチといえた。
「うーんと、分かりやすく言うと、五十六は綾河の自衛システムの一種で、害をなしうるものを排除しているけど、結果を見える部分だけで掬うと意味不明になってしまうみたいな」
「銅像の眼鏡を取って鼻眼鏡に付け加えたやつが?」
「……その一件は本人も大層気にしていたから触れないであげて」
しみじみとした弥子の口調にはありったけの同情がこめられていた。
と、車が唐突に止められた。繁華街から少しずれた、ネオンがぽつぽつとともる通りで、先程の光の氾濫と比べれば、ひどく暗く感じられた。
「降りろ」
「あ、要さん運転ありがとう」
乱暴な口調と物騒な気配は相変わらずだったが、弥子が一ミクロンも気にしない対応をするからか恐怖を感じることはなかった。
夜のとばりが下りた街は肌寒く感じられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます