第2話 ハシヤマノアスラ様

「なんだここは。この貧乏臭い小屋がお前の住処なのか?」


 優香里の店はヒノキ神社の階段を下ってすぐ左にある。元々は優香里の母方の祖母が営んでいた骨董品店だったのだが、祖母が亡くなった後にカフェとして改装し、優香里の住まい兼職場として誕生したのがこの【ひのきカフェ】である。

「これでも改装してまだ二年くらいしか経ってないですから。中は綺麗ですよ?」

 自信満々にドアを開け、男を招き入れる優香里だが、男は中に入っても顔を顰めるだけであった。

「何だこの狭さは。こんな窮屈な所で食事をしろと言うのか」

 眉間にしわを寄せながら唸る男に、優香里は苦笑いを向け席を案内した。

 もともと骨董品店であった為、店内は十坪程しかないので、こじんまりとしており、狭いと言われても仕方の無いことではある。

「とりあえず、ご飯食べましょうか」

 優香里はキッチンの棚からホットサンドメーカーを取り出し、冷蔵庫から出した食材をテーブルに並べる。

 卵、チーズ、ベーコン。この三つが揃ったならば優勝間違いなしである。食パンを一枚ホットサンドメーカーの上に置き、パンの上を少し窪ませる。こうすることで卵が逃げずに真ん中で留まってくれるのだ。卵を窪みの上に落としたら薄切りのベーコンを二枚上に乗せ、最後にスーパーで特売だった細切れのモッツァレラチーズをベーコンが隠れるまで降り乗せる。ここまで乗せ尽くしだが、ホットサンドメーカーとはそういうものなのだ。乗せて挟む。これこそ最強のホットサンドメーカーの至高の作り方である。最後にブラックペッパーを適量かけ、もう一枚の食パンで挟み、プレスする。直火で片面五分ほどずつ加熱すれば、最高の優勝ホットサンドの出来上がりである。

「どうぞどうぞ!優香里特製、死ぬほど美味いサンドです!」

 優香里がこんがりと焼けたホットサンドを包丁で真っ二つに切ると、中からとろりと溶けたチーズと共に、半熟に熱せられた卵の黄身が皿にこぼれる。

 ほかほかの湯気に男はたまらず喉を鳴らす。赤の他人が作った物を食べていいものか一瞬悩んだが、あまりに食欲をそそる匂いと腹の中で暴れ狂う空腹感に勝てず、男は勢いよく頬張った。

 口の中でチーズとベーコンの塩味がいっぱいに広がり、口から溢れんばかりの卵が塩味を良い塩梅にまろやかに包み込み、最後にブラックペッパーの香ばしく、刺激がある香りが味を整えている。これはどれか一つでも欠ければ成立はしない。究極の料理だ。

 優香里は目の前で夢中で食べる男をじっと見つめる。店を開けてまだ日が浅いヒノキカフェは常連客もおらず、来るとしても祖母の昔からの友人である婦人が二、三人程度である。そのため、若い人に自分の料理を食べて貰えるのが新鮮で嬉しいのだ。

 男はよく見ると端正な顔立ちだ。肌は真夏に外で寝ていたというのに新雪のような白さで、黒い髪によく映える。少し吊り上がった目と凛々しい眉によく通った鼻筋に、口元にあるほくろが、男の艶麗さをより際立たせている。

 優香里はグラスにレモン水を注ぎ入れ、男に差し出すと、男に訊ねた。

「えっと、お名前伺ってもよろしいですか?あと、あそこでなにしてたのかも」

 男はグラスの水を一気に飲み干し、優香里を睨みつける。

「私の名は夜光よるみつである。お前こそ私の城で何をしていたのだ。あそこは主から頂いた大切な場所なのだぞ」

 恰好が恰好なので本名かどうか怪しいが、夜光の雰囲気からこれ以上問い詰めてもまた怒声が店内に響きそうだ。諦めて毎朝ヒノキ神社へお参りすることが自分の日課だということを話す。

「ならば、私を敬え。私こそがヒノキ神社の主、ハシヤマノアスラ様の使者夜光であるぞ」

 誇らしげに胸を張る男を見て、優香里は笑ってしまった。まさか自作キャラクターのコスプレだったとは思わなかった。ヒノキ神社を知っているということは地元の住民だったのか。こんな変わった人がいたとは知らなかった。

 なにが可笑しいのかと不機嫌そうにこちらを睨む夜光の尻尾を掴む。

「いやあ、ヒノキ神社マニアがいたなんて知りませんでした。それにしてもこれ、よくできてますね。ん?なんだかあったかいような…」

 尻尾をむんぎゅと掴み、右に左に動かしていると、ぶわぁっと大きく膨らんだ尻尾が優香里の手を覆う。優香里が驚いて手を離すと、夜光は立ち上がり、大きく飛んだ。優香里の頭上を飛び越え、数メートル離れたテーブルの上に降り立った。

「無礼者!何をする!」

 髪を逆立てた夜光が低く唸るように叫んだ。

「ご、ごめんなさい!その、作り物だ思って…ていうか、え?作り物ですよね…?」

 優香里は両手を上に上げながら頭の中を整理しようとするが、たった今見た常人には理解しがたい跳躍と手に残る作り物のはずの尻尾が逆立つ感触を思い出し、余計混乱した。

 夜光は優香里が慌てふためくので、先ほどより落ち着いたようで、尻尾を手で撫でながら悪態をついた。

「作り物とは本当に失礼な奴だ。作り物かどうかはお前の手が知っているだろう。私の尻尾を手荒に扱った罪は重いぞ女」

 優香里が口を開こうとした瞬間、頭の中で女性の声が反響した。

      《夜光よ、その方を連れて戻りなさい》

 夜光は仰せのままにと、跪いた後、優香里の襟元を掴み持ち上げた。

「ちょっと!なにを…」

「主がお呼びだ。行くぞ」

 優香里がどこにと尋ねる間もなく、夜光は店のドアを開き、神社の階段下から一気に飛び上がった。

「いぃぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁ!!」

 突然の浮遊感に絶叫する優香里を気にもせず、夜光は神社の鳥居の前に着地する。

 息も絶え絶えな優香里は、上半身を必死に起き上がらせた瞬間、夜光の手に頭を掴まれ、地面に押さえつけられた。

「頭が高いぞ女。アスラ様がお見えになるのだぞ」

 額にズキズキとした痛みを感じつつも、優香里は抵抗する気にはなれなかった。朝に夜光から感じたものとは比べ物にならないほどの重圧が全身で感じられたからだ。全身から汗が噴き出すのがわかる。

     《顔をお上げなさい》

先ほどの声がまた頭の中で反響する。フッと重圧がなくなり、優香里はゆっくりと起き上がる。

目の前には鮮やかな橙色の着物を着た美しい女性が立っていた。

腰あたりまである長く白い髪と、宝石のように澄んだ瞳が優香里を真っすぐに見る。優香里は心の深いところまで見透かされたような気がした。いや、実際に見透かされたのだろう。目の前の女性が神様だということは、一目見てわかった。

優香里とさほど変わらぬ身長なのに、思わず跪いてしまう威厳と風格が女性から溢れている。

隣で跪いていた夜光が優香里の頭を小突く。

「おい。アスラ様を汚い目で見つめるな」

ハッと我に返った優香里は、慌てて頭を下げる。

アスラは目を細め、優香里の頬を撫でた。

「いいのですよ。優香里、あなたが毎日ここへ訪れているのを見ていました。まずはお礼を言わせてください」

頭で響いていた声と同じだが、今度ははっきりと耳で聞こえる。

「アスラ様!人間に頭を下げるなど…」

慌てる止めさせようとする夜光だが、アスラは夜光に。

「神にとって、信じる人間がいることがどれほど大切なことなのか、お前はわかっていません。優香里と千代がいなければ私はこの土地を守り続けることができなかった。人間に忘れ去られた神がどうなるか、お前もよく知っているでしょう」

千代は、優香里の祖母の名前だ。優香里がヒノキ神社を参拝するようになったのは、千代が小さいころから連れてきてくれたおかげなのだ。

アスラは優香里の手を握り、微笑んだ。

「優香里、あなたに一つ頼みがあります。この夜光が人間界で暮らす手助けをして頂きたい」

優香里が言葉を発するより先に、夜光が声を上げた。

「何をおっしゃるのです!私が人間界で暮らすなど…御冗談が過ぎます!」

「冗談ではありません。お前は守るべきものを間違えている」

凛とした声で放つアスラの言葉には、どこか寂しさが混じっているような気がした。

「この子は、私が甘やかしすぎたために大切なことをわからずに育ってしまいました。どうか我々を助けてはくれませんか?」

優香里の手を強く握りなおしたアスラの顔は、儚く、どこか祖母の面影を感じた。


「わかりました。夜光さんが私の店で働いてくれるなら、協力します」


優香里はアスラの手を握り返した。




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