今までにないような高揚

 滝本は未だに姿を現さない。


 スマートフォンから来た連絡によると、いま最寄りの駅に着いたところでもうすぐ来れるらしい。45分ほどの遅刻だ。

 この白木屋を、夜のとばりが包み始めていた。他の客の大げさな笑い声が辺りに響いていた。世界は今、この一室を中心に回ってる。そんな高まりをいよいよ自らの内に感じていた。


 僕は内心、滝本がB-BOYを完全に勘違いした変な服装で訪れることを期待していた。今日は特別な日だぞ。気合い入れて来い。そして空回っていてくれ。

 バトルではとりあえず見た目のファッションをディスることも多いので、その時点で少し有利になる。僕は基本的に小さい人間なのだった。でも誰だって心の中ではそんなもんだろ。


「おまたせー。ごめんごめん。」滝本が黒いドアを開けるなり、朗らかに言った。


 ゆるめのブルージーンズによくわからないプリントのTシャツ、阪神タイガースの野球帽、そして首元に金ぴかの安っぽいチェーンをひっかけて、彼は登場した。

 野球帽は少しずれているが、初心者としてそれ以外はなかなか様になっていた。ツッコミどころはあるものの、全体としては意外と雰囲気がある。


「なんで阪神なんだよ!」僕も平静を装って、笑みを作りながらにツッコんだ。

「何その恰好、なんかいつもとイメージ違う~」まゆも笑いながら言った。これは、今日初めて彼女が見せた笑顔だった。


 ……なぜなんだ。

 彼も彼なりにやるべきことをやってきた人間だということなのか。

 高校の体育祭のときは、襟が赤い体操服(学年ごとに色が違う)を着て、かつての同級生の襟が青い体操服の集団へと向かっていったくせに。何がマジシャンズ・レッドだよ。ジョジョネタかよ。笑ったけど。


 奴にはずっと話題を独占されっぱなしだ。

 僕が何をやっても、周りもまゆも無反応の無関心なのに。

 どんなに頑張っても、結果は空回りで嫌われていくばかりなのに。


 ……ふと視線を落として、自分の格好を改めて振り返ってみた。

 彼から金ぴかのチェーンと野球帽を差し引いた、とてもスタンダードなTシャツとジーンズが目に映った。

 ツッコミどころはなかったが、特に言及する価値もない平凡な服装だった。印象に残らなすぎて、三秒後には忘れてしまいそうだ。握りこぶしに爪が食い込んだ。


「このTシャツのプリントは言わなくてもわかると思うけど、例のネタね」

「めっちゃ面白いんだけど! やっぱセンスいいね!」


 二人は知らない話題で談笑を続けていて、そんな僕の胸中を知る由もなかった。


 僕はこのままじゃ奴にペースを握られると思った。だからすかさずこう言った。「じゃ、早速始めようか。今日はなれ合うための集まりじゃないし、時間もおしてるからな。」遅れてくるのが悪いんだ。息もつかせず始めてやる。


 これはプライドの勝負だ。まゆが見ている前で、無様に負けるわけにはいかない。


「そうだね、本当にごめん。でもちょっとだけ水を飲ませて。」滝本はまだ少し息を切らしていた。ここまで急ぎ足で来たのだろう。

「水ならそこにあるよ」まゆは親切にもテーブルの上を指さした。


 ……絶対に負けられない。お前は年上かもしれないけど、それは人生経験が一年多いんじゃなくて、僕のほうが一年若くて勢いがあるんだよ。


「ふう、準備OKだよ」水を飲みほした滝本はひょうひょうとした様子だ。

「じゃあ行くね。勝負は16小節の2ターン制。先攻はMC.DAIGO(僕のことだ)。Lamp Eyeの『証言』だっけ、頼まれてた曲入れればいいんだよね」まゆはデンモクを操作した。


 カラオケの液晶の右上に小さく文字が表示され、画面が切り替わった。二人の若き初心者MCに緊張感が走った。大丈夫、ここまで来たら自分を信じよう。


 食べかすの残る数枚の皿とぬるくなった数個のグラスが置かれたテーブルから僕らは立ち上がり、カラオケのディスプレイの前に距離を置いて向かい合った。それはまるで決闘でも始めるかのような間合いだった。「真剣勝負だからな!」「いいよ。」


 こうして、部屋の上部にある黒いスピーカーからビートが流れ出した。

 そのイントロの間、僕と滝本、いやMC.DAIGOとMC.巌流司は、軽く視線をぶつけ合いながら、リズムに合わせて首を振っていた。

 あの野郎、余裕ぶってへらへら笑ってやがる。許せねえ。のラップで叩きのめしてやる。血がたぎり始めていた。


 もう誰にも負けたくない。一ミリも譲りたくない。そのために、あのクソ憂鬱な高校時代から20歳の今日まで必死に生きてきたんだからな。その重みを全部乗せていくのがのラップだ。


 初めはあまり興味がなさそうだったまゆも、この時ばかりはバトルに注目しているようだった。勝敗は、審査員である彼女の投票によって決定される。


 いよいよ曲のイントロが終わり、俺のターンが始まる。

 俺は一小節目の先頭からうまく滑り込むべく、頭の中で言葉の準備をしていた。ここさえ失敗しなければ後はすらすら進んでいけるはず。


 今やもう余計な情報は入ってこない。全てがクリアだ。


 ビートの上で舌を転がして、標的めがけて放つだけ。


 俺の鋭い韻で刺し貫いてやる。


 人生の全てを出し切ってやる――



「苦し紛れがむしゃらな 2017年(にせんじゅうなな)

 何も見えなかったな 二年前の俺らは


 教室の真ん中では傲慢な奴らの 笑い声

 だいたい下向いて歩いてたがコンバースは 黒く汚れ

 高まっていく感情を隠せず自分 棚に上げ

 捌け口求め 内輪だけでかなり揉め 内弁慶 いつもこれ


 夜になり一人の部屋で考えた 対策

 だいたい明後日の方向へ行ったよな 最悪

 ブラウン管のTVに映ってた 萌えアニメ

 でも現実は不完全燃焼の 燃えがらで


 そこはまるで氷の弾丸が行き交うような戦場

 脳裏に焼き付いた線条痕 未だ全ては洗浄不能



 どこにも正解はなく 誰も正しくなんかなかったね

 それは今でも変わらないと思ってるけど


 スクランブル交差点みたいにすれ違う無数の感じ方や考え方

 だとしてもまだやれることが残されていると信じたい


 もうそれぞれの問題はそれぞれの場所で消化して進んでいかなければならない

 だから俺は言葉で表現してる お前はどうするつもりなんだ

 譲れないものがあるんだろ だったらそれをこのステージで提示してみろよ

 できないんだったらMC.ガンリュウシは感電死だな」



 ――ばっちり決まった。120点の出来。

 まゆがどういう基準で評価するのかはわからないが、普通に考えて現時点では優勢だろう。


 クソみたいな生まれや育ち、たまりにたまった負の感情を存分に表現してプラスに変えるのがHIPHOPだ。滝本の才気は正直、狂気じみたところがある。だが少なくとも今は俺のほうがスキルが上だ。


 あまり表には出してこなかったけど、心の中では滝本をリスペクトしている。この場に居る三人を結び付けてくれたのも彼だし、ただの目立たない男子生徒でしかなかった自分に言葉で表現する気持ちよさを教えてくれたのも彼だ。


 だからこれはディスというよりも、問いかけだ。さあ、仕掛けて来い――。




(終)

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