【12】黒髪の幽霊の正体

 学校からの帰り、ホームで電車を待っているときに、薫は何気なく李斗に尋ねてみた。

「ね、独りのとき、すごく落ち込んでるよね。

 原因ってやっぱ私? それとも幽霊?」

「え? ……独りのときって、僕そんな風に見えるの?」

 彼は顔を上げて、意外そうに薫を見た。

「あ、あの……幽霊じゃあ……ないけど……」

「やっぱり私だ」

「……ちがうって」

「記憶なかなか戻らないのがつらいんじゃないの? それとも、つきあってみたらこんな性格だからイヤになったとか?」

「ちがうってば」

「もう誤魔化さないで、ホントのこと教えてよ」

 薫は李斗の目を真っ直ぐ見て言った。

 もう逃げは許さない、そう二つの瞳で訴えながら。

 李斗はしばし口ごもると、ぽつりぽつりと話し始めた。

「……忘れたって聞いたとき、正直ショックだった。でもね、記憶があろうとなかろうと薫ちゃんを愛する気持ちは変わらない。だから、そのままでいいよ。無理に思い出さなくていいの。

 ……お願いだから、思い出せないことを気に病まないでよ。ね?」

「ホントに……、それでいいの?」

「僕は、今の薫と恋をしてる。それだけで、十分」


 李斗の言葉は重く、やるせなかった。


 過去の自分は、きっと彼のことを心底好きだったのだろう。子供とはいえ十歳にもなれば、恋心くらい抱いてもおかしくはない。

 年から考えれば、きっと彼は自分にとって初恋の男性だったのだと思う。

 成長した自分が、いま彼に「愛してる」と言ってやれればよかった。でも……。


「ごめん、いま僕、いろいろ余裕なくて、薫ちゃんの気持ち、考えられなくて……。心配させちゃったこと、謝るから……ごめん」


 線路の上を彼の視線が右往左往している。フォローしたくて李斗の白い手に指を伸ばすと、すっと避けられてしまった。

 斜めに差すチリチリとした夕日がまぶしくて、薫は足元に視線を落とした。


「あ、いや、その、べつに怒ってないし……ほら、私も心の準備とか、いろいろ、まあ……。でも、大丈夫、もうじき思い出すから。ね?」


 チラと伺うと、李斗の顔が曇っていく。


「ありがとう……。同情でも……嬉しい。でもね、後から後から欲が出てきて、止められないんだ。薫ちゃんが欲しくて欲しくて、独り占めしたくてたまらないって」

 李斗の声がだんだん震えてきて、彼の足元にひとつ、またひとつと、涙の滴が落ちる。

「君の心が変わるのが待ちきれなくて、手の届く場所にいるのが逆に苦しくて、こんな調子じゃ、僕はきっと……」

 彼はぎゅっと拳を握りしめた。

「いつか君を壊してしまうかもしれない。壊して、失うかもしれない、そう思うと、怖いんだ。好きな人を失うのが怖い――」

「怖い……?」

「これって業、なんだろうね。……僕、五百年前、恋愛で失敗してるの」


 そうか。

 あの幽霊は、きっと。


 そう思っていると、李斗が震える声で言った。


「僕のせいで、恋人とお腹の子供、死なせてしまった。……お察しの通りだよ、薫ちゃん。それが、彼女だ」

「やっぱり。……やっと話してくれたね。ありがと」


 ううん、と頭を振る李斗。

 一言では語れないほどの、深い痛みと哀しみが、李斗の全身から滲んでいる。自分には、かける言葉が見つからない。そんなことがあったなんて。


 でも……昔、恋人も子供もいたんだ……。

 ……だよね。李斗はもう大人、だもん……。


「僕さ、ずっと彼女のこと弔ってたんだよ。いつだって忘れたことなんてなかった。でも、もうとっくに別の体に生まれ変わってると。――もう、時効だと思ってた。

 なのに、今になって僕を呪うような真似を……。新しい女が出来たからって、怒ってるのかな」


 薫の背中に冷たいものが流れた。

 李斗はさらっと語ったけれど、実際には相当怖い話だ。現にああしてかつての恋人が化けて現れたのだから。――自分たちを呪って。


「ああ……、でももう大丈夫だと思うよ。彼女はどっか行っちゃったから。もう僕なんか嫌いになって、そばにいるのもイヤになったんだろう」

「そう、なんだ」


 薫は少しほっとした。


「文句があるなら、もっと早く言ってくれればいいのに。あんな嫌みったらしい方法で化けて出てくるなんて。

 ――化けて出てくれるなら、僕だってそんなにさみしくなかったのに……。ひどい女だな。でも、悪いのは僕だし……」


 李斗って、お化けでもいいのか。


「あの時李斗、やたら怯えてたよね。神様なのに」

「だって……まさか五百年越しに祟られるなんて思わなかったし、まだ怒ってるのかと思ったら恐くて……」

「ああ……」

「とにかく、その時は、もう恋は二度としないって決めたの。あんな可愛そうなことになるぐらいならって。……でも、ダメだった」


 はは、と力なく笑う李斗の笑顔が、死ぬほど痛々しい。


「薫ちゃんが好きすぎて、止められなかった……」


 ……やめてよ。もう、見てられない。


 結局、自分のことで李斗が苦しんでいるのは、最早疑いようがなかった。でもそれは薫が心配していたようなことではなかった。

 薫がもう一度彼の手に触れると、李斗はためらいがちに彼女の手を握った。

 彼女は、強く握り返した。


「ありがと。……二度も私に恋をしてくれて」


 もう迷うことはなかった。ヒトだとか違うとか、覚えてるとか覚えてないとか、そんなことは最初からどうでも良かったのだ。

 同情からだって構わない。李斗だって、さみしいから自分を必要としたんじゃないか。八年経っても自分を待っていたんじゃないか。


 過去に誰かと付き合っていたと聞いて、嫉妬した。

 これはもう、そういうことだろう。


 薫は一歩、李斗へと踏み出した。

 幼馴染みから、恋人未満へ。


 どちらともなく抱き合うと、李斗は人目もはばからず大声で泣き出した。

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