【13】白兎のお茶会
いくらほとんどの生徒が下校していたとはいえ、李斗と薫は結構恥ずかしい思いをすることになってしまった。
学校の最寄り駅で痴態を晒し、そこそこの数の生徒や教師に目撃されてしまったのだから。
駅のベンチで李斗が泣き止むまでの間、先に泣き止んだ薫がハンカチで顔を拭いてやったりティッシュで鼻を拭いてやったりしていると、入れ替わり立ち替わり生徒が冷やかしにやってきた。
通りがかった教師たちは、何故か李斗に妙に気を遣ってヤジウマを追い払ったりと、狭いホーム上はしばらくカオスで妙な雰囲気になっていた。
薫が後で知ったことだが、李斗は入学にあたり、法外な寄付金を積んでいた。
そのため職員は皆、李斗をどこぞのセレブだと思っていたらしく、その彼が薫を見初めてわざわざ転入してきたのだ、というストーリーが勝手に出来あがっていたようだった。
確かに、あまり間違ってもいないようだけども――
薫としては、全くもって生きた心地がしなかったが、今までもやもやしていたことの原因が分かって、結果的にはスッキリした。
そして、なんとなく自分を見る周囲の目が、李斗が来る前よりもやわらかくなっていることにも気づいて、まあこれはこれでよかったのかな、とも思えた。
☆
「――で、いくら寄付したの?」
薫と李斗は、彼女の家の近くのファーストフード店に場所を移し、やっと一息ついた。そこで薫は早速尋問を始めた。
さっきの教師達の不穏な行動が莫大な寄付金のせいだと聞いたからだ。
「一千万円」
ポテトをかじりながら、しれっと言う。
さっきまで大泣きしていたとは思えないほど、ケロっとしている。
……兎の考えることは分からない。
すごく心配して損した気分。
「豪快なムダ遣いね。……それとも李斗君的には、ポケットマネーくらいなの?」
「ムダ遣いなもんですか。僕にとっては有意義なお金の使い方だよ? まぁそれほど痛い出費じゃないけども……」
「あの神社でどうやって稼いでるわけ? なんかおかしくない?」
あは、と笑うと、李斗はさらにポテトを何本も口に突っ込んだ。それらをもっしゃもっしゃと咀嚼し、コーラで一気に喉に流し込むと、彼は副業について語り出した。
「あのねえ、僕バイトしてるの~♪」
神社の方では予想どおり収入はなく、全てその『バイト』とやらで賄っているそうだ。そのバイトっていうのは、官公庁からの依頼でトンネルやダムなど、大規模建造物の建設に伴う、大量の除霊や大がかりな神事のことだった。
彼は、人間では能力的に不可能な物量の仕事をごく短時間で処理するので、明治時代から政府に重宝されていたという。
ギャラも一回数百から数千万円単位で、家はボロいくせに相当の資産を持っているって話だった。
どおりで彼がクレジットカードを出す度に、店員がドン引きしていた訳で。
おそらくアレは都市伝説的に語られる、外資系信販会社の限度額不問のブラックカードだった、と薫は睨んでいる。
「ねぇ、パパとはいつ会えるのかなぁ。本人に聞いたら、昔のことも色々分かるかもしれないし……」
「そのお願いの件なんだけど……」
李斗は頭をかきつつ、口ごもりながら言った。
「僕、人捜しは専門外なんだ。氷に関する事と皮膚疾患、縁結びが専門なの」
「え……? じゃ、専門外だから、出来ませんってこと?」
「じゃなくて、最後まで聞いてよ。……自力でなんとかする」
「自力って、どうやって?」
「人間と同じさ。探偵に依頼するの」
神様だから楽勝だと思っていたのに……。
そんなに大変なことをお願いしてしまったのかと思うと、薫はひどく申し訳ない気分になってきた。だって、普通プロに依頼したら、初期費用だけでも万円くらいはかかってしまう。
「たくさんお金かかるんでしょう? ……そんなの、悪いよ」
と薫が断ろうとすると、
「そんなの端金だから気にしないでぇ~」
なんて兎神は豪語している。
とりあえず、薫は聞かれるまま、覚えている範囲で父親に関する情報を李斗に教えた。職業だとか、勤め先だとか、手がかりになりそうなことは何でも。
それから、翌日は学校が休みなので李斗の家で一緒に昔のアルバムを見る約束をした。おやつをいっぱい用意してくれるそうなので、薫はすごく楽しみだった。
店を出て家に帰ろうとしたとき、薫は、一瞬だけど李斗がひどく寂しそうな顔をしたのが気になった。気になった、というよりも、何かが脳裏をよぎったという方が正しいかもしれない。
この顔に何故か心がかき乱される。
かわいそうとか、甘えん坊だなとか、そんな通り一遍の感情ではなく、もっと深くて心がキリキリするような感覚が――。
☆
「いらっしゃい、薫ちゃん♥」
薫は、昨日李斗に言われたとおり、本殿の脇にある社務所兼用の彼の自宅を訪問した。神サマとはいえ、男の子の家に行くというのは薫的にはかなり緊張する。
そういえば今日の李斗は、髪や目に色はつけず、元の白銀の髪と赤い瞳に戻してある。普段色が付いてるから、かえって新鮮な気がする。
こんな彼を知ってるのは、自分だけなんだ。そう思うと、薫は胸がくすぐったくなった。
「案外普通の部屋なのね」
神サマの自宅ということで、ついキョロキョロと見てしまう。
「薫ちゃんが最後に来てから、ずっとそのままなんだよ」
と少し寂しそうに言うと、李斗は薫を奥のリビングへと促した。
「わぁ、すごい……、何のお祝い?」
「薫ちゃんが帰って来たお祝い」
広いリビングのローテーブルの上には、たくさんのスイーツが所狭しと並んでいた。チョコチップクッキー、いちごワッフルサンド、プリン、うさぎさんリンゴ、そしてフレンチトースト等々。
――そこにあるのは、いずれも薫の幼いころの好物ばかりだった。
しばし呆然としていると、李斗は薫の手を取って、
「薫ちゃんの席はここ」
と、ラグマットの上に座らせた。マットのふわふわの感触が、緊張を少し和らげてくれた。
「李斗……、これって全部……」
彼はにやりと笑って、
「今でも、好き?」と尋ねる。
そして、ちょこんと自分の隣に座ると、グラスにジュースを注ぎながら、子兎のように私の顔色を伺っている。
「す、好き……だよ」
何だか告白してるみたいで、ヘンに意識してしまう。
薫はおやつを食べながら、李斗に昔のアルバムを見せてもらった。
一緒に写っているもの、自分だけのもの、父親と一緒に写ってるものなど、色々な写真があった。
こうして写真を見ていると、薫は本当にたくさんの時間を李斗と一緒に過ごしたんだと分かる。とてもとても小さいカケラだけど、思い出せたものもあった。
良かった、本当にそこに私はいたんだ、と思えた。
「なんか、親戚のお兄さんちに遊びにきたみたい」
「小さいときは『お兄ちゃん』って呼ばれてたけどね」
「おにいちゃん……か」
声に出してみると、兄弟なんかいないのに、不思議と口に馴染んだ感触がある。
やはり神社で撮った写真は家のアルバムには一枚もなかった。
犯人は母親なんだろうけど、写真を隠したくらいで記憶まで消えるものなんだろうか?
その原因を「八年前の両親が離婚がショックで、その周辺の記憶がばっさり削られた」と彼は勝手に解釈したけれど、だからって、それが母親の暴挙の説明にはならないわけで。
「忘れたことはしょうがない。潔く諦める。だから……」
李斗が言った瞬間、視界がガクリと動いた。強く抱き寄せられ唇を塞がれる。甘い香りのする彼の吐息が鼻孔をくすぐる。
ふっと唇を離し、李斗が耳元で囁いた。
「……今から、僕のものになって。薫ちゃん……」
「え? えええぇ?」それって……。ちょっと……。
「僕を薫ちゃんに全部あげる。だから……ね?」
「……ね? って言われても……」
李斗の息がだんだん荒くなり、薄いブラウス越しに彼の激しい鼓動が伝わる。自分の心臓も胸の中で跳ね回っていて、密着している李斗にはきっとバレバレだろう。
屋上で抱き締められたときより、もっと苦しい。でも大好きな人に抱かれてるだけで、こんなに嬉しいなんて……。
「ファ、ファースト……キス、どさくさ……に奪わないでよ」
「二度目」
「え? えええ?」
「寝込みを襲われた。薫ちゃんが僕に馬乗りになって、唇を奪ったの。おまけに僕が目を覚ましたら、驚いた薫ちゃんに唇噛まれて出血するし」
「うぇぇ……ごめん……」
――最悪のファーストキスじゃん……。
――私のアホ。忘れたままの方がマシだった。
「最初のはノーカンにしてあげる。じゃ」
「まま、ままま、待って、待って、まだ心の準備がぁ……」
李斗から逃れようともがいたけど、ガッチリと捕まえられて身動きが取れない。むしろ薫を抱く腕に、更に力を込めてくる。
「もう八年待った」
「そ、そうだよね……ごめん」
「僕じゃイヤ?」
「イヤ、じゃないけど……。でもぉ……」
「もうムリ。この半月、どんだけ僕が鉄の自制心でがんばったと思ってるの」
――それを言われると……。
子供っぽいからってついつい油断してたし。
「熱心に神サマに欲しがられるような女の子じゃないよ? 男子が寄りつかないような性格だよ? 今まで彼氏なんかいなかったような女の子だよ?」
「むしろ、薫ちゃんの初めての男になれるんだから、結果オーライ」
いつのまにか床に押し倒され、髪を撫で付けられていた。
本当は余裕ないくせに、今日の李斗は、昔みたいに凜として涼しげだった。
普段見せているような、子供のような、ふにゃふにゃした態度じゃなく。
これが本当の彼だったんだ、と思った。
「……バカ。優しくしないと、殺す」
「僕、優しくなかったこと、ないでしょ?」
「ありません。ごめんなさい、ごめんなさい」
「もう薫ちゃんムードないんだから。……大人しく僕に食べられなさいっ」
言い終わるなり李斗は薫の唇を貪り始め、いつのまにか口の中を蹂躙していた。
薫は始めて味わう、ねっとりとした大人のキスに身も心も震えた。
……多分、もっと震えるようなことが待っているのだろうけれど。
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