第3話 泥沼で綺麗に咲く花

朝食を食べ終わってもなお私の血は留まることを知らなかった。

故に、無慈悲にも私の鼻の穴はティッシュによって穿たれていた。


「神様からも天罰食らっちゃったみたいね?」

「もう舞怒ってないって言ったじゃん!!!」

「冗談よ冗談。」

「もう・・・」


きっとこれは神様からの天罰などではない。私の。私だけの天使による天罰だ。いや、天罰とはとても呼べない。幸福によって流れた血など私の一部として本望であろう。私の身に余る幸福への代償、生贄と捉えるのが一番的を得ている気がする。それほどに私にとっては「舞」という存在は大きい。


「お、笠島お前鼻血か?チョコの食べすぎ?」

「うるさいわね!!!練習に根詰めすぎたのよ!!!」


教室に入るとクラスの男子が私を嘲笑してきた。名前は山田翔平。やたらと私と舞に絡んでくる鬱陶しい男子の一人である。私は一応クラスでは明るく振舞っているのでクラスの男子には鬱陶しく絡まれやすい。きっと私を足掛かりにして舞にお近づきになろうとしているに決まっている。男子どものうす汚れた欲望に舞を触れさせるわけにはいかない。その一心で私は男子どものイジリを一身に引き受けていたのだ。


「あらあら、お寝坊さんの割には頑張ったのね?」

「舞!嫌い!」

「ごめんごめん。許してちょうだい?」


まぁ舞との微笑ましい会話のタネになったから慈悲をかけてやろうか。


「笠島は相変わらず舞ちゃんと仲良いよなぁ。」

「亜美は私の親友ですもの!」

「舞ちゃん友達少ないからねぇ・・・」

「ちょっと!どういう意味よ!」


前言撤回。山田翔平許すまじ。憎きことにこの畜生山田翔平は舞と旧知の仲である。なんと私よりも前からの知り合い。幼稚園の頃から家族ぐるみの付き合いをしているそうだ。ぶっちゃけ私ごときに山田翔平と舞の仲をどうこう言う筋合いはない。他の男子と違ってそもそも前提として私を通さずとも舞と仲が良い。故に一番憎い。私よりも舞と距離が近いから。そしてイジリこそするものの根はものすごく優しいから。舞のオマケでしかない私に舞が近くにいないときにも話しかけてくれる。教科書を忘れたら無言で見せてくれる。私の心の中で山田翔平なら舞とお似合いだとどこかで認めている。ハッキリ言ってしまえば嫉妬である。亜美はやたらとこの三人で話したがる。亜美にとって過ごしやすいのだろう。親友と特別な感情を抱く異性との時間は。


「キンコーンカンコーン」

「お前らサッサと席につけぇ」


禿げ頭の担任が生徒たちに着席を促す。このクラスの男子たちの嫌なところの総集編。それがこの担任だ。まず見た目が気持ち悪い。そして無駄に熱血漢でウザイ。挙句の果てにセクハラ発言を女子に連発している。教育委員会に訴えれば何かしらの措置が施されるのではないかと思うレベルだった。しかし皮肉にも外面だけは良く保護者や他の先生からの評価は厚いため彼の醜態を知るのは生徒たちだけであった。その醜態を他の大人に話しても信じる者は誰もいなかった。厄介という言葉がこの上なく似合う男だ。


「笠島、鼻血出たのか。エロいことでも考えたのか?大概にしとけよ?」

「アハハハ」

「違いますよ~」


クラスの男子どもの大半はこの担任と波長が合っている。このクラスはまさに泥沼。私にとって価値ある存在は舞だけ。舞は私にとって絶望に覆われた醜悪な泥沼に唯一咲くことが許された綺麗な蓮の花だった。汚い環境下でも美しくあり続けるその姿だからこそ私は舞を守っていきたいと思ったのだ。花壇の柵に守られた薔薇などとは力強さのレベルが違うのだ。クラスの男子のほぼ全員に嘲笑され、クラスの女子もそれを気にもしていない状況下で舞だけは眉をひそめ、不快感を露わにしてくれている。それだけで私の心がどれほど癒されるか。私は舞のおかげでヒステリックにならずに済んでいる。


「ガタッ」


誰かがいきなり席を立つ音がした。皆が目をやるとその正体は我が憎き男。山田翔平であった。彼は上ずりながらも怒りに震えた声でこう告げた。


「先生、そういう発言は女子にすべきではないと思います。」


この発言にクラスはしんと静まり返った。何故なら山田翔平という男は生真面目に人の発言を諭すような人間ではなかったからだ。そしてクラスにおいて私を馬鹿にするということは「悪いこと」ではなかったから。他の人間からすれば「何で本気で切れてるの?」という疑問で胸がいっぱいだろう。


本当に山田翔平という男は憎い男だ。憎めないところが際立って憎い。醜悪な泥沼において咲く花は舞だけだったはずなのに。私の心の中で山田翔平という存在は不幸にも咲き誇っていた。きっと唯一だったはずの蓮の花、舞の隣で。いじらしくも。

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卓上の想いは庭園に きくらげ二等兵 @THKamijo

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