白木屋のフリースタイル・ダンジョン

Haruki-UC

奴はまだ来ていない模様

 武蔵と小次郎の決闘が行われた場所、それが巌流島だ。

 一説によると、武蔵は小次郎を苛立たせ平常心を失わせるためにわざと遅刻したとも言われている。


 「滝本はまだ来ないのかな。」僕は焦れていた。


 成人式後の余韻が冷めやらぬ一月下旬。このありふれた居酒屋チェーン・白木屋に、彼は三十分遅刻している。僕はスマートフォンの時計を確認すると、18:32と表示されていた。


 「そのうち来るんじゃない? あいつはいつもそんな調子でしょ。」まゆはフライドポテトをついばみながらそう言って、すぐに手元のスマートフォンに視線を戻した。傍らにはカシスオレンジがすでに用意されていた。


 奴め、今日のためにわざわざ個室(カラオケ付)を予約したっていうのに、遅れてくるとは相変わらずだ。まあいい、それもバトルでの攻めの材料にしてやろう。僕はそう思った。


 ――ラップにおけるフリースタイル・バトル。

 ビート上に即興の歌詞を乗せてラップし合い、そのスキルを競う戦い。

 今はフリースタイル・ダンジョンという番組が有名なので、詳しく説明する必要もないだろう。


 僕らがここにいるのは、そのフリースタイル・バトルをやるためだ。

 対戦相手は遅刻している滝本、いや今日はMC.巌流司エムシー・ガンリュウシと呼ぶべきか。


 滝本がこの世に生を受けたとき、本当に巌流司と名付けられそうになったらしい。

 つまり彼にとってガンリュウシというのは、どこかのパラレルワールドならありえた自分の名前なのだ。


 「ガンリュウシって変な名前だよね。自分の子どもに命名しようとするのはヤバいっしょ。聞いたとき最初漢字が浮かばなかったし。訊ねてみたら、巌流島の巌流に司るだよ、って言うし。」僕は言った。

 「まあねぇ。キラキラネームだねぇ。」まゆは僕と目を合わせず、やはりスマートフォンの画面を眺めながらぼそりとつぶやいた。どうにも空気が重い。


 ともかく彼はその巌流司という名を、MCつまりラッパーとして現在名乗っている。「エムシー」と「ガンリュウシ」で脚韻が踏まれていて語感もいいし、彼なりの考えがあっての選択なのだろう。きっと。


 バトルの会場は色々話し合った結果、近所の白木屋で予約したあくまで普通のこのカラオケ付個室にしたけど、部屋の中の閉塞感で重力が二倍になっているかのようだ。前方の備え付けの液晶ディスプレイでは、知らないミュージシャンが自分の曲を声高に紹介している。


 こんなことなら空の見える外でやったほうが良かったか、と一瞬の間に後悔しそうになる。

 しかし僕らはまだ初めて三か月の初心者MCだ。つまりはさ、なんていうかさ、外は恥ずかしいじゃん。この日のために練習はしてきたけど、やっぱり個室が落ち着くよね。音は外に漏れてると思うけど、それくらいがちょうどいいよね。


「あ、そうだ。今日は審査の役を引き受けてくれてありがとう。」僕はめげずにまゆに話しかけた。


 勝敗の決め方には、一般的に二通りある。一つは観客の歓声の大きさ、もう一つは審査員による投票だ。

 今回はまゆに審査員の役を務めてもらうように頼んだ。まゆは初め渋ったものの、僕らの熱意に負けて了承してくれた。まゆは不愛想だしマイペースだけど、悪い奴ではないのだ。


 彼女は店員が運んできたばかりの鶏のから揚げに、レモンをギュッとしぼった後、僕の目を見て「わたしを巻き込んでおいて、つまんなかったら怒るよ。」と言った。


 ……この話題を掘り下げても悪い方向へ向かいそうだと思ったので、しばしの間をおいて、僕はこう切り返した。


「そういえば、この前成人式だったね。行ったの?」

「行ってない。」

「だよねー、僕も行ってない。なんかああいう騒がしい感じ、苦手だし。」

「行きたいと思わなかった。」


 ああ、そうか。彼女は中学生のとき不登校だったから、知り合いなんてあんまりいないだろうし、いても会いたいという気持ちにならないんだ。

 つまり僕は話題の選択を誤ったというわけだ。うまく頭が回ってない。やはりバトル前で緊張してるのだろうか、空気が重くなるばかりだ。ていうか早く来いよ滝本。



 滝本はこの時点で21歳である。僕とまゆは20歳で、もともとの学年的には彼が一つ上になっていた。しかし僕ら三人は高校の時の同学年だった。つまり彼は、高校二年生を二回経験しているのである。

 HIPHOP的には高校中退のストリート育ちが王道なのだが、これはこれでバトルにおける一つの強みだと言えるだろう。


 三人が交流を持つようになった経緯は、まさに滝本がきっかけだったと言える。彼は思索と詩作を好んでいて、その産物を詩集(彼は「死臭の刺繍」と名付けていた)として文芸誌を制作した。そして学内に放った。


 その冊子の内容は、のちに回収されるくらいに過激なものだった。あまりにも濃密に死の気配が漂い過ぎていた。しかし発禁レベルとは、まるでキングギドラの「最終兵器」の曲みたいじゃないか。ヤバいぜ。最高だ。


 彼のそういう事の顛末と詩のセンスに興味を持った僕とまゆは、それぞれに彼に話しかけた。もともと僕ら三人はクラスメイトだったのだ。それまでは顔見知りという程度で、あまり交流はなかったけど。


 かくいう僕は、それまで表面上とくに問題も起こさずに平凡な日々を過ごしていた。目立たない生徒だった。

 学業成績はやや優秀な方だったが、いつも教室の自分の席で静かに座っているだけの置物でしかなかった。心の中では、優等生ぶる窮屈さゆえに叫びたい気持ちでいっぱいだったんだけどね。


 僕が彼に教室で初めて話しかけたときも、全ては他人事かのような軽い調子だった。それは事態の重さに似つかわしくないような笑みとともに発せられた言葉だった。


「あの国語科の前に置いてあった冊子読んだよ。なかなか面白かったよ。感想、話してもいい?」


 そんな僕もHIPHOPに出会ってからは、自分の想いを自分の言葉で余すことなく表現している。今となっては街を歩いているときも、お風呂に入っているときも、いつも韻を探している。


 そういえば、まゆ(これはペンネームが由来の名前で本名ではない。僕らには女の子を下の名前で軽々しく呼ぶ度胸はない)と滝本の出会いを僕は詳しく知らない。どういう風に推移したのだろうか。


 当初の僕はまゆを友達の友達としか認識しておらず、少し遠い存在だった。しかし、不登校のエピソードを聞いてから一気に親近感がわいてきたのだった。


「まったく最高だな心の! キラキラしてる奴らへは放つFucking!」

「うるさいよ。」




(後編へ続く)

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