第一話 死神と女子高生と賢者の石1
無いものの証明ほど難しいものはない。
だが、不思議なことに人間は無いことが当たり前とされていれば、それを疑いようもなく信じ込む。圧倒的な情報量の中で生きるには必要な取捨選択能力、ということなのだろう。
目を覚ますと知らない天井が見えた。
見回してみれば白を基調とした、物が置かれながらも妙に生活感のないリビングルームは一見モデルルームか何かのようだったが、部屋の主の趣味なのか、幾何学模様の絵が無造作に張られており違和感を醸し出している。間違いなく知らない部屋、その中央に置かれた古めかしい臙脂色のソファーに少年は横たえられていた。
起き上がろうとした少年は体を走る鈍痛に顔をしかめた。痛みと同時に荒っぽく治療をされた痕跡に気が付き、その傷を見て血の気が引いた。
怒号、容赦のない暴力、意味不明な尋問、火薬の匂い、焼けるような痛みと冷たい地面――意識を失う前の光景がフラッシュバックする。
「あ、起きたんだ」
見ると小動物めいた顔で見覚えのあるセーラー服を着た少女がいた。その制服は少年の母校と同じもので、日常の象徴というべきそれは、逆に混乱をあおった。
「お前は――」
「弥子」
低い男の声に少年の背筋をうすら寒いものが走った。
少女に遅れて入ってきたその男は、ひどくガタイがよく、生気がやけに薄い、はっきり言って普通ではない表情をしていた。
なによりもその纏う雰囲気は死神か何かのようで、本能的な恐怖を逆なでし、まるで堅気には見えなかった。
その死神が少年に目を向けた。
「ああ、起きたか」
なんの感情も読み取れない、淡々とした声音がとかく恐ろしい。
「小僧、名前は」
「誰が言うかよ!」
考える間もなく咄嗟に出てきたのはやせ我慢の悪態で、その言葉に血の気が引き、されど強がりのまま少年は男をにらみつける。
男を怒らせたかと内心恐怖したが、彼は面倒くさそうに少女に目をやっただけだった。
「捨てていいか」
「面倒くさがらない! 青少年の保護もお仕事でしょ」
「……保護?」
明らかにそぐわない言葉に聞き返すと、少女は緊迫した空気にそぐわないのんびりした口調で言った。
「そ、要さん、この強面はね、特殊でなんでもありなお巡りさん亜種。だから、二ノ倉君が思っている人じゃないから安心していいよ」
「な、何で名前を」
知らない人に名前を知られている、その事実だけで心臓が直につかまれるような恐怖を覚えた。
だが、顔色をますます悪くする少年に浴びせられたのは、間の抜けた調子の声音だった。
「あ、お茶入れるけど何がいい? 紅茶か珈琲だけど」
「聞けよ!」
いつもの悪癖で声をつい荒げてしまい、内心少年焦ったが、少女は不思議そうに首を傾げただけだった。
「えっ、だって二ノ倉玲人君でしょ、隣のクラスの。私、東森弥子だよ、B組の窓側三列目の」
隣のクラスの席事情など知るわけがない。
だが、言われてみれば少女を見たことがあるような、ないような――確かに制服は母校のものだが、目を白黒させる少年、玲人に弥子は納得気に行った。
「もしかして知らない? 二ノ倉君はやや傾いているので有名だけど、私は平和を愛する一介の小市民だもんねー、無理ないか」
「誰が小市民だ」
「あ、面倒だから全員紅茶にするねー」
悪態をついたのは死神男で、ブリザードのごとく吹き荒れている彼の敵意にかまわず、弥子はあっさりその場を後にする。残されたのは強面と傷だらけの少年、ひどい絵面である。
沈黙と玲人からにじみ出る警戒と恐怖に嫌気がさしたのか、死神男が口を開いた
「要、偽名だ。詮索はするな」
「……はい?」
「先に言うが、アレとは一滴の血もつながっていない単なる監視役だ。詮索はするな」
詮索はするなといいつつ、無視するには大きすぎる爆弾情報の連続に、玲人は何とも言えない顔になるが、聞く度胸はない。
人間知らないことが救いになることは重々知っている。色の変わった沈黙の中、盆を持った弥子が戻ってきた。
「はーい、紅茶です。要さんは色々ミステリーだけど、物騒な保護者くらいの認識でいいと思うよ。社会的には良い人だし」
「社会的には」
なんだか目が覚めてからオウム返ししかしていないような気がすると玲人は思いながら、差し出された紅茶を受け取ってしまった。本来なら警戒するべきものかもしれないが、弥子の自然な渡し方と、混乱していた脳の無意識はお人よしだった。
結果飲むに飲めず、玲人は手元の紅茶を眺めた。ふわりとした茶葉の匂いが鼻をくすぐった。
「あ、言い忘れていたけどここは私の自宅だから警戒しなくて大丈夫だよ。セキュリティは随一! 防虫、防弾、防吸血鬼と最高レベルだから」
自信満々に言い切ると弥子が玲人の隣に腰を下ろした。内容は割と意味不明だったが、玲人は無視することにした。一見控えめな外見だが、この弥子という人物が大分アクが強いことは流石に理解できていた。
「……とりあえず助けてくれたみたいで、その、ありがとな」
「ん、乗りかかった船だからね」
咄嗟に礼を言えず、どもってしまった玲人を暖かいものをみるように優しく見ると弥子は切り出した。
「それで、何があったか聞いてもいい?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます